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アラフィフを軽やかに生きる考え方

50年以上生きていると、人生相談を受けることがよくあるんです。
ちょっと今回は、テクノロジーでも教育でもデザインでもないテーマで、私個人の感じることを書いてみます。

昭和のあしあと

仕事をしている中ではあまり同世代の人がたくさん自分の周囲にいる状態を経験できないのですが、仕事とは関係ない場所で知り合う同世代の方々から定期的に受ける相談にパターンがあるなと気づきました。

私にとってその相談内容はかなりの違和感だったのですが、しかし何人もが同じようなことを相談してきます。
そこで、その正体はなんだろう?と不真面目に考えていました。(ふざけてという意味ではなく、最優先ではないという意味)

最近やっと「それってもしかしたら昭和のあしあとなのかも」と思いました。
順番に述べていきます。

男性が払うのが当前という風習について

あるカテゴリーのお店に入る際、入場料というのが必要なのですが、
男性と女性で金額が違うんですね。これは口にはしませんが個人的には結構な違和感を覚えました。ラッキー!とは思いますけど。
さらに、色々あるのですが割愛します。

しかし私がハタチの頃と比べると、収入が多いのは必ずしも男性とは限らないという時代になりました。

私はかれこれ10年ぐらい専門学校の先生の仕事をしているので、常にハタチぐらいの若者と接しています。
彼らは、アラフィフの我々世代よりもはるかに合理的だなと感じることがよくあります。

例えば、ご飯を食べに行くという行為。


重いものを運ぶとか、真冬の凍てつく日に外を掃除する当番とか、そういうのは「俺がやるからいいよー」ってすごくさりげなくバトンタッチしている感じがします。
私の世代はもうちょっと濃かった気がします。「俺に任せとけよ!(どうだかっこいいだろう)」的な空気です。
※良し悪しに言及していません。時代の流れによる価値観の変化を端的に記述しているだけです。


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