見出し画像

集団登校の形が間違っている、今の集団登校は死のリスクを高めているだけだ

昨年10月に京都府八幡市で発生した、集団登校中の児童5人に車が突っ込んだ事故以来、集団登校の在り方について関心が集まっている。今月10日にも静岡県沼津市松長の県道交差点で、乗用車が集団登校集合場所へ向かう途中の小学生2人をはねた事故が発生している。

さて、この集団登校だが、そもそも本当に安全なのだろうか? 危険なのは、車だけだったのだろうか?

まず、集団登校は安全だという理屈はどうやって生まれているのか。調べたり聞いたりしてみても、何故かピンと来ない。何故ピンと来ないのだろうか? それは誰もが確信を持っていないからだ。集団登校は何故安全なのか? 誰も分かっていない。その証拠に、今回のこの事件によって、至る所で集団登校に対する疑問の声が上がっている。

集団登校の安全神話は、例えば以下だ。というか、集約すると以下しかない。

・変質者、不審者に襲われない
・誘拐されない
・上級生の子に引率されることで低学年の子が徘徊せず真っ直ぐに学校へ行ってくれる

疑問の声を上げる人たちの中に面白いものがあった。「保護者と教育者の怠慢の結果が集団登校だ」というものだ。これは私の考えと近かったのだが、この人は「怠慢の表れだから集団登校を廃止しろ」という主張だった。これは間違いだ。子供たちは確かに、一人では危険だからだ。

私の考えの何が近かったのかというと、子供たちだけで集団登校をさせていることが、保護者と教育者の怠慢だ、という点だ。よく考えてみてほしい。小学校の高学年は、所詮、子供だ。小学一年生と比べれば、小学六年生は大人に見えるだろう。だが社会的に見れば、小学六年生はまだまだ子供の中の子共だ。集団登校が社会的な危険への牽制だと主張するのならば、子供が子供を守ってやれると本気で思っているのか?

もちろん、そうは思っていない。それを大人たちは分かっていて、怠慢から、それに気づいていないフリをしているのだ。あるいは、わざとバカになって、気づかないようにしている。

例えば、8人の集団登校を子供たちだけで行っているところに、ナイフを持った大人が襲い掛かってきたとしたら、安全だと本当に思うのか? より多くの人間、子供を殺傷したいという衝動に駆られた犯罪者にとっては、恰好の餌食だ。簡単に皆殺しにされるぞ。多くの子供たちの悲鳴が聞こえれば、事件はすぐに発覚して、犯人もすぐに捕まるだろう。だが、事件の早期解決が目的なのか? 当然違う、事件を未然に防ぐことが集団登校の目的だ。こんなこと、容易に想像がつくはずだ。何故、子供たちだけで集団登校をさせて、それで安全だと胡坐が掻けるのか?

これこそが怠慢で、学校としては保護者に安全対策を実施していますよという形だけはアピールになるし、バカな保護者達もそれに騙されて安心だと思い込まされてしまう。子供たちだけの集団登校が何故安全なのか、という説明も受けずに、想像もせずにだ。

誘拐だって同じだ。本気で大人が誘拐するつもりならば、一人の子供をターゲットにして、力づくで子供を攫うことができる。子供の抵抗なんて高が知れている。大人が複数いたって、大人が誘拐される拉致事件は簡単に発生するのだから。

今の集団登校の形は教育者と保護者の怠慢でしかない。即刻、改めるべきだ。本当に、子供の安全を考えているのだったら。

学校、教育機関は、「プロの集団登校引率人」を雇うべきだ。企業が、プロの警備員を雇うのと同じだ。例えば、宝石店が大事しているものは宝石だ。宝石を盗まれない為に、大事なものを守るために、その宝石にプロの警備員をつける。これとまったく同じだ。教育機関にとって大事なのは、子供の学力が第一ではない、預かっている子供たちの命だ。これは児童塾にもいえることだが、一番大事なものに何の保護も掛かっていない。預かりものに警備が無い、管理がずさん、これは社会的に見れば極めて異例なことではないのか? 重大な信用問題だ。現金輸送車くらいの登下校をサービスすべきではないのか?

保護者は、率先して、集団登校の引率をすべきだ。学校が動かないなら、自分の子供は自分で守るしかない。学校が動かないなら仕方がない、では済まない。保護者は家でテレビをアホ面で見ていないで、率先して引率をすべきだ。学校くらい子供たちだけで行けるでしょ、と思って腰を上げないなら、何が起こっても文句を言わずにすべてを受け入れなければならない。

今回の事故は、大人が引率していても避けることはできなかったかもしれないが、暴走車が近づいてくることを子供たちよりは早くに大人の洞察力で察知することができたかもしれないし、咄嗟に子供たちに覆いかぶさって身代わりになれたかもしれない。要人だったらSPが必ずそうして身を挺すはずだ。子供の安全を本当に考えるなら、そこまでのVIP扱いを率先して作っていくべきだ。

危険な集団登校を廃止しろ、などと学校へ主張する暇があったら、学校の代わりに保護者で引率して子供たちを守ってやるべきだ。

ところで考えたのだが、自宅警備員の方々を、登下校警備員に採用するのはどうだろうか? 登校の時間だったらまだ起きているだろうし、朝陽を浴びて、子供たちと交流ができるのも良いことだと思う。採用した自宅警備員の中に変質者が潜んでいる可能性は、もちろんゼロではないのだが。いろんな面で教育に良くないか? いや、こういう大人の怠惰な末路を子供たちに見せてやるのも、大事なことだ。

もしくは、団塊世代のオヤジたちだ。仕事人間で、趣味もなく、毎日毎日暇していて、奥さんに纏わりついて奥さんを鬱にしてしまっているという診療報告が相次いでいる。こういうオヤジが今かなり多いらしい。先日、「ジジイはストーカーなんかしてないでnoteで交流を持ちなさい!」でも記載したが、ストーカーしてるくらいだったら、子供たちの安全に奮起してもいいんじゃないか? 結構、オヤジたちはしっかりと守ってくれて、ハマるような気がしている。少ない子どもたちを救ってやってほしい。

※続きはありません。「面白いじゃん、応援しちゃう」という方がいらっしゃいましたら「投げ銭」お願いします。おにぎり代にします。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?