フィロソフィーに基づくチームづくりを支援 ──社会人野球チームのアナライザーの仕事|橘 肇(月刊トレーニング・ジャーナル2023年10月号、連載 実践・スポーツパフォーマンス分析 第22回)


橘 肇・橘図書教材、スポーツパフォーマンス分析アドバイザー

監修/中川 昭・京都先端科学大学特任教授

(ご所属、肩書などは連載当時のものです)

近年、情報分析を担うスタッフの数が増えつつある競技の1つとして、社会人野球が挙げられる。「アナライザー」と呼ばれる社会人野球の情報分析スタッフがどんな仕事をしているのか、今年の都市対抗野球大会優勝チームのアナライザー*に話を伺った。
*日本の社会人野球では「アナライザー」という呼称が広く使われている。

連載目次ページ
https://note.com/asano_masashi/n/nb58492f8076d

 日本においてアマチュア野球の中核をなしているのが「社会人野球」です。社会人野球のチームの中でも、とくに企業がチームを設立、運営している実業団チームは「従業員の士気高揚と一体感の醸成」「社業や地域社会に貢献できる人材の育成」「社会に貢献できる存在」といった、プロ野球とも学生野球とも異なる存在意義を持っています 1)。そうしたチームにおいて、情報分析を担当するスタッフの立場や、仕事の内容にはどういった特徴があるのでしょうか。今年7月に行われた社会人野球最高峰の大会、第94回都市対抗野球大会で7年ぶり2度目の優勝を果たしたトヨタ自動車硬式野球部で、3年5カ月にわたってアナライザーを務めた田原康寛氏にお話を伺いました(田原氏は9月からプロ野球チームのアナリストに転職)。


写真1 練習や試合の映像を撮影する田原氏

野球部の行動指針「フィロソフィー」

――トヨタ自動車のアナライザーになるまでの経緯を聞かせてください。

田原:私自身は社会人でも大学でも野球部には所属していなかったのですが、野球に関わる仕事をしたいと思っていました。筑波大学の大学院生のとき、野球研究室の川村卓先生のご紹介で社会人野球チームの情報分析のサポートをするようになったのが1つのきっかけです。日本野球学会(当時は日本野球科学研究会)に参加したときに、当時のトヨタ自動車のアナライザーの方と面識ができて、その後チームへのお誘いを受けました。自分自身もチャレンジしてみたいという思いがあったので、2020年4月に入部しました。

――社会人野球のチームであるトヨタ自動車硬式野球部は、どのような特徴のあるチームでしょうか。

田原:どこの会社にも社訓があると思いますし、もちろんトヨタ自動車にもあります。それを野球部に置き換えて行動指針として「TRCフィロソフィー」を策定しています。僕たちは何のために野球をやっているのか、今後トヨタ自動車硬式野球部がどのような存在になっていくのか、トヨタ自動車らしさはどこにあるのか、そうしたところを野球部の活動全体で掲げています(図1)。トヨタ自動車には硬式野球部以外にも様々な運動部があり、各部がどう活動していくのかというところを、会社として大事にしています。自分がこのチームに来た2020年は、コロナ禍で試合を一番見てもらいたい社員の方に見てもらえない日々が続きました。そのときに僕たちは何のために野球をやっているのかというところに立ち返り、社員の方や地域のためにやっているのだということを再確認したことをきっかけにこのフィロソフィーが生まれました。


図1 トヨタ自動車硬式野球部のフィロソフィー。図中左上のトヨタウェイ2020の出典はトヨタ自動車株式会社ウェブサイト 2)(スライド画像と写真はすべて田原氏からの提供)

「お客様第一」で迅速なフィードバック

――アナライザーの日常の仕事について教えてください。

田原:アナライザーは2人いて、私はこのスライドの左側にある「自分を知る」ことを主に担当しています(図2)。具体的には、選手の感覚を見える化、定量化すること、選手の育成や技術向上に対して、現状とその成長を見える化すること、野球部の1年間の方針を作成し、それに基づいてチームづくりをしていくこと、この3つが中心です。もう1つは今後の課題でもあるのですが、不調を未然に防ぐために、日頃の練習を撮影したり、選手やコーチとコミュニケーションを取ったりして定点観測していくことにも取り組んでいます。


図2 トヨタ自動車硬式野球部のアナライザーの業務

 もう1人のアナライザーは、右側の「相手を知る」ことを主に担当しています。春先になると全国で様々な大会が始まるので、各地を飛び回って試合を見に行ったり、対戦相手の映像がどんどん集まってくるので、データ入力を行ったり、映像を編集したりという作業が主な業務になります。

――具体的には、どのような作業でしょうか。

田原:私の日常の仕事としては、練習の映像の撮影、それからRapsodo(球質測定装置) 3)を使ったピッチャーの球質測定があります。球質測定では、選手それぞれが目指す選手像や課題を持っていますので、それに対して現在の数字がどうなのかを確認します。たとえば、本来はバッターにゴロを打たせて抑えるタイプのピッチャーなのに、現状がそういう球質になっていないようなとき、それを数値で具体的に示します。選手は自分の感覚をなかなか言葉にできないものです。いつもと同じ球質のボールを投げているのに、自分では違っているように感じたり、逆に自分ではいつも通りだと思っていても、実際の数値は違っていたりということもあります。そういったときにも客観的な数値で示してあげます。

――何か1つ、例を挙げていただくことはできますか。

田原:あるピッチャーの例を挙げますと、投げ方はスリークォーター(腕の位置が斜め上くらいの投げ方)で、ボールの回転はシュート成分が多く、ストレートとチェンジアップで緩急を使って抑えるタイプです。それが、いつの間にかストレートの回転のホップ成分がだんだん強くなってきたことがありました。ホップ成分が強くなったことで、本人はストレートの力でバッターを抑えられると喜んでいたんですが、試合ではあまりいい結果が出なかったのです。それまでは、バッターの側から見るとストレートとチェンジアップが途中まで同じような軌道を通っていて、球種の見極めが難しかったのですが、ストレートが少しホップするようになったために、その見極めがしやすくなったと考えられました。それで投球フォームをよく観察してみると、ストレートを投げるときの腕の位置が、本来のスリークォーターから少し高い位置になっていることに気がついた、ということがありました。

――今のお話はアナライザーとピッチャーとの間のやりとりですが、ピッチングコーチの方も関係するのでしょうか。

田原:測定した数値はもちろんコーチにも共有します。逆にコーチの方から「このピッチャーの数値はどうだった?」と聞いてくることもあります。また、たとえばあるピッチャーがフォームを修正中だといった情報も、コーチとコミュニケーションを取りながら把握します。もちろんボールを受けているキャッチャーの意見も聞きます。キャッチャーとピッチャーとコーチのコミュニケーションの中に自分自身も入って、課題や現状をキャッチャーにも把握してもらった上で、試合で実践してもらうことを意識しています。

――その日のうちにフィードバックすることを心がけているそうですね。

田原:そこにはこだわっています。トヨタ自動車の商品である自動車でもそうですが、お客様が必要なときに必要なものをと意識しています。アナライザーである自分自身にとって、選手、スタッフ、コーチはお客様というイメージですので「お客様第一」を心がけています。



写真2 Rapsodoによる打球の球質測定の様子

データに基づいた目標設定を支援

――スライドの中にも「カイゼン」と「見える化」という言葉があります。まさにトヨタ自動車という感じですね。

田原:どうして「見える化」しなければいけないのか、それが明確になっていないと意味がありません。最終的に技術や試合でのパフォーマンスを向上させたいという目的がまずあって、そのために選手の感覚を数値化してあげることが自分の仕事です。選手たち1人1人が、年初に担当コーチと話し合いながら、育成シートというものを作成します。そこには「都市対抗で活躍する」といった成果目標だけでなく、そこに至るまでのプロセスに関する目標も定めます。そこでは具体的な数値で目標を示す必要があるので、そのためにも見える化が必要になってきます。データに基づいた、ある程度達成可能な目標を設定しますので、目標が高すぎた、あるいは低すぎたということはありません。

――選手の定める数値目標とは、具体的にどういう数値なのでしょうか。

田原:選手ごとに様々ですが、たとえばピッチャーであればストレートの平均球速何km以上という選手もいますし、ストライク率が何パーセント以上という選手もいます。そうした目標を達成するために、たとえば球質測定でのホップ成分の数値とか、ブルペンでのストライクテストの成績だとかといった、具体的なものに落とし込みながら目標設定をしています。その後の取り組みの中では、間違った方向に行っていないか、良くなっているのかどうかというところを、できるだけ明確に見せてあげるようにします。数値でなくても、映像で自分自身の思った通りの動きができているか見せてあげるだけでも十分です。

――振り返りについては、どのような形で行っているのでしょうか。

ここから先は

3,659字 / 7画像

¥ 150

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?