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「エレベーターの開閉ボタンを押し間違えるのは、ユニバーサルデザインの問題ではない」という論文について

先日、「エレベーターの開閉ボタンよ、いい加減、分かり易くしてくれ!」の記事で、私は現在のユニバーサルデザインによるエレベーターの開閉ボタンが大変分かり難い為、さっさと改善せーや! と物申したのだが、

どんなデザインであれ、咄嗟の状況では押し間違えてしまう

という意見の方がおり、私は改めて調べてみた。確かにそうだな・・・と思ったからだ。すると、以下の論文を発見した。

二重課題と視点移動がエレベータ開閉ボタンの押し間違いに及ぼす影響
http://www.union-services.com/shes/jhes%20data/10_25.pdf
押し間違いを低減させるためには、デザイン的要因よりも、二重課題的状況や視点移動といった認知的要因こそ、優先的に対処すべきであり、ピクトグラムのデザインを改良しても、十分な成果が望めないことを示唆している。

エレベーターの開閉ボタンに「ピクトグラムのデザイン」を採用することを、日本エレベータ協会は各メーカーに推奨している。それは、低年齢者や外国人など、日本語をまともに読めない人たちへの配慮であり、このことによってエレベーターの利便性は一昔前よりも担保されていると考えられている。しかし、「ピクトグラムのデザイン」を採用することによって、仮名表示であった頃よりも開閉ボタンの押し間違いは増えてしまっている、という研究結果が存在する。

のだが、この論文の筆者は、この研究は検証が不十分だったと指摘している。

・開閉ボタンに注意を向けなければならない
 (人は普通、開閉ボタンを凝視していない、別の視点で何か他のことを考えているはずだ)
・ピクトグラムの形からその意味を理解しなければならない
 (咄嗟に理解できるほど、慣れ親しんだデザインではない)

など、複数の認知プロセスが関与しており、開閉ボタンの押し間違いに関わる真の要因は、認知的要因の検証があってこその解決だと謳っている。

これは確かにその通りだと思った。例えば、まだエレベーターに乗り込んだばかりで降りる階のボタンを自分が探しているときに、まだエレベーターに乗り込む人が自分の視界の隅に見えるのだが、ドアが閉まろうと動き始めている。咄嗟に、

ドアを開けなければ、この人が挟まっちゃうよ・・・!!

と、とにかく開閉ボタンを押したいのだが、

・階数のボタンに目を移していたため、開閉ボタンの在り処を探さなければならない
・なんとか開閉ボタンを見つけたが、記号の意味を理解しなければならない

という複数のミッションが発生してしまう。人は何か別のことを考えているときに、まったく別のことを咄嗟には正確にできないと言われている。この場合、階数を探していたので、開閉ボタンを探したくても、まだ頭が階数を探していた頭になっていて、なかなか開閉ボタンを探すに移行できない。論文の中でも触れられていたが、考え事をしながら鍵を閉めると、「アタシ鍵閉めたかしら?」という風に、「ながら」動作は注意が散漫になる。階数を探し「ながら」、開閉ボタンを探しているような状況だ。

実際、この論文の中の検証では、デザイン的な要因よりも認知的要因の方が、押し間違いのエラーが多かったという結果になっている。

私が思うには、やはり、閉ボタンを失くしてしまうべきである。どでっかい開ボタンをひとつつけることで、咄嗟に、何も考えずに、このボタンを押してしまえばよいのだ。開くには、ボタンらの中で唯一手の平よりも大きなボタンをとにかく押せばよい、という認知になっていれば、押し間違いも減るのではないだろうか。

1.考えごとをしている (やべー腹いてえ、ダッシュで便所だな)
2.誰かが乗ってくる
3.あ、ドアに挟まれそう
4.どん!!! (深く考えずにとにかく一番でかいボタンを押した)
5.ドアが開いた
6.乗ってきた人が頭を下げた

これでどうだ。

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