グスタフ・クリムの帰郷 その7

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 廃墟でそのような騒乱があったのち、パルミナスの部隊は身柄を拘束したガレオン・ラガンを帯同したまま、クレムルフトまで進軍した。彼の逮捕にともなう証拠品の捜索やら、関係者への事情聴取やらといった事件捜査にかかわる諸々がその目的であった。
 クリム家の面々も、一連の事件の重要な関係者として、部隊に同行して再びクレムルフトを訪れる事となった。
 探してみるとガレオンの部屋からは色々と興味深いものが見つかった。マルケス・エーロンに指示を送った際のやり取りの書簡に始まり、そもそもグスタフ・クリムを計略に陥れるにあたってマルケスのような適任者を人を遣わして探そうとした記録、そして中でもとりわけ目を引いたのは、グスタフ・クリムがガレオンをクリム家の養子として迎えるという偽造の書類や、死後そのガレオンに領地や財産のすべてを譲渡するという、これも偽造の遺言書のたぐいだった。
「交渉が決裂した場合に、君たち一家を亡き者にして、これらの書類でもって家名と財産を手に入れてしまおうと画策していたんだね。こういう後ろめたいことを色々企んでいたものだから、君らがそんなたくらみを予見して、対抗するためにヴェルナー砦の怪異と結託したんではないか、というあらぬ疑念を抱いてしまったのかな……結局は彼の早とちりだったんだけど」
 息子の悪事を知って、父コルドバ・ラガンはひたすらに平身低頭するばかりだった。代行官の任を辞する、とまで行ったが、さりとてほかに誰が適任なのかをグスタフは知らない。
 グスタフはそれらの書類を手に、タイタスに問う。
「この書面は額面上は私が作成して署名したことになっている。つまりは私のものとみなして、私が処分してしまえばどうなる?」
「もともとの真贋はともかく、あなたが作成したはずの書面ですからあなたが破棄する分には誰も文句は言えませんけど……でも、それでいいんですか?」
「いいんだ。私を破産させただけでも罪としては充分だろう」
 グスタフはそう言って書類を破いた。マルケス・エーロンの件だけならまだしも、遺言書に至っては傾いたりと言えど王国貴族の名門クリム家に仇なす行為で、ともすれば反逆罪に問われてもおかしくはないだけの立派な証拠品であった。仮にそのような罪科に問われるとなれば、ガレオン本人のみならず、父であるコルドバにも累が及ぶ話だっただろう。
 そもそもガレオンは一つ誤解をしていた。グスタフ・クリムは荘園の運営は人任せにしていたが、そこから銅貨一枚すら受領してはいなかった。クリム家はクリム家で王都で自分の財布で切り盛りして、それが空っぽになってしまったというだけで、領地に残した財貨にはまったく手つかずだったのだ。
「コルドバよ、お前の失敗は息子の教育だけだ。……どんな親にとっても、子育てとはまったく難しいものだな」
 と、グスタフは笑ってコルドバには何の咎めも言い渡さなかった。ハリエッタにしてみれば父は三姉妹の誰を指して難しいなどと言っているのか、と思わなくもなかったが……いい事を言った風に満足顔の父をみて、敢えて水を差すような物言いは遠慮しておくのが幸いだったろう。
 その三姉妹はと言えば、姉のリリーベルはしばらくこの土地に残りたいと言い出した。その胸中は知れなかったが、彼女の心はクレムルフトよりはむしろあのヴェルナー砦の方にあるのかも知れなかった。
 そしてエヴァンジェリンもまた、しばらくはこの地に留まりたいという。
「リリーベル姉さんがあの調子だと、一人にしておけないでしょう?」
 本人はそういうが、実際のところどういう心づもりがあるのか得体は知れなかった。元々何を考えているのかよく分からないところはあったが、あの日以来殊更に、その佇まいや雰囲気も少し変わったように思える。――時々、そこにいるのはエヴァンジェリンではなくエナーシャの方なのではないか、と感じる時がハリエッタにはあった。
 砦を後にする直前の事だったが、ハリエッタは妹があの荒れた城門の前の砂地にしゃがみこんで砂つぶてをつまみ上げたかと思うと、指で触れたその場所から不意に緑が芽吹いて、みるみるうちにその場に小さな黄色い花を咲かせるのを見た事があった。その時のエヴァンジェリンは自分で自分の所業に驚くでもなく、ただ小さくほくそ笑んだだけだった。
 彼女が他に一体どういう事が出来るようになったのか……深く知りたいようで、知らないほうがよい気もしていた。おそらくはエヴァンジェリン自身も、それを色々試してみたいが故に、王都から遠く離れたこの地の方が都合がよいのかも知れなかった。
「しかしどうして、エヴァンジェリンとエナーシャはあんなに瓜二つだったのかしら」
 ハリエッタのそんな何気ない疑問に、答えたのは意外にもコルドバ・ラガンであった。
「そもそもクリム家とヴェルナー家は、砦がああなるずっと以前から遠い縁戚ではあったのです。はっきりとした記録が残っていないので何とも言えませんが、どちらかの家がもう一方からの分家であったとも聞き及んでおります」
「なんと……そうであったのか」
 その話に一番大げさにもっともらしい頷きを示したのは、当のクリム家の当主であるグスタフであった。
 ともあれ、そういう話であれば、魔女と呼べる者がどちらの家系から生まれてきてもおかしくはなかったのだろうが、それが時を隔ててこのように二人が瓜二つに、というのも不思議というより他になかった。
 やがて部隊が一通りの捜査を終えて荘園を撤収するに至って、ハリエッタもまた父グスタフとともにその地を後にすることとなった。ガレオン・ラガンが身柄を王都へと更迭され、本格的に取り調べや裁判を受ける運びになると、クリム家の面々も裁判の諸手続きやら証言やらをしなくてはならなかったし、何より家屋敷を取り戻すためにも色々な申し立てを行う必要があった。
 ファンドゥーサまではパルミナスの部隊と同道する事となる。そこから先はあらためて父と二人の旅となるだろう。――無論ガレオン・ラガンを移送する部隊も王都へは行くだろうが、あまり同道はしたくなかったしそれを願い出るのも図々しかっただろう。
 そんな王都への帰途は、夜通しの強行軍や切羽詰まった逃避行を強いられることもなく、険しい山道であっても以前に比べれば平穏な道のりであった。
 やがて、遠目にヴェルナー砦の姿が見えてくる。複雑な思いでそれを横目に見ていると、パルミナスが馬首を並べて隣にやってきた。
「本当は君たち親子を王都まで責任をもって送り届けたいところだけれど、そういうわけにもいかないらしい」
 やれやれ、とため息をつく。彼はどうやらこのあとファンドゥーサに戻って、そこから巡察の任に戻ることになるらしい。
「僕が王都に戻るのは何年もあとの事になりそうだ。そのころには、君は騎士になれているかな?」
「……なれると思う? というか、それはちょっと先走りすぎじゃないかしら。王都の家屋敷が戻ってくると決まったわけじゃないし、それに姉と妹がクレムルフトに残るなら、お父様も無理にもう一度王都に居を構えるとは言わないかも」
「でも、君は騎士になりたいんでしょ?」
「そうね」
 姉も妹も、王都からこの地にやってくることで、曲がりなりにも次の生き方を決めることとなった。
 となれば、残るはハリエッタの番だった。
 でも本当に騎士になれるだろうか? 思えば今回のクレムルフト行きでは、人の家屋敷に忍び込んだり、刃物で人脅すような事をしたり、褒められない事もいくつもあった。
「大丈夫でしょ。本当に適性が無かったら、今頃城砦の地下牢か、ガレオンの虜囚にでもなっていたかも知れないんだから」
「嫌なことを言わないで」
「本当に大丈夫だってば。もし試験に落ちたとしても、その時は僕が……」
「タイタス家の威光で試験に口利きでもしてくれる?」
「僕でさえ一年目は落ちて、タイタス家始まって以来の恥さらしと散々に言われたのに……」
「じゃあ何? あなたのお屋敷で働き口でも紹介してくれるの?」
「そういうわけでもなく……ええと、そのう」
 パルミナスは何か言いかけたが、結局はため息をつきながら、別にいいです、と小さく呟いた。
 へんな人、とハリエッタも呟く。それで何だかおかしくなって、彼女は声を上げて笑った。
 未来の事は確かにハリエッタにもパルミナスにも分からなかった。一つ言えるのは、往路は確かに沈鬱だったその旅も、王都までの帰路はきっとそうではないだろう、ということだった。
「行きましょう」
 ハリエッタは先に馬を進める。パルミナスも肩をすくめながら、渋々とあとに続くのだった。

-END-

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