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荘園都市とツーリズム

六〇年代後半、造船ブームに沸く相生から龍野高校に通った。龍野は眠ったような町で、何もない城跡に小さな図書館があった。今、龍野城は再建され、観光客が町なかを歩いている。二月発行の「はりま読本」を見ると、忠臣蔵の赤穂・小京都の龍野と続き、相生は出てこない。相生の現状を象徴しているようだ。

成長の時代は終わりを告げ、人々はアイデンティティを求めて歴史を振り返る時代になった。城下町ブームはその典型である。が、相生には城がない。でも、ものは考えようで、城があると思考は城下町で停止してしまう。城がないと模索を続けざるを得ない。

たどりつくのは、皇室領矢野荘。東寺百合文書が世界記憶遺産に登録されて文書での地位は確立した。矢野荘の中心部であった若狭野町は、市街地から離れていて荘園の面影を色濃く残している。歴史的な知識を学んで若狭野を歩くと、神社・寺院・山城と中世の様子を思い起こすことができる。

現在、中世の荘園をルーツとすると称している都市はない。私たちが「相生は皇室領矢野荘の末裔である」と自覚すれば、日本初の荘園都市になることができる。相生には古代から近代まで小都市には珍しいほど歴史遺産が蓄積されている。組み合わせとポジショニングを考えて通好みの観光地に仕立ててみよう。名づけて「日本史まなびツーリズム」。

江戸時代が弱かったが、浅野陣屋というミッシングリンクがあった。陣屋には札座が現存し、関連史料が相次いで発見されている。陣屋から三濃山へのコースは無限の可能性を秘めている。

2016.05


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