系図で学ぶ高校日本史(室町・江戸)

後醍醐天皇の建新政政権は武家の支持を得ることができず吉野に去り、足利将軍家によって北朝が擁立されました。室町時代から江戸時代にかけて武家の権威と天皇の権威は互いに依存しあいながら歴史を刻んでいきます。室町時代から戦国時代・江戸時代の天皇家・将軍家系図を中心にした動画を一覧にしました。

室町幕府は、足利尊氏と足利直義の二頭政治で運営されていた。1349年、足利家は尊氏・義詮と直義・直冬に分裂し、観応の擾乱が始まる。

観応の擾乱が続くなか、足利尊氏は南朝に降伏し北朝の崇光天皇を廃位します。正平一統により北朝は消滅、皇統は南朝に統一されました。

足利義満は公家武家を結合した室町公方として幕府に君臨します。有力守護を抑え込むと、続いて後亀山天皇と交渉し南北朝の合一を実現しました。

足利義教は皇統の一本化を成し遂げ、鎌倉公方足利持氏を滅亡させました。しかし、嘉吉の乱で義教は殺害され将軍の権威は動揺し始めます。

畠山家と斯波家の家督争い、山名氏と赤松氏の播磨守護職問題。応仁の乱の底流をなす赤松家・斯波家・畠山家の事情を説明します。

近年、日野富子は応仁の乱の原因ではないとされています。応仁の乱は何故始まったのか。文正の政変から和睦に至るまでの経過を説明します。

1493年、明応の政変によって将軍は二系統に分裂し室町幕府の権威は失墜しました。信長が義昭を擁して上洛するまでの将軍・天皇を追います。

信長は尾張守護代の奉行家に生まれました。信長は守護代を倒して尾張を支配下におき、本願寺・武田家等の信長包囲網に勝利して天下人になります。

本能寺の変の後、豊臣秀吉は国制を利用して武家の頂点をめざし、関白の地位に就きます。

松平家の成立から徳川への改姓など徳川家康の家系図を中心に江戸幕府の成立期を扱います。

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K.Matsumoto

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