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誰の意志で、あなたはここに?

看護師になったきっかけについては、過去のnoteでも書いてきたけれど

私が看護師になった理由
時代なんて、簡単に変わってくれないから

それ以前から、生物や人体への興味は尽きない子どもだった。

高校時代、先生の計らいでマウスの解剖実験をさせてもらった時はテンション爆上がりだった。

だいたいの生物好きは、生物オタに近いものがある。
5〜6限の時間を使い、それでも足りなくて放課後まで実験・観察をしていた。

マウスの命を使って勉強させてもらっているんだから、どの組織も無駄にしてはいけないと、その時から倫理観みたいなものが芽生えていた気がする。

看護師になってからは手術見学も何度かさせてもらった。
看護師といえど血がムリな人も結構いて、私の同期は手術室で意識消失していた。以後、彼女は手術そのものがトラウマとなっている。

私はというと、その帰りに焼肉を食べれるほど余裕であった。
医療関係ではない友人にこの話をしたら、信じられない!と人間であることを否定された。

気づいた時から、根っからの外科人間であった。


そんな私が、明確に人体への興味をもった瞬間がある。
今回はそのお話。


たしか、小学校低学年くらいだったはず。
両親に連れられて人体の不思議展に行った。

行ったことのある人はご存知だと思うが、結構アグレッシブな展示が多く、手術室で意識消失をするような人には不向きの展示となっている。

その時に見た、ある展示が忘れられない。


それは、お腹の中に胎児がいる状態の妊婦さん。
たしか臨月だった。

しかも、それがCTスキャンのごとく、輪切りにされた状態で展示されていた。

その展示をみて、びっくりするより前に

この人たちは、誰の意志でここにいるの?

と、思った。

本人達の意志なのか
家族の意志なのか
医療関係者の意志なのか。

それが、すごく不思議だった。

このお母さんと、もうじき生まれてくるはずだった赤ちゃんは、望んでここにいるんだろうか。
こうやって多くの人の目に触れることを、知っていたんだろうかって。


看護師になった今、少しだけ視野が広がったから言えるだろうが、おそらく、あれは日本人ではないと思う。

倫理的にも慣習的にも、お骨がかえってこないことをOKするとは思えない。

そして、お金も多少なりとも動いただろう。
実際問題、亡くなった人のご遺体を管理するにはそれなりの施設や薬品がないと厳しい。

ご遺体を売るという、日本では相対的にも絶対的にもアウトな価値観。

これらをふまえると、海外の人の展示だと言える。
本当に、本当にありがたい。

幼いながらに、献体してくれたこの人や周りの環境に感謝して、受け取れるだけ受け取って帰らないとダメだと思った。

おかげで、私は、臨月の赤ちゃんがどれだけ臓器を圧迫しているか、ビジュアルでイメージできるし、それはもう細かく説明できる。


それから。

適切な言葉が見当たらないけれど、いわば標本として完璧な状態だったあのお母さんと胎児は、どうして亡くなってしまったんだろうと、今でも考える。

きっと、亡くなった理由も展示のそばに記載されていたんだろうけど、小さい私には漢字が読めなかったので何も覚えていない。

自殺じゃないといいんだけど。



この週末、記者会見や選挙のコメント、炎上商法など、目の前にいる人の行動と実際の意志がズレている場面をたくさんみた。

意志と行動のズレは、見ていて気持ちのいいものではない。
しかも、それが本人ではなく他者の介入によるものだと、なおさら。


それで、あの人体の不思議展でみたお母さんを思い出した。
意志と行動はセットなのに、それが乱れているのは健全じゃない。


あの場にいたことを
たくさんの視線に晒されることを
お母さんも赤ちゃんも納得していますように。

そう願わずにはいられなかった。



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