仏に地獄

お釈迦様が地獄におちたカンダタのために蜘蛛の糸を垂らしてやる。カンダタは蜘蛛の糸を登っていくが、あとに続く亡者たちに「お前たち、ついてくるな」と言ったので蜘蛛の糸は切れてしまい、お釈迦様はさびしい顔で立ち去った。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、地獄に仏となるはずであった盗賊が品性卑しさのために地獄に逆戻りする話とされています。しかし、お釈迦様の行動はこれでよいのでしょうか。「元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅ましく思い召されたのでございましょう」。愚かな人間の行動を見て「浅ましく思う」境涯が仏界であるとは思えません。お釈迦様は仏界を離れてしまわれたのです。

天台大師智顗は一念三千論を説きます。我流の解釈では「過去・現在・未来のそれぞれに仏界から地獄界までの十界があり、三×十×十×十の三千世界が一瞬の心のなかに存在する。常に仏界に近づくように努めよ」。腹が立つとき、怠けたいとき、否々これではだめだ、より上の境遇を目指そうというふうに自分の心を制御します。

お釈迦様は仏界にいるから蜘蛛の糸を垂らされました。でも「浅ましく思われた」瞬間は人間界、きびしく云えば地獄界だったのかも知れません。一瞬の後には再び仏界に戻って歩き去るのですが、一瞬の心の揺らぎ「仏に地獄」こそ、芥川龍之介が描きたかったことではないかと思うのです。お釈迦様にしてそうなのですから凡夫の心が揺れ動くのは仕方がないのですが、平均的な人間界ではありたいと願って生きています。。

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