二万日後

私は今から50年前(1963~1967)津田塾大学の数学科で学んだ。
卒業後は大阪の工業高校で一年教えただけで、数学とはあまり縁のない生活をしてきた。
ゼミの松阪和夫先生(1927~2012)ともずっと年賀状だけの関係だった。
それも先生らしい謹厳実直で無味乾燥な「謹賀新年」とある、面白くもなんともない賀状だった。
 

  
  「二万日後」
          (2012,12)
           
ある時、紀伊国屋の数学コーナーで松阪先生の「数学読本」(6巻)を見つけて、二冊買って少し読んでみた。
その本の書きぶりの、あたたかさというか、こころやさしさ、読者を何とか引っ張っていこうとする熱意のようなものを感じ、数学の本でそんなことを感じたのは初めてだったのでびっくりした。
しばらく読み進んだが、日々の生活に取り紛れ、演習問題などする余裕がなく途中やめになってしまった。(20年くらい前)
 
 これとは全く別に、また本屋さんで「数学にときめく」(新井紀子著ムギ畑編)という文庫本(講談社blue backs)を見つけた。
これはなかなか面白くて、ネット上の数学教室に読者が自由に書きこむ、というものだ。問題は「無限って何?」とか「オセロの不思議な法則」だったり。今頃はこんな取り組みがあるのかと驚いた。(15年くらい前)
 
それから数か月後、たまたまNHKラジオのインタヴュー番組を聞いていて、それが新井紀子さんだった。彼女は経歴の中で、一ツ橋大学法学部在学中に松坂先生に出会い、その影響で数学に転向してイリノイ大学に留学したという。
松坂先生が津田の後、一ツ橋に行かれた話は聞いていた。新井紀子さんは、師である松坂先生のことを熱く語っていた。
彼女は今、国立情報学研究所の教授をしているという。最近、ロボットに東大を受験させる取り組みで話題になった方だ。

 それとはまた別の話。
そのころ私は同窓会岡山支部の支部長をしていて、支部長会に出席した。ちょうど同窓会が公益法人になるとかで諸問題が山積していて、代々木の青少年センターで一泊しての会議だった。全く知り合いもいない中、江尻先生を見かけたので、話しかけてみた。
「先生、私は先日、松坂先生のお名前をNHKラジオで聞いて、びっくりしました!」 すると江尻先生は
「あなた、松坂先生がご本をお出しになったのをご存知? 自家出版なのだけど、素晴らしい本なのよ」
「ぜひ読ませてください、お願いします」

数日後送られてきた分厚い本が「二万日後」である。
夢中で読んで、その描写力の緻密さ、表現力の豊かさに驚かされた。

二万日とは、54年と290日。
体の弱い先生は2万日まで生きていられるだろうか、という思いがあった40代50代のころに書かれたエッセイのようだ。
先生のことを知らないことだらけだった。
箱根の山中の温泉地で育った子供時代、戦後の混乱の中で希望を持てない青春時代、濃密な恋愛体験。
また、自宅から西武線大泉学園駅までの何でもない武蔵野の風景の描写、読んでいて、本当に心がワクワクした。

授業中は、脱線も個人話も一切なかった。
でも、そういえばゼミのお別れ会を国分寺のお寿司屋さんの二階でした時、先生はシャンソンの「枯れ葉」をフランス語で歌われて、その意外な一面に皆あっけにとられたことがあった。

思い切ってお手紙をだして、ささやかな本当にささやかな交流が生まれた。いつも奥様が撮られた花の写真の大型絵ハガキに、先生らしい几帳面で細かな万年筆の文字で、お便りを頂いた。病気と向き合いながら、穏やかに暮らしている様子、献身的な奥様の介護に心から感謝されている毎日を、小さな字でびっしり書いてあった。

卒業して何十年もたって、いくつもの小さな偶然が奇跡のように繋がって、本当の松坂先生に出会うことができた。
先生は当時30代の後半で、さわやかで誠実で、教育熱心で、青写真(初期の複写技術)でプリントした演習問題など作ってくださった。

高校までは数学は好きな教科だったけれど、大学も3年になって専門科目が増えるとさすがに難しい。東大を定年退官したというM先生の「位相解析」はさっぱり分からなくて悪夢の様だった。前期の試験の時は原因不明の「接触性じんましん」で身体中が赤くはれ上がり、大変な思いをした。
早く数学から解放されたい一心で、松坂先生の丁寧な教え方を頼りにゼミをえらんだ。

そんな私が、今先生と親しく手紙のやり取りをしているなんて信じられない。卒業40周年の同窓会にお招きすると、透析の合間をぬって奥様に車椅子を押されて参加してくださった。
3万日後、82歳と70日の時は、お祝いのお花を送った。

 いつも、受け取った年賀状を見て賀状を書かれていたそうだ。
2012年1月5日、訃報を受けた翌日、先生の添え書きが一行ある年賀状を受け取った。
葬儀には東京在住の級友Hさんと一緒に参列した。無宗教のとても心温まるいいお葬式だった。
世捨て人のような先生の生活を勝手の想像していた私は、練馬区の葬儀場に集まってこられる、大勢のかくしゃくとした紳士たちに、圧倒された。
鎮魂歌は「亡き王女のためのパヴァーヌ」が流れ、献花は「ブランデンブルグ協奏曲第4番」の中で行われた。
きっと先生がすべてプロデュースされていたのだろう。
先生の経歴や業績が披露され、お弟子さんの一ツ橋の名誉教授の真摯で心温まる弔辞、新井紀子さんの涙をぼろぼろ流しながら張り裂けそうな悲しみの弔辞、印象的であった。

 そんなことで先生の奥様とも少しお付き合いさせていただいている。
奥様は3万日のお祝いに送った胡蝶蘭の花に、花芽が付いたと写真を送って下さった。奥様はとても「いのち」を大切にされる方だ。奥様の献身的な支えがあって、先生は3万日後を迎えられたのだと思う。
先日の50周年同窓会の時、大泉学園のご自宅を訪問させていただいた。

その折、先生の本が文庫になると伺った。
それは、ちくま学芸文庫「現代数学序説」で、シリーズには、志村五郎、高木貞治、彌永昌吉、遠山啓、銀林浩、森毅など錚々たる数学者の名前が並んでいる。
 二万日も生きられないと思っていた先生は、奥様の手厚い介護のもとに、3万日と70日の長寿を全うされた。
その間に、数学の入門書をたくさん書かれた。
今でも紀伊国屋の数学コーナーには岩波から出た先生の本が並んでいる。
どれも数学の入門書であるが、優しく暖かく、これから数学をしようという人への愛があふれている。
アマゾンを見ても沢山の著作がある。

ほんとうに控えめで、少しもそんなそぶりを見せなかったけれど、実はすごい先生だったのだ。
そんな先生に教えていただき、ご縁を頂いたのだと、自分の幸せをかみしめている。

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