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てまきねこのエッセイ

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月1回、あいおいライフというミニコミ紙に掲載しているエッセイです
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記事一覧

寺坂吉右衛門

寺坂吉右衛門

NHKで「忠臣蔵の恋」が始まった。主人公は阿久里の侍女きよ。討ち入り後の義士を描いたNHKドラマでは、二〇〇四年の「最後の忠臣蔵」がある。主人公は寺坂吉右衛門。寺坂は吉良邸で奮戦した後に姿を消す。寺坂の友、瀬尾孫左衛門も討ち入りの前夜に姿を消す。

池宮彰一郎の小説「四十七人目の浪士」では、大石内蔵助が二人に密命を托す。寺坂は討ち入りの現場を知る生き証人として、瀬尾は妊娠していた内蔵助の愛人可留の

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徒競走と入試改革

徒競走と入試改革

運動会の季節である。運動会と云えば徒競走。「順位をつけるのはいけないと手をつないでゴールさせる学校がある」と平等主義を批判する人がいる。卒業した学校にそうした学校は一つもなかったので、手をつないでゴールインなど妄想だろうと思っていた。ところが、実際にそういう学校があるらしい。なんたることか!と驚きつつ、思案をめぐらしてみる。

「人生は競争だ」という人は、誰が一番かわからないのはおかしいと云う。そ

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夕陽が泣いている

夕陽が泣いている

トランジスタラジオで深夜放送を聞いていた頃、スパイダースの「夕陽が泣いている」が流行っていた。作詞・作曲は浜口庫之助、通称ハマクラ。先日、神戸新聞に「出生地の観点から見直す」という記事が掲載された。ハマクラの父は高知で生まれ、台湾で成功、神戸に移り建設業の浜口組を営んでいたときに庫之助が生まれた。大正6年のことである。

浜口組から一枚の絵葉書を思い出した。相生港に立てられた進水式を祝うアーチに浜

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オリンピックと受験

高校入試が近づくと、運動部の顧問たちがソワソワし始める。中学で活躍した受験生が合格すると戦力がアップするからである。

「十年に一度の逸材がウチを受けるのだが・・」気持ちはわかるが公立高校にスポーツ優先で合格させる制度はない。幸い、彼女は合格した。小柄で華奢な子であった。「器械体操の選手が高校で重量挙げをするの?」と顧問に尋ねると「力で挙げるんやない、バネで挙げるんや」と答えた。

顧問の目は確か

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社宅の水道

夏に雨が降ると、旭小学校からの帰り道には楽しみがあった。南本町と東本町の間を流れる小川でフナをとるのである。フナは上流のスイゲンチという池から流れてくる。今、池は住宅地に変わり、小川は暗渠になってしまった。

社宅の北、子供たちが幽霊山と呼んで遊び場にしていた小山にコンクリートでできた直方体の構造物があった。私たちは「機関砲の陣地」と噂していた。本当は、トーチカは磯際山にあり、幽霊山にあったのは水

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一六夜店

一六夜店

子どもの頃、七月になると一六夜店がにぎわった。綿あめ・アイスクリームのような食べ物・飲み物も楽しみであったが、人気は松田の魚屋の鉄砲による水玉落としと吉村の花屋のだるま落としである。成功するとくじ引き券がもらえ、それでくじを引く。券を手に入れるまでの技術とくじ引きのギャンブル性が上手く調和している優れものの遊びだった。

見ているだけでも面白いし、たくさんの観客がいるから撃ったり投げたりする方も力

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音楽・美術・書道と囲碁

音楽・美術・書道と囲碁

古代中国の貴族の教養は琴棋(きんき)書画(しょが)であった。日本もこれに倣(なら)い、日光東照宮の陽明門に「君主の四芸」の彫刻がある。琴棋書画は学校教育に受け継がれて、音楽・書道・美術になったが、棋(囲碁)は消えて代わりに体育が入った。西洋の学校教育に囲碁はなく体育があったかららしい。欧州の支配階級は身体を鍛えたが、中国では知性による国家統治が理想とされ、上流階級は囲碁という知的スポーツを楽しんだ

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荘園都市とツーリズム

荘園都市とツーリズム

六〇年代後半、造船ブームに沸く相生から龍野高校に通った。龍野は眠ったような町で、何もない城跡に小さな図書館があった。今、龍野城は再建され、観光客が町なかを歩いている。二月発行の「はりま読本」を見ると、忠臣蔵の赤穂・小京都の龍野と続き、相生は出てこない。相生の現状を象徴しているようだ。

成長の時代は終わりを告げ、人々はアイデンティティを求めて歴史を振り返る時代になった。城下町ブームはその典型である

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女子に進学を薦めた村長

江戸時代初期、西播磨に赤穂藩・龍野藩・山崎藩・平福藩が設置される。四つの藩は変遷を重ね、戦後の赤穂市・龍野市・山崎町・佐用町になった。一方、江戸時代の相生(あいおい)は赤穂藩の辺境に過ぎず、相生市は藩を母体としない珍しい自治体なのである。

相生が近代都市に成長したのは、唐端(からはた)清太郎の努力に尽きるといってもよい。一八八九年、町村制の施行とともに相生(おお)村が発足したが、村政は混乱を極め

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先生こそ「仰げば尊し」を歌おう

一昔前、卒業式の式歌は「仰げば尊し」と決まっていたが、近年は「贈る言葉」や「旅立ちの日に」が増えているようだ。

学年主任をしていたとき、「仰げば尊し」を式歌にしようと、歌詞や歌い方を調べてみた。この曲は三コーラスで、一番は卒業生の師への感謝、二番は師の卒業生への説諭、三番で学校生活を振り返り「今こそ分かれ目いざさらば」で終わる。一番は卒業生、二番は教師、三番は両者で歌う構成になっているのである。

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仏に地獄

お釈迦様が地獄におちたカンダタのために蜘蛛の糸を垂らしてやる。カンダタは蜘蛛の糸を登っていくが、あとに続く亡者たちに「お前たち、ついてくるな」と言ったので蜘蛛の糸は切れてしまい、お釈迦様はさびしい顔で立ち去った。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、地獄に仏となるはずであった盗賊が品性卑しさのために地獄に逆戻りする話とされています。しかし、お釈迦様の行動はこれでよいのでしょうか。「元の地獄へ落ちてしまっ

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プロのエッセイ、アマのエッセイ

てまきねこを書くために「エッセイの書き方」を研究した。

エッセイスト曰く「アマは自分が書きたいことを書くが、プロは読者が読みたいことを書く」。テーマの選択・論旨の展開において読者の好奇心を満たすような工夫をするらしい。別のエッセイストは「起承転結の転から考える、転がすべて」。

私もプロとして文章を作ることがある。授業のプリントは、私の書きたいことではなくて生徒に教えなければならないことを書く。

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三が日から仕事?

子供の頃、師走は一年で最もワクワクする月であった。ジングルベルが流れ、パン屋にケーキが並ぶ。福引きが始まり、景品の凧(たこ)をもって山に登る。

大晦日は人で溢れ、紅白が始まる頃に大掃除が始まる。年越しそばの出前が来て、子供たちはうどんを食べ、行く年来る年の鐘の音を聞きながら眠りにつく。翌日から商店街は長いお休み。おもちゃ屋さんだけが店を開いていた。それがお正月の原風景。

七十年代もそんな感じで

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皇室領矢野荘

皇室領矢野荘

十年ほど前、相生の町のアイデンティティは何だろう?と尋ねられた。「播磨造船所と矢野(やのの)荘(しょう)かな」と答えると「矢野荘について話してくださいよ」とリクエスト。それが、私と矢野荘の出会いである。

私は高校で世界史を担当しているので荘園には詳しくない。そこで、相生市史を読み、市内を歩いてみることにした。相生市は矢野荘と同じ領域にあり、若狭野の大避(おおさけ)神社や那波の大島城など荘園の歴史

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