三枚の久留米絣

2006年、福岡県広川町の商工会が「久留米絣と私」というテーマでエッセイを募集していることを知った。
 私にもひとつ思い出がある。
応募したところ採用されて、「久留米絣のある風景」という写真と共に綴られた小さな冊子が届き、記念品として、久留米絣の端切れ10枚が入っていた。
さて、これを何に使おうか。袋を作るにはもったいない。
 藍と生成りのデニムの生地で帯を作ることにした。前の部分とお太鼓の所に、貰った久留米絣を張り付けると、なかなかシックな出来上がり。
木綿の帯は滑らなくて、締めやすい。
「自分で作ったの」と吹聴しながら、よく着た。普段着っぽく着物を着たいという私の望みにぴったりだった。


  三枚の久留米絣      
           (2006、10)
 
 私は久留米絣の着物を3枚持っている。
結婚して間もないころ、夫は久留米の学会に出かけ、私と姑と私の母に久留米絣を買って来てくれた。
それぞれ藍地に、私のは赤が入った模様、姑のは白い柔らかな線描き、母のものは幾何学模様で、皆によく似あった。
 三人の子供を育てている頃は、着物を着る余裕はなかったが、少し落ちついた頃、ちょっと着て見ようかなと思って手に取るのは、決まってこの久留米絣だ。
 久留米絣の何たるかも知らなかったが、寒い時は暖かく、暑い時は涼しく、軽くて身によく添う。藍の色はどんな時も私の気持ちによく馴染んで、違和感がない。
 私を温かく迎え入れて、様々な事を教えてくれた姑は72歳で、終戦引き揚げの苦労をして強く生きぬくことを身をもって示してくれた母は86歳でこの世を去り、私の手元に3枚の着物が残った。
 私は当時の母たちの年を越えて、母たちの着物がぴったり似合う年ごろになった。
 夫は現在67歳、白髪もだいぶ多くなった。はるか昔、久留米絣を買ったことを忘れているようだ。
 それにしても若かった夫が、どんな顔をして一人で店に入り、どんな風に三人の女性の話をして、着物の柄を選んでもらったのだろうか。
そんなことを想像すると、ひとりでにおかしさがこみあげてくる。

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