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私のリーダー論 ~中学校編~

最近の投稿は長くて読みにくくなっているので反省しています。でもまとめるの下手なので長くなってしまいます。許してください☺︎

中学生になり、バレー部に入ることは決めていたのですぐ入部届を出しました。(ちなみにはるちゃんも一緒に入部しました。)

中学校バレーでは、上下関係が厳しくなりました。後輩のうちは、バレーよりも先輩の手を煩わせないようにどう行動するかが中心でした。先輩が考えていることの先回りをし、練習を円滑に進めれるよう努力しました。

中学2年生になり、私たちの代は全員Jr.バレー経験者で先輩よりバレー経験が長いが多く、先輩に混ざって試合に出ることが多々ありました。私はリベロ(守備だけに特化したポジション)として試合に出ていました。攻撃に参加できない分、相手や味方の動きを観察し、一番後ろからみんなを支えることに尽力しました。リベロとしてしか見えないところを探し、チームに貢献する努力をしました。

小学校の時に比べて練習の回数も時間も増え、先輩に気遣いしながらという環境に疲れていつもクタクタになりながら毎日過ごしていました。はるちゃんもよく試合に出ていたので、いつも協力して先輩への気遣いを頑張っていました。

その頃私はリベロからスパイカーに変わりました。スパイカーとはみんなで繋いだボールを最後スパイクを打って点数を決めるポジションです。リベロとは反対と言ってもいいポジションなのでとても苦労しました。みんな小学校から練習していたことを急に中学2年生から始めるのは精神的にもとてもきつかったですが、スパイカーにしか分からない点を決めた時の嬉しさや次はどこを狙おうかと考える楽しさもありました。

中学3年生になり、県大会に出場することをみんなで目指していました。キャプテン決めがあり、先輩が「いつも気が利く」「周りを見れている」という理由で私を任命してくれました。キャプテンが発表される何日か前に、ある同期の子が「○○(ゼブランの本名)がキャプテンでよくない?」と言っているのが聞こえてきました。その時の私は「でよくない?」の「」って何?と少しキレていました。そんな消去法で決められたようなキャプテンなら、頑張らなくてもいいとまでは思わなかったけど、やる気はなくなっていました。1度小学校で経験していたのでだいたいできるだろうくらいの気持ちでいました。

しかし、小学生をまとめるのと中学生をまとめるのでは全く違うものですごく苦戦しました。しかもスパイカー歴が短い私は大事な場面で点を決められなかったり、負けそうな時に精神的に弱くなっていたりとキャプテンとしてもスパイカーとしても苦しみ、何度も辞めたいと思いました。

私たちの区には、10年以上県大会に出場したチームがおらず、区自体活気がないような感じでした。しかしここで諦めてしまったら絶対に目標に届かないと思っていたので必死にみんなに追いつくよう練習しました。どうしても私が周りよりスパイカーとして一人前では無いために、私は人に怒ることができませんでした。自分のポジションで迷惑をかけているのに人に言えないと思っていたからです。しかしそんなこと言っても仕方ないと思い、ひたすら練習し、たくさん声掛けをしました。私ができる、練習中誰よりも声を出したり、一生懸命ボールを追うことを頑張りました。ケガをしてもすぐ治して練習しました。(手の指を剥離骨折してから4日で試合に出場したのは自分でもびっくりしました。)

最後の大会が近づいてきたある日、監督がチームで明確な目標を決めるための時間を取ってくれたので、私たちはスローガンを決めました。スローガンは『悔いを残すな。伝説を残せ』です。これは1人の意見ではなく全員で決めました。最後の大会では、(悔いを残さないよう)今までやってきたことをやりきる。そして区から10年以上ぶりに県大会出場という伝説を残そう。という思いがあります。その日からチームメイトは目の色を変えて練習し始めました。私も嫌われてもいいからみんなに厳しくしようと自分の中で決め、練習ではもちろん、学校生活でも厳しく接しました。学校の規則を守らない人がいたら私が怒るといった感じです。試合では、見事県大会に出場することができました。一回戦敗退でしたが最後は全員笑顔で試合を終えることが出来ました。スローガンの『悔いを残すな。伝説を残せ』のどちらとも達成することができました。

私が中学校バレーのキャプテンで学んだのは、嫌われる努力ができる人こそ本当のリーダーということです。必ずしも嫌われなければならない訳ではありません。

しかし嫌われることを恐れて、怒らないといけないところで注意だけでおわったり、本当にしたいことが言えず緩い練習になってしまったりします。そんな嫌われるのが嫌というリーダーの甘えが積み重なり、最終的に負けに繋がります。

私はずっと嫌われるのが嫌で優しく注意することしかできなかったけど、「ここままの私だったら何のためのキャプテンだったのか分からなくなる」と思った日がありました。
その日から先生に言われた練習メニュー+αの練習をしたり、だらけている人がいたら厳しく怒ったりと今までの私とは違うやり方で接しました。初めは、団体なので楽な方に楽な方にとみんな逃げていましたが、私が一生懸命している姿についてきてくれる人がたくさんでてきました。

この学びがどの組織にも当てはまるかといわれるとそうでもない気がしますが、
少なくともみんなの顔色を伺っているようなリーダーにはついて行きたいと思う人は少ないし、その時は嫌われたとしても後から「あなたのおかげで」と言われる日が来ると思います。

どんな小さな組織でもリーダーになったら色々なことに責任を持たなければなりません。心を鬼にしてよりよくなるよう頑張りましょう⚐

まとまりのない話になってしまいましたが最後まで読んで下さってありがとうございました。

次は「高校編」です!

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