私を奪わないで

この前、自分のサブスクツールを管理してたら気づいたことがある。

もともと、そういう傾向があるんだろうなと思っていたけれど、データで可視化され突きつけられると、う〜むと納得せざるを得ない。

それは、広告が嫌いということ。
課金しているサービス、ほとんどが広告をオフにするものだった。

TwitterもInstagramも今のところ無料だけど、広告をオフにできるプランが出たら迷わず課金する。

ビール会社のサッポロも好きだけど、もしも課金することで広告抜きにできるなら、箱根駅伝だってそうやって見たい。

WordPressでブログ運営しているのでAdSenseを貼ってあるけれど、文中に広告が出てくるのが私自身すごく嫌いなので、見出しの下と最後にしか貼っていない。

いつか、広告を消したいと思っている。

ポストに投函されるチラシは見ないまま捨てる。
気になるアプリも、広告の内容や扱い方にイライラしたらすぐ消す。

ステマもすごく苦手。
PRタグや記載のないコンテンツを発信しているインフルエンサーや企業は、おたくのリテラシー大丈夫ですか?って気持ちになる。


だから、昔から「暮らしの手帖」という雑誌が大好きだ。

朝ドラでも題材にされたのでご存知の多い方も多いと思うが、この雑誌には一切広告が載っていない。代わりに付録も何もついないないのに、1冊1000円以上する。

母がずっと購読しているので、私も小さい頃からずっと読んできた。
だから、赤文字雑誌のようなもはや広告コレクションでは?と思うような雑誌をみたときびっくりした。

この雑誌のメインの企画はなんなの…?
この香水を売りたいの?
それとも、本当にこの香水を応援したいの?
そう思ってしまった。

知り合いに広告業界の人もいるから心苦しいけれど、こういう人間もいるのだ。

まぁ、私だって患者さんから面と向かって

この娼婦あがりの看護婦め!

と言われたことが一度や二度じゃないので、すべての職種が万人から好かれるなんてことは難しい。同僚の医師がヤブ医者めって言われてる姿もたくさん見てきた。

看護師の歴史を辿ると、娼婦あがりな部分があるのは確かだしね。


話を広告に戻そう。
たぶん、広告が嫌いなのは、私の意図に反して奪われるのもが多いから。

テレビCMは、コンテンツのあいだに勝手に挿入される。
こっちは見たくないのに。

アプリもそう。
私の時間を奪う。

チラシは私の手間を奪う。
この前、お墓のチラシが入ってた時はさすがに笑った。
このマンションに住んでいる人たちの年齢層と国籍、ご存知?って思っちゃった。

それに、チラシを回収し束ねて捨てる手間をなんだと思ってるんだろう。


その反動なのか、信頼している人からのおすすめは全力で信じる。

化粧品に関しては、shokoさんとYuukaちゃんのフィルターを通ったものしか見ていないし、ガジェットに関してはあかねちんにいつも相談している。フィットネス関連は関さん、フリーランスに関する情報は大河内先生、のように。

私がライター、特に記事広告に向いていないのも、こういう背景が関連しているように思う。

本当に美味しいと思っていないものを美味しいなんて書けないし
おススメできないものをおススメするなんてできない。

ならば、お金が発生しなくていいから、好きなことを好きな場所で好きな人たちに届けるほうが、精神衛生上ずっといい。

自分の信用も失わないで済む。

きっと理想のかたちがあるとしたら、自分が全力で勧めていたものが結果的に届ける側や企業側を動かし、いずれ協働していく流れかな、と思う。

私たち消費者側にもリテラシーが問われている。

自分の目と手でよく見極めなさい、と言っていた祖父の言葉を今になって噛み締めている。

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