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「麦茶」は「貧乏」の代名詞?

いつの間にやら「麦茶=貧乏」という一般方程式が出来上がってしまっている。スーパーファミコン世代の私もその方程式を身を持って学んだ一人なのだが、今の若い世代も、「麦茶=貧乏」というイメージなのだろうか?

私は「麦茶パックを家庭で沸かして飲む」という習慣ができた頃から今に至るまで、「節約=麦茶パック」なのだと疑いもなく思っていた。だから昔の世代の人も同様のイメージを持っているものだと信じていた。逆に、今の若い世代にとっては、麦茶の効能は見直されている時代だから、「貧乏」というイメージをまったく持っていないのじゃないかと思っていた。

でもどうやら、それは違うようなのだ。

40代の男女でも、「麦茶=貧乏」というイメージを抱いている人と抱いていない人は、「半々」くらいで、これは20代でも同様で、「半々」くらいだったのだ。世代差がないのだ。

以下は巷の声だ。

・麦茶を出してくる家のヤツを見下してたよな?
・貧乏のイメージはまったくないわ
・麦茶以外のジュースなんかを飲ませてもらえなかった貧乏人のひがみだろ
・貧乏な友達の家に行くと決まって麦茶が出てきたよな
・金が無い、だから麦茶を沸かす
・麦茶って貧乏臭いですか?
・麦茶を貧乏茶って呼ぶのは無慈悲すぎる

私が麦茶を飲んでいた当時は、子供だからか自分の家庭が貧乏だとは思っていなかったが、友達の家で出てくるお茶が2Lペットボトルのお茶で、それを飲み干す前に「時間が経っちゃったから」という理由でまだ残っているそのお茶を躊躇いなくゴミ箱に捨てていた光景は、子供ながらに衝撃だった。

勿体ない・・・さすが、ウチとは違って大きな家に住んでいるよな・・・って。

「麦茶=貧乏」とは、大人になって振り返った時に、そういった過去の体験があったかなかったかの現れに過ぎないのかもしれない。

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