見出し画像

いのちを味わい尽くすために

自分のお皿に取り分けたものは
残してはいけないよ、絶対に

ひいおばあちゃんの教えだった。
食事のたびに言われていた。

そのおかげか
今もなお、すくすくと成長している
(そろそろ止まってほしい……)

残してもいいから
いろんな味をいろいろ食べたい!
という人もいるだろうけれど

私はそういう人とは相容れない。

料理ができあがるまでの手間や時間やお金を
一体なんだと思っているんだろう……

残す前提で頼むなんて
作った人への敬意が感じられない……

と思ってしまうのだ。

一度、箸をつけたものは残しておけない。
唾液に含まれる微生物によって
傷むのが早くなってしまうからだ。

だから、食べられない時は残す。
お皿に取り分けたのに残ってしまったものは
捨てるしかないのだ。

そして、出されたものは
出来るだけ全部食べる。

フレンチやイタリアンでソースが残ったときは
バゲッドにつけて全部食べるし

エビフライの尻尾も食べる。
カリカリしていて好き。

残すという選択肢が基本的にないので
残すくらいなら食べない・頼まないがデフォルト。

食べることも作ることも大好きだから
食べものを残す・捨てるにとても敏感なのだ。

加えて、こういう経験をしてきたからだとも思っている。


最初に、高校での授業。

私たちのクラスはみんな生物オタクの集まりだった。
当然、生物が好きだから学習スピードも早く
60時間ほどの授業を48時間まで巻いて学習していた。

こういうことを、先生自らが提案してくれるような校風だったのだ。

残りの12時間は
隣の大学の敷地にある牧場を散策したり
NHKのドキュメンタリーを見たり
植物研究室の標本をみたり

学習指導要領には載っていないけれど
これから先の人生を豊かにしてくれるような時間を
めいっぱい設けてくれた。

中でも印象的だったのはマウスの解剖実習だった。

ガスで殺すところから見せてくれて
ひとり一体ずつ、解剖していった。

マウスも殺されるために生まれてきたわけじゃありません。
いのちを使って勉強させてもらうのだから
そのいのちをめいっぱい味わい尽くすこと。

このクラスは医療系に進む人が多いのだから、なおさら。
いのちに感謝し、次のいのちのために尽力しなさい。

ということを、先生が話していたのを忘れられない。

目の前のマウスが、どんどん展開されていって
臓器の位置や仕組み、消化管の繋がりなど
教科書や映像ではわからないことを
五感でまるっと理解できた。

忘れられないのは、匂い。
動物の、どんどん腐敗が進んでいく、あの匂いだった。


次に、人体の解剖実習。
これは、看護学生の時だった。

私たち看護師は、たとえ相手がご遺体であろうと
ここ日本では、メスを持つことが許されていない。

だから、医学生が解剖しているのを見学するだけ。
ちなみに、医学生はひとりにつき一体の解剖が基本だ。

解剖のためにその身を捧げてくれることを献体というが
そうして、献体してくれる人のおかげで
医学生は人体についてより深い理解を得ることができる。

それは、私たち看護学生も同じだ。

余談になるが、海外では医療関係者じゃなくても
メスをもって解剖させてくれるプログラムがあるらしい。

私が通っている整体の先生は
解剖と人体に魅せられてしまい
毎年、数十万円かけて勉強しにいっている。

非常にデリケートな問題だけれど
あえて言及させて欲しい。

日本では、献体といえば高齢者ばかり。

もちろん、それはとてもありがたいことだし
学習としても十分ではあるのだけれど

やはり老化や損傷が激しい場合もあるので
若い成人男性の献体などがあると
解剖する側としては、申し訳ないが、ちょっとアガる。

海外では、献体の文化がきちんと育まれている地域もあって
そういうところのご遺体は、いわゆるアガる献体ばかりなのだそうだ。

私も、生きているうちに一回はいってみたいのだが
まる1週間、ご遺体と向き合うらしいので
メンタルとフィジカルを十二分に鍛えておかなくては…
などと思っている。


脱線してしまった。

やはり、医療職だからということ
そして、小さいころから美味しいものをきちんといただく、ということを叩き込まれているせいか

作ったものを残されたり
捨てられたりすることが
つらくてたまらない。


だから、去年のnote酒場での光景は、非常に残念だった。

誰も明言していなかったから
これまで書かなかったけれど
今年のnote酒場でやりたいことを考えていると
どうしても、あの場面を繰り返したくないと思ってしまう。

それは、大量のフードロス

うすいさんをはじめ、公式のnoteをご覧いただければわかると思うが、去年は数万円の赤字が出た。(その後、note内で回収し黒字化している)

それは、つまり仕込んだ料理が多すぎたことを意味する。

みんな、お話に夢中になってしまった。
それは、いいこと。いいことなのだ。
そのための、note酒場なのだから。

そして、私たちスタッフもフードのイベンドのプロではないから
見込みや予測が甘かった。

言い訳のしようはないのだけれど
イベント終了後、大量の料理を破棄したのだ。

そういうことを見越して、私は持ち帰りのバッグなど持っていったのだが、それを上回る残飯だった。かなしかった。

午前中しか手伝えないからといって
おでん用の大根をずっと切っていた青年が
これを見たらなんて思うんだろう…

みんな、一生懸命仕込みをしてくれたのに
なんでご飯たちは
胃の中じゃなくてゴミ箱に入っていくの…?

楽しかった気持ちとともに
こういうかなしい気持ちも引き連れて
私は帰路についたのだった。


noteの世界では
そういう自覚がない人も
スキが全然つかないと嘆いている人も
おすすめに入ったことがなくても
有料のコンテンツを販売していなくても

みんなクリエイターだ。
自身の創造性を、ここに置いて広げているのだ。

みんなみんな
発信者の端くれのはずだから
わかると思うけれど

あのnoteマジでつまらなかった、とか
買った意味なかったわ〜、とか

絶対言わないと思う。

そう思ってしまったとしても
それをとどめておく社会性を
みんな身につけてるはずなの。

自分が生んだコンテンツが
人の目に触れなかったり
反応がなかったり
ましてや、ゴミ扱いされることに
人一倍、敏感であると思うから。

だったら
だったらどうして

リアルなイベントでも、同じことができないんだろう。



note酒場に求める目的なんて
ひとりひとり違うと思うけれど

フードやドリンクだって、立派な要素のひとつ。
みんな、善意でお手伝いしてくれている。

有賀さんや樋口さんのお料理なんて
一般の人は、口にすることも出来ないんだよ?

だから

どうか
どうか
その善意を踏みにじるような真似はしないでほしい。

余ったらそのままでいいや
どうせ捨てればいいや、なんて思わないでほしい。


メニュー、とても美味しそうだけど
余ったら全部ゴミ箱行きだ。


ここまで長々書いてきたけれど
あらためて、私がnote酒場でやりたいことは

フードロスを極限まで減らすこと

去年の反省を活かして
食材管理は、よりベターになっているはずだけど

それでも

お肉もお魚もお野菜も
ゴミ箱を目指すために
生まれてきたんじゃない。
育てられたんじゃない、と強く思う。

ロスを0にすることは難しいかもしれないけれど
生まないための努力は誰だって出来る。

わたしも、あなたも。


貴重な時間を使い、最後まで記事を読んでくださりどうもありがとうございます。頂いたサポートは書籍の購入や食材など勉強代として使わせていただきます。もっとnoteを楽しんでいきます!!