切実な質問

さても話は一通のマシュマロから始まった。平凡に生きる会社員、真北理奈の元へ悲痛な叫びが届いた。真北理奈はただの会社員である。隙あらば「だるい」と口ずさみ、惰眠を貪るソシャゲが趣味の会社員である。意識の低さは頂点に達し、お家で創作活動に励むのが──……。

と、前置きに時間を割いたところでマシュマロにこのような質問を頂いた。Twitterではnoteに書くので、と簡易な回答になったが、少しでも救いになれば、と思い詳細な回答をしたいと思う。

さて、疑問を持つにはどうしたらよいか、という部分であるが、この質問から蔓延るのは『私はなにも出来ない』『わたしはダメな人間だ』という悲観的な呟きが入り交じっている。まず、わたしは『悲観的である限りは疑問は浮かばない』と回答しよう。

疑問を持つには、明確な行動指針が必要である。

質問者はFate/GrandOrderまたは『モンテ・クリスト伯』(和名は巌窟王)を読んだことはあるだろうか?

高名な復讐者で、無実の罪で投獄されながらも希望を持ち、ファリア神父に礼儀と知恵の限りを学び、神父から巨大な財産を受け継ぎ、モンテ・クリスト伯として戻って来て自分を無実の罪に陥れた貴族達を地獄に引きずり落とした、というのがモンテ・クリスト伯の話である。ディーン・フジオカが主演となるドラマにもなっていた。

モンテ・クリスト伯が残した名言に『待て、然して希望せよ』というのがある。私は、質問者が疑問を持つには『自分の生きたいように、誇れるような未来を希望する』強い姿勢が必要であると考える。

今のままではとてもではないが質問者が疑問を持つ、というところまで至らないし多分今後も同じようなところでつまずくのは目に見える。

質問者は恐らく『人任せ』になっているのではないだろうか。良くも悪くも言いなりで言われた通りの事をしてきた、それでそれなりに上手くやって来れたのだろう。良くも悪くもあまり疑問を持たなくても良い生き方をしてきたのだ。つまり、世の理を受け入れて、もちろん世間からも受け入れられて、お金も友人にも恵まれ、生きてきた。当然お金を稼ぐために夜も寝ずにバイトをしている、とか、特待生度を確保するために成績を残す、とか、自立してしっかり生きる、なんて事からは無縁なのではなかろうか。

疑問を持つにはその名の通り、ある程度人の言っていることを疑うことである。人の事、だけではなく世の理や組織の仕組みにも疑って掛かることが必要である。それには強い『自分らしくあるよう希望する』思いがいる。

私は世間には受け入れてもらえずに生きてきたので人の事は半分くらい疑っているし、学生時代は浮いた子供であったため、先生にも懐疑的であった。

私は18になっても働かない、学歴を積み、早々にキャリアを積んで自分らしく生きる、というある意味歪んだ思考を持っていたし、今も経験と見識を広げるのに必死だからはたから見たら結構歪んでいると思う。その反動から『自分にとって明るい未来を希望する』姿勢が身についた。こんなものは持ってはいけないしこんな歪んだ経験は必要ないと思う。

必要ないと思うけれど、今壁にぶつかっているあなたに問う。

『あなたはどんな人になりたいですか?』

『どんな人生を送りたいですか?』

『愛されたいですか?富を得たいですか?名誉が欲しいですか?幸せになりたいですか?』

何度でも言う。

『待て、然して希望せよ』

希望する人に道は拓ける。

希望しなさい。望みなさい。

普段の生活から美しくたおやかに営みなさい。料理は美味しく作れるようになりなさい。洗濯は涼しい顔でやれるようになりなさい。最低限、単位は可を取りなさい。美しい言葉を使いなさい。美しい所作で人と接しなさい。笑顔で皆に微笑みなさい。美しい顔にしなさい。

今のあなたの顔、醜いですよ。希望しながら泣いてる顔は美しいのに悲観しているだけだからやつれているよ、きっと。疑問を持ちたいならどうしたら美しくあれるか追求しなさい。

私からは以上です。