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証をください

 私には何もない。
 若さも、人気も、おっぱいも。
 何もないアイドルなのに、どうして私が選ばれたんだろう。

 芸能界でのキャリアは何年だったっけ。
 私は心が空っぽになるような日をたくさん経験したが、こんなにも……世界がモノクロに見えることはそうそうない。
「藍里ちゃん、お久しぶりです」
「え?」
 その人があまりにも鮮やかだったから。
「あ……朝比奈夏希、さん……ですよね」
「ごきげんよう」
 少しボーイッシュで、可愛らしくも大人っぽい声に打ちのめされた。
「あぁ、やっぱりだ……」
「何が?」
「やっぱりあなたが近くにいるとすげぇ……すげぇ……あ、あの、夏希ちゃんそりゃないぜ」
「えへへ」
 芸能事務所、とあるプロジェクトでの顔合わせ。
 数年ぶりに面と向かって喋ったのだが、やっぱり女子力は向こうの方が上だなぁと思ってしまった。
 亜麻色のボブヘアー、少しピンクっぽいルージュ。
 薄手のスーツを羽織って、メガネをかけた姿は仕事のできそうな女性って感じだ。
 でも彼は彼女じゃない……それに、彼はもう私の後輩ではない。
「朝比奈って名乗るのはもう辞めるけどね」
「あ、あぁそっか……そうなんだ」
 この人は顔立ちが幼いせいか、私と同い年ぐらいの女性に見える。
 しかし本当は三十路を過ぎた男であって……ここ数年体調を崩し、それがなかなか回復しないので俳優業は既に辞めたというのだ。
「辞めたはずなのに、どうしてあの人はしつこいかなぁ。どうしてもってうるさかった」
 私は微妙に居心地の悪さを覚えた。
 最後まで迷いに迷って、朝比奈の名義と俳優は辞めるけど芸能界には残るかも、と言っていたらしいが、それが本人の意思なのか何なのかはよく分からない。
「……夏希ちゃん」
 口の中が渇く。
 ペットボトルの緑茶を飲むが、あまり美味しいとは思えず。
「どうして戻ってきたの? 俳優も、声優ももうやらないって言っておいて」
 私もだけど、それ以上に戸惑いを見せていたのは夏希ちゃんの方だった。
「……うん……ま、本当にあそこの誘いを受けるかどうかは話し合いしなきゃなんだけどね」
「うちみたく、グラビアでも舞台でもってことはないけど……その代わり、あそこは」
 マッチョと女装家しかいないようなとこ、と口を挟んできたのは、吉良(きら)なな子という人だった。
「駄目よぉ、本気なの? 朝比奈くん」
 彼女は半分茶化すような口調で言った。
「あなた女の子にモテまくってたのよ? あんなとこ入ったらその価値をドブに捨てるようなもんじゃないのよぉ」
 女の子にモテたとは何だと私が聞くと、待ってましたとばかりに吉良さんはニヤニヤしだした。
「あのね、こいつ御影彼方(みかげ かなた)がツバつけようとして失敗させやがったの。あの『きらカレ』の御影彼方がよ?」
 御影さんの話はちょっと、というのが顔に出ているが、夏希ちゃんは営業スマイルを浮かべて耐えていた。
「ま、マジか……私、夏希ちゃんは水着とか、コスプレっぽいの着てるイメージしかなくて……全然知らなかった」
 御影彼方に……女の人にモテてたのか……とうなだれていると、彼は「え? 藍里ちゃん、同性にモテたかったの?」という妙に抜けたことを言った。
「あいり……」
 あ、そういえば名前は聞いてたけど顔までは覚えてなかったわ、と吉良さん。
「あ、あなたが『あかりん』のお姉ちゃんなのね! 地味すぎて分かんなかったわぁ!」
 うっ!
「なっ……なな子さん、あなたが正直な方なのは知ってますけどその言い方はあんまりです」
 夏希ちゃんがオロオロしているというのに、吉良さんはいたって平然としていた。
「だーってぇ。グラビアアイドルなのに華がないっていうの、本当に大丈夫なのって心配になっちゃうのよ。朝比奈くんだって思わない?」
「いや……思いません。あの僕、彼女と一緒にそれなりに仕事してたんですからね? もう五年は前の話ですけど」
 必死でフォローしてくれてるが、吉良さんの言い分は図星である。
「あぁ、やっぱり……私、きっと心が女じゃないんだ」

 だから私は夏希ちゃんの代わりで、夏希ちゃん未満の存在でしかないんだ。

 今回は事務所の後輩、それから、吉良なな子さんのような人たちで一緒に、本物のアイドルを作るらしい。
 ……本物のアイドルって何なんだ。
 言い方矛盾してないか?
 私が内心でモヤモヤしていると、夏希ちゃんはすかさずスタッフを質問攻めにしていた。
 あぁ、覚えている。
 こういう、真面目で面倒な「朝比奈夏希」を。
 どうしてか周りの人間を巻き込んでしまうような、あの嵐でも秘めたような雰囲気を。
「はぁ……出たよ、朝比奈くんの屁理屈。よくこの場にいられるわねぇ。モノを言える乙女は羨ましいわ」
 吉良さんに皮肉めいた言葉を投げられ、照れ笑いする彼が、遠い存在のように思えた。
「いや、なな子さんいいんですよ。今度は……今度こそは、ユニットの皆さんご本人が自分らしい芸能活動ができるようお手伝いしたいもので」
 そうやってうちのマネージャーはニコニコしていたが、背中にはきっと冷や汗が流れているのだろう。
 だって私の立場は。
「……それが……それで私は、朝比奈さんの代役なのですね」
 所詮その程度なのだ。
「だって昔からキャラ被りだとか言ってたでしょ? 同じような奴は二人もいらないって」
 ……貴重な顔合わせで、話し合いのはずなのに、一気にその場が凍ってしまった……!

「ごめんね、藍里ちゃん」
 休憩時間、塞ぎ込んだ私のことを吉良さんは気にしてくれた。
「あたし、あなたに意地悪してたみたい」
 私は首を振った。
「でも……これで分かりました。何となく」
「え?」
「『だったら本当に僕の代役でしかない……だから君にはイメージカラーなんていうのも割り当てない』。そこで、あぁそうだった、私……本当は彼のライバルだったのにって」
「そうよ」
 朝比奈くんのあの声……結構なマジギレだったと思うわ、と吉良さんは苦笑した。
「ね、どうしてあそこまで本気なのかは分からなきゃ駄目だよ? 朝比奈くんにふさわしいライバルになりなさいよ、ちゃんと」
「でも……無理です」
「大丈夫、藍里ちゃんならあの子に見放されることはないわ」
「無理。だって私、女なのにあの人にずっと負けてる」

 私は覚えている。
 朝比奈夏希が、自分を「僕」だという理由。
 自分を女性的な言葉で定義するのはどうしても気持ち悪いのだと。
 だから心のどこかで安心していた。
 この人は偽物だ、私とは違う世界にいるのだ。
 そうやって自分に言い聞かせながら、いつも背中を見つめていた。

 だけど……
 だからこそ、自分の心を切り裂かれるような気分に襲われる。
 だって、脂っぽいはずの肌をメイクでごまかすのが完璧なんだもの。
 つけまつ毛をつけたその目元が、あまりに自然なんだもの。
 あぁどうして。
 男のクセにそんなに綺麗なんだ。
 どうしてそんなにカメラを向けられるだけの人気があるんだ。
 くびれなんかないし、そのおっぱいだって偽物だっていうのに。

 昔から、私は負けていた。
 アイドルとして? ……いや。
 それ以前の話として。

「藍里ちゃん、さっきは本当にごめぇん! ねーねー、おごるからさぁ、あたしらとご飯一緒に食べに行かなぁい?」
 顔合わせで色々と気を遣ったのか、夏希ちゃんは疲れているようだった。
「朝比奈くんは? あぁ……病み上がりだったわね。お姉ちゃんちでゆっくり休ませてもらいなよ」
「はい、そうします」
 私は、夏希ちゃんのいない外食がやや不安になった。
「……なな子さんこう見えて優しいから」
 それを察したのか、優しくささやくような声で彼が声をかけてくれた。
「なっ、何よ! こう見えてって!」
「じゃあお先に失礼します」
「失礼するんじゃないわよぉ!」
 わざとらしくプリプリ怒る吉良さんは、私よりも一回りは年上なのに可愛かった。
 さすが、小学生の女の子役もやれる声優である。

 彼女が連れて行ってくれたのは、味噌ラーメンの美味しい店だという。
 何だろう……思っていたよりおじさん臭い。
「ねーねー藍里ちゃん、他の子たちはまだ収録残ってるんだってねぇ。羨ましいなぁ」
「うん。こっちも未成年だったり、他の仕事だったりして……ねぇ」
「寂しいよねぇ」
 さっきの、外のうだるような暑さから開放されたのはいいものの。
 あまり会話のネタが思いつかない。
 私はただ黙々と枝豆とザーサイばっかり食べている、変な女に見えているのだろう。
「ねぇ藍里ちゃん。あなたも朝比奈くんのこと好きだったの? 『嫌よ嫌よも好きのうち』って言うじゃん」
 私は深いため息をついた。
 その質問、別の男の人からもされた。
「同じ事務所だった時は、よくゲーセンで遊んでたりしてました。でもそれは別にデートとかそういう意味じゃなかった」
「うっそだぁ。だってあの子、男のカッコすると超イケメンだよ? あたしも独身だったらなぁって思ってたの」
 あぁどうしてそういう話に持って行くのだろう。
 悪いが私は処女だ。
 それどころか、生まれてこのかた彼氏もできたことがない。
「じゃあ告白……でもしとけばよかったのかな」
 まぁその気はないのだが。
「あーそれはね、残念。みんな残念だったの。御影いわく、あの子はホモだから」
 嫌な響きの言葉と共に、もやしのたっぷり乗ったラーメンが運ばれてきた。
 まだ熱い太麺を、私は一度も切らすことなくすすった。
「違います、夏希ちゃんは」
「あらそう?」
「だってオネエ言葉使わないでしょ」
「んー、でも言われてみれば変にクネクネしてないわね」
「だから駄目なんです」
 だから私は、朝比奈夏希に敗北を喫していたのだ。
 だって、自分を「僕」だと言っていた本当の理由は……何年前のことだろうか、ゲームセンターへ行く途中で話してくれたことがあった。

 夏希ちゃんが、もうすぐ別の芸能事務所に移るっていう時だ。
「僕が……僕が小さい頃のアニメって、本当に面白かったの」
 女の子が戦っても許されるようになったし、王子様は必ずしも必要ではなくなった。
 同性愛者だって咎められることなんてなかったし、画面の中のあの子たちは、大変そうだったけど幸せに見えてた。
 だから僕は、憧れてたアニメの女の子みたくなりたいと思っていた。
 一番好きだったそのキャラクターは、ピンク色の長い髪で学ランを着た中学生。
 凛々しくて、それでいてチャーミングだったという。
 好きな男の人と大切な友達の間で揺れるけど、最後の最後は自らを傷つけてまで友達のことを守ろうとしたのだと。
 ……そんな話を熱っぽく喋る彼はオタクっぽいと思ったけど、同時に、幸せそうにも見えた。
「……あの子だけは、本当に最後は幸せだったのか……考えるとよく分からないのだけど。それでも僕は憧れてた」
 淡々としていて、でもどこか切ないような言い方だった。
 その気持ちは痛いほどよく分かる、と言いたかったが、私はとても迷った。
 自分の存在意義をえぐり取られそうで。

 私と吉良さんは無言で、ひたすら味噌ラーメンをすすった。
 額に流れる汗なんて気にもしなかった。
 そういうことでもしなければ、腹の底の感情を誰かに投げつけてしまいそうで。
「……『きらめきのカレイドル』の前にも、スタジオで変なことを言ったらしいですね」
「あぁ、あれね。でもそれ何なんだってことになって、結局みんなを困らせただけだったらしいのよ」
「あぁ……それ、すごい夏希ちゃんっぽい」
 私は思わず苦笑いを浮かべた。
「あの時はね、『じゃあ女になりたいのか』って言われて何も言い返せなかったんですって」
 もし、そこで女になりたいとか言うような人だったなら……と私は心の中で怯えた。
「言い返せないなら、何であんな事務所にお呼ばれしたのかな」
「どぉーせ、LGBTだか何だかってのを売りにしたいからでしょ」
 その言い方はあんまりじゃないかとも返したくなったが、喉の奥に引っ込めておいた。
「ねぇ」
「はい?」
「……もし、朝比奈が女になりたいとか思ってたらどうしようって、女らしさで負けたらどうしようって、怖いんでしょ」
「いや、そんなわけ……」
「もしそうなっても、あなたはあなたでしかないんだから。それでも大丈夫!」
 顔合わせの時もそうだったが、彼女は私とは随分違う。
 何がどう大丈夫なのか説明してくれない。
「結局、年取るとそういうとこに行き着くのよ? 芸能人は自分の作られたキャラだけじゃなくて、自分自身も売り込む羽目になるって」
 あたしもこんなはずじゃなかったと、吉良さんは豪快にスープを飲み干した。
「でも藍里ちゃんはきっと、普通の藍里ちゃんでしかないからこそ輝くと思うのよ」
「でも、アイドル衣装が似合うのは吉良さんの方です」
「そうねぇ、似合うねぇきっと。あたしも、藍里ちゃんも」
 そう言って、吉良さんは汗っかきの顔のままニタニタした。
「朝比奈と傷を舐め合ってた気分でいたって無駄よ。あの子ああ見えて自分のこと大好きだから。藍里ちゃんも、その黒髪はいたわってあげなきゃ駄目」
「いや、ラーメン屋で思いっきり脂まみれにしといてそれですか」
 意地悪そうなニタニタから、彼女はふっと優しい笑みを浮かべた。
「……あなた、自分で自分を褒めるのを忘れてただけ。だったらあたし、これからあなたのいいとこいっぱい探すから」
「そんな無茶な」
「無茶じゃないもん。だってあなた、代役だの何だの言われといて、結局ステージに立つことを諦めなかったじゃない!」

 あぁ……まったく。
 彼女、どれだけ強引な女性なのだろう。

「私……レズだったらよかったな」
「やだぁ〜何言うかと思えばそれ? 面白い子ね」
 目尻のシワも気にすることなく吉良さんは笑って、白いハンカチで私の鼻の頭を軽く押さえた。
「あたしこれでも人妻よ?」
「……ふふっ」
 今やっと、吉良さんの前で力を抜いて笑えたような気がした。