自己肯定感も薬局で買えたらいいのに
看護師という仕事は、気を使うことそのものだと言える。
患者家族–医師間の連絡調整が主な業務の一つなので、どちらも立てつつ穏便に着地点を見つけるのは得意中の得意。
もちろん、求められたら自分の意見も言うけれど、患者さんや家族にとってベターな未来になるように再編集して伝える。だから、厳密にいえば私自身の意見ではなく、患者家族にとって都合のいい意見になる。
こういうPDCAを10年近く回しすぎたせいか、最近プライベートでもこの兆しが出てきた。つまり、自分のやりたいことや願望が霞んでいる。
前に、相手に与える情報量に気をつけているというnoteを書いたけれど
最近は、情報だけじゃなく自分の存在自体が相手にとって邪魔にならないように努めようというスタンスが出来つつある。
やりたいことや行きたいところを思いついても、これは誰を幸せにするのか?と考え始めると、私自身を含め誰も幸せにしないなという結論に辿り着き、結果何もなかったことになる。
こういうことを、この1ヶ月近くずっと繰り返している。
予定を入れるのも慎重になった。お金の発生する案件、例えば美容院やコンサルタントのほうがまだラク。相手にお金という対価を払うことで関係に妥当性があると、フラットだと思えるから。
その点、アポがダメ。
相手の時間を奪ってしまうのではないか、とためらってしまう。
この人とアポの約束をしたとして、私は対面で会うに値するような価値が提供できるのか。
この人と楽しい時間を過ごすとして、相手の望むことを私が叶えられるの…?
私なんかと過ごすよりも、はるかに生産性の高い時間の過ごし方があるはず…!
と、こういう思考回路に陥ってしまう。
だれかとご飯を食べに行くことや、映画にいくのも今は、ちょっとムリ。今月はこれ以上、予定を入れたくない。
同じ理由で、電話もムリ。
今、この瞬間を私に費やしてもらうなんて、申し訳なさすぎる。
テキストのやり取りがやっと。フリック入力を体得してて本当に良かったと思っている。これだけは速い自信がある。
今はLINEだけじゃなく、メッセンジャーでもいい感じのスタンプも多い。困った時は神頼みではなく、私の中ではスタンプだ。
こんな具合で、自己肯定感が日に日にどんどん下がっている。
特に、何かがあった訳でもないんだけど、そういうものこそ厄介よね。
もともと、ウィルス並みの自己肯定感だった私だけど、去年いろいろと努力が報われることがあって、やっとミジンコ並みになってきた。
なのに、逆戻りだ。
どうしたら、自分の存在を良しとすることができるんだろう。
今の私には、自分の良いところが見つけられないし
仮に見えたとしても目が弱り過ぎて直視できない。
こういう症状に効くお薬があったらいいのに。
ね、神様?
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