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優しくないのではなく気づいていないのかもしれない

私は東京に住んでいて、これは個人の見解ではありますけれど、街を歩いていると道ゆく人の多くは優しくないわけではなく、そもそも気づいていないんじゃないかなぁと思うことがあります。

たとえば満員電車で目の前に高齢の方や杖をついている方、妊婦の方や重い荷物を疲れた顔で抱えている方がいても、席を譲らない人のだいたいは、イヤホンをしてスマホを見ている、その耳は塞がれていて、その目は小さな四角い画面にしか注がれていないのではないかと。
電車の中でもそうなら、最近は歩きスマホの人だって割といる。
だから実は、自分の周りで起きていることに気づいていないってこともあるんじゃないでしょうかね。
ながらスマホ自転車の人が歩道の向こうから来ても全然よけてくれないとかね。(これは普通に危ないのでやめてほしい)


というのをこの前、視覚障害のある知人が、「間違って赤信号で道を横断してしまったのに誰にも止められなかった」と話していたのを聞いて思いました。
状況をよく知らないから想像でしかないけど、もしかして電車や駅ホームからの転落事故だって、転落してしまう前に「なんか危ないなあの人」って注視している人がいたら防げたんだろうかとか、そんなことまで考えてしまう。

困るとまではいかなくとも、ちょっと空いている電車だとみんな一人分空けて座るんだけど、そこに二人連れが乗ってきたら、詰めればその二人連れも並んで座れるじゃないですか。というのは、東京のだいたいの電車は横一列7人がけシートが多くて、私が席を隣にひとつずれるだけで、「ありがとうございます」と言われることが結構あるからなんですけど。
もちろん、そうしなければならないルールはどこにもないです。かくいう私も体調不良なときは、寝たふりして座り続けることもあります。だから決して偉そうなことは言えないんだけどさ、それでも。

プライベート空間じゃないところでは、画面の向こうじゃない、目の前の現実世界に、もう少し関心を向ける瞬間が増えてもいいんじゃないかと、住みやすいまちづくりってそういうところからでもいいんじゃないかなと、思うことが少なくないので書きました。


技術は進化してゆくけど、それについていけるほどマルチタスクのできる人間は少ないんじゃないかな、と思っています。

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