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盲導犬を跨ぐほど何をそんなに急いでいるのか

今年もいくつか転倒事故がニュースになっていたが、エスカレーターの片側を歩く人は跡を絶たない。鉄道会社も相次ぐ事故で対策に走ったようだが、「簡単なアナウンス」と「小さな張り紙」がエスカレーター付近に増えただけだ。小学生、中学生の時にも生徒会に対して思ったことだが、張り紙ひとつで人間の心が揺さぶられ行動が改善されるのなら苦労はない。鉄道会社としては「対策は施しましたよ」という体裁がほしいだけで、これはペースメーカーの誤動作を引き起こす恐れのあった時代に「携帯電話の電源をお切りください」と優先座席付近に張り紙したのとまったく同じで、ただの偽善でしかない。

私はまだまだ働き盛りの年代だが、ビジネスバッグを片手に持って、その横を何十もの人に歩かれてぶつかられると、さすがにふらつくことがあるし、大きなバッグや荷物を持った人が強引に歩いているとぶつかってよろめくことがあって、結構、怖い思いをする。体の不自由な方やお年寄りがこれら片側歩行によって悪意がなくても事故に巻き込まれるのは、こうやって日常で体感しているだけでも十分に理解できる。急いでいるときは私もつい歩いてしまうのだが、極力、事故のニュースを見てからは歩かないようにしている。

ところで、エスカレーターで片側を空けるのはいつの間にか「マナー」だと刷り込まれているのだが、これは調べてみると、昭和42年に阪急電鉄が梅田駅にエスカレーターを設置した際に「歩いて上り下りする方の為に左側をお開けください」とアナウンスしたのが最初で、それが全国に広まったという説が有力らしい。また、各地で自然発生したとも言われている。物心ついて、電車を利用する頃には、これが社会の常識だと思い込んでいたのは確かだ。

しかし、これは本当に「マナー」と言えるのだろうか。一見、歩行者への気遣いからの行動で、日本人の他者を思いやる精神性を表しているように思えるが、それは思い上がりで、この片側歩行によって危険な目に合っている人たちが大勢いることを無視している。歩きたいが為にそれを「マナー」と称して正当化しているだけで、本当に他者を思いやるのなら、歩くことを止めることこそが、本当の「マナー」だ。

先日、盲導犬を連れた女性が盲導犬を片側にエスカレーターに乗っていたのだが、OL風の女性が盲導犬を跨いでエスカレーターを上っていった時はとても驚いた。エスカレーターの横には階段が併設されていたのだが、盲導犬を跨ぐほど急いでいたのなら階段を使えばいいわけで、少しでも階段を上がる段数を減らしたいという「損をしない思考」がこんなにも残念なことをさせるのかと呆れてしまった。人間は心理的に「得をする」ことよりも「損をしない」ことを重視するそうだ。この女性は盲導犬が立ちはだかろうがエスカレーターを歩くことの方が「損をしない」と咄嗟に判断したのだろう。悲しいことだ。

この「損をしない」という観点、これは面白いと思ったので、エスカレーターを歩くととても面倒な目に合う、という条件付けをした場合、人はエスカレーターを歩かなくなるだろうか。階段を歩く方が段数が多くて損だが、エスカレーターを歩いて面倒な目に合うくらいなら、階段を歩く方がマシだ、と思うような仕掛けをする。例えば、エスカレーターを歩くと緊急地震速報のようなサイレンが鳴り響く。実際、高齢者などは歩行によって危険な目に晒されているのだから、このサイレンは少々大げさなだけで、それほど不当な仕掛けではないように思う。それにこれぐらいやらないと、いつまで経っても改善なんかされないでしょう。大きな事故が起こるまで誰も対策をしない社会というのは、本当に残念です。

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