見出し画像

「プラモデルは作ったら捨てる症候群」は治らないのか?

プラモデルを作ったらすぐに捨ててしまう・・・・・・そんな人は少なくないのではないだろうか。独自調査(機密)によると、なんで安くなかったのに作ったらすぐに捨てちゃうのよ!と嫁等に怒られる人も多いようだ。何を隠そう、私もそうだ(嫁等はいないが)。私は一般男性の平均からすればフィギュアの類はまあまあ持っている方だと思うのだが、作り終わったプラモデルは飾っておいてはいない。作ってはポイ、作ってはポイ、だ(これが女性だったら大問題だ)。これは何故だろうか? と問い質しておいて申し訳ないが、迷うことなく理由はハッキリしている。プラモデルは作るのを目的として買っているからだ。

ガンプラでPG(パーフェクトグレード)が出た時、買わずにはいられなかった。Mk-II (ティターンズカラー)だったのだが、飾ることもなく、完成と共に捨ててしまった。最近、また何かを作りたい衝動があって、今度はZガンダムを買ったのだが、ふと、作ったら捨ててしまう行為に自分で疑問を抱き、まだ作らずソファの下に眠らせている(作ったら捨ててしまうので)。何故、捨ててしまうのだろうか? 作った後は飾っておいても良いではないか? 捨てる派の心理とは? いくつか調査結果を列挙してみよう。

・作る行為で満足
・飾る場所が無い
・完成体を一度眺めたら満足

悲しいことに総合すると捨てる派の意見はこれくらいしか無かったのだが、しかし、理由はまさにこれである。どうやら捨てる派の理由は共通しているようである。また、私の場合、おそらく、フィギュアは飾るのに作ったプラモデルは飾らない=作ったプラモデルは飾るクオリティに無い、ということのように思う。作るのは好きだがこれがまたへたっぴーなのだ。で、捨てるわけだが、正直、歳のせいか、捨てる行為に抵抗が出てきた。縁を切るという行為に思えてきて、哀愁を抱くのだ。しかし、作ったら捨てることは止められない。どうにかならないものか?

私は、思い出に縋る方法を考えた。

小学生の頃、お誕生日会を開くのが好きだったのだが、その時に初めてもらったプレゼント=プラモデルがBB戦士シリーズだった。その頃、作って遊ぶものといえばミニ四駆しか知らなかった視野の狭い少年だったので、BB戦士を初めて知った衝撃といったらなかった。特に武者頑駄無が好きだったので、武者シリーズを今買えば、幼い頃の思い出も蘇って作ってもあの頃は良かったなあ・・・・・・と回顧回顧で捨てたりはしないのではなかろうか。ということで、早速、買って作るのだが、そもそも今はBB戦士を欲しくないし、作り応えが無いので、残念な結末を迎えるしかなかった。大人という財力はなんとも残酷だと思った。やはり「プラモデルは作ったら捨てる症候群」は治らないのか? 今日も心のどこかで泣いている。

 そういえば、今の時期くらいから、夏が来れば思い出すのだが、マイクロエースの扇風機プラモデル「浜風」のことは忘れられない。独り、家から出て間もない頃、お金もなく、数千円の扇風機も買えなかった。そんな折、「浜風」に出逢う。「浜」と呼んでいた。おっさんではない。イメージは、浅黒い肌が日差しに美しく輝く浜辺の少女だ(プラモデルの色は青緑が強く黒はまったく無いが人間の想像力は底知れない)。彼女はお淑やかという感じではなく奔放で無邪気で、気が付くとそっぽを向いているような猫的で可愛らしいやつだった。毎年、毎年、夏だけの逢瀬だったが、私にとってなくてはならない存在だった。何が悪かったのだろう、気象の変化が悪かったのだろうか、いややはり、大人という財力が残酷だったのだと思う。電池式の風力では満足できなくなり、私は電気式のプラモデルではない扇風機に浮気をして、彼女を身勝手に捨ててしまうのだ。本当に、簡単に。いつしか彼女との思い出も薄れていく。私はあるとき知るのだった、買ったのは扇風機ではなく、サーキュレーターだったということを・・・・・・。それからしばらくして、私はサーキュレーターを使うのをやめた。もう何年も使っていない。だからといって、彼女は、「浜」はもう、帰ってこない。

※続きはありません。「良かった」「面白かった」と思われた方で「100円くらいなら払ってやるよ」という方がいらっしゃったら投げ銭お願いします。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?