研究者と学ぶ高校日本史講座

研究者と学ぶ日本史

文学部レベル。大学講師が解説、高校教師が司会、歴史マニアが質問します。高校で日本史を教えている先生や、大学で歴史学を学びたいと思っている高校生、暗記中心の受験日本史では物足りない受験生向きの授業です。

授業は90分を超えます。そこで、パワポ一枚分を切り出して15分程度に編集した「ハイレベル日本史」を作っています。そちらもご覧ください。

幼帝清和天皇の摂政藤原良房、一代主光孝天皇の関白藤原基経から摂政・関白が始まります。摂政に引き続いて関白になったのは藤原忠平、この間に、摂政・関白の職務が確立されていきます。摂関政のもとで天皇・摂関はどのように政治に関わったのかを学びます。

白河天皇は直系の堀河天皇に皇位を譲ります。堀河親政は摂関政に回帰しようとしますが、関白・天皇が相次いで亡くなってしまいました。政権は白河上皇に戻り、白河上皇は孫の鳥羽天皇を立てて院政を始めます。院政は意図的に準備されたわけではなく、偶然の積み重ねによって始まったのです。白河・鳥羽院政を経て保元の乱へ至る経緯を詳細に検討します。

保元の乱の後、二条天皇親政派と後白河院政派が主導権をめぐって対立しました。平治の乱・二条天皇による院政停止を経て、後白河と平家の政権が成立するものの建春門院滋子が亡くなると分裂が始まります。清盛による院政停止・以仁王の令旨から木曽義仲・源頼朝の挙兵を経て鎌倉幕府創立へ、頼朝の真意の考察を交えて学びます。

源実朝と後鳥羽上皇は実朝の後継者に皇族将軍を迎える構想を持っていました。実朝暗殺によって構想は破綻、幕府は混乱し、摂家将軍を擁立します。後鳥羽上皇は鎌倉幕府を統制下に組み込む好機ととらえ、挙兵に踏み切りました。しかし、承久の乱は後鳥羽上皇の敗北に終わり、朝廷は軍事力を解体されてしまいます。

赤松満祐が将軍足利義教を殺害した嘉吉の乱。嘉吉の乱がおこるに至った経緯を考えます。キーワードは足利義教にまつわる「くじ引き将軍」「万人恐怖」そして後花園上皇。

応仁の乱の原因は何か。現在では日野富子が悪い、という見解だけは消えつつあります。日野富子は自分の生んだ義尚を後継者にしたくて山名宗全と組んで細川勝元に対抗した。それが応仁の乱の原因だと言われます。しかし、宗全は富子とは結んでいません。ではなぜ宗全と富子が結び付けられてしまったのでしょうか。私はそれを誤って結びつけてしまった人物がいると考えています。その人物の誤りが現在まで引き継がれていると思います。その間違いとはなんだったのでしょうか。

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