平成最後の日、人生で初めて救急搬送された話

2019.04.30

私は今、救急車の音を初めて救急車の中で聞いている。
座るにも寝転ぶにもおぼつく身体をどうしようもできず、震える手で保険証やら免許証やらを財布から取り出す。それだけで息切れする。

そう、私は生まれて初めて、救急搬送されている。
平成最後の日に。

ピーポーピーポーと毎日のように遠くで響く音が、まさか自分を迎えにくる日が来るなんて。自分の家の前で音が止む日が来るなんて。
朝から胃液を吐き続けた身体は気力さえも吐ききって空っぽなくせに、近所の人が覗きに出てくる前に乗り込もうとか、無駄な羞恥心だけは健在で。そそくさと車内に乗り込んだ私は誰に言うでもなく「すいません」とつぶやき続けた。

賑やかな渋谷のスクランブル交差点でも、インスタ映えするホテルでもなく、私は救急車の中にいる。
平成最後だからと、そういった盛り上がりには興味がなく、なんなら昨日まで気にしてもなかったくせに、あっちから見限られたような気がしてなんだか無性にさみしくなった。ごめんって、今度から気にかけるようにするからさ。ちゃんとインスタのストーリーとかで盛り上がるようにするからさ。

採血やら点滴やらした後、結局腸炎ということで薬をもらって夜22時くらいにタクシーで帰宅した。

目が覚めたころには、令和が始まっていた。いつもと変わらず、猫が「起きたのか」と顔を嗅いでくる。

平成最後の日、散々な一日だった。一瞬、死も霞んで見えた。
私を助けるために動いてくれた人たちに感謝してもしきれない。その人たちにとっては、いつも通りの一日だったのだろうけれど。

私が生まれた平成。その時代が終わるという日に、自分の終わりを垣間見たのは、ある種の運命なのかもしれない、とかも思ってみる。

周りへの感謝と、今の自分の弱いところを終わらせる覚悟。
そんな置き土産をしてくれたのだと思い込むのも、悪くはない。

ハロー令和。私はこの時代で、平成よりもずっとふっきれて自由に生きていける気がするよ。