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褒めて伸ばすのではなく、矢作流「小木のやりたいことはなるべくやらせてやりたいと思っているからな」で伸ばす

お笑い芸人おぎはやぎの矢作が掲げる、「小木のやりたいことはなるべくやらせてやりたいと思っているからな」をいろもんというお笑い番組で初めて聞いたとき、これが教育の真理だ・・・・・・、と私は身震いして感じるくらい、心に強い衝撃を受けた。私はこのとき、高校生だった。

その人にとって意味があるかないか、その人にしか決して分からないことなのに、さも当たり前かのように、あれはダメだ、これはいい、あれをしなさい、これは気に入らない、と、平気で人は言う。まるでそれが正解かのように。

私は親、教師、友人、テレビの中の人、とにかく他人の生き方に意見をする人が、大嫌いだった。今でもそうだ。やりたいと思うことが本当にその人にとって必要なことであり、やりたくないと思うことは本当にその人にとって必要のないことだと私は思っている。外部からのきっかけで、やってみようかな、と思い立つに至るものは、その人にとって必要だったものとして昇華されていくのだと思う。やらなきゃダメだ、と強制されてするものは、その人にとっては何ら必要が無く、いくら無理強いをしても一切身につかないと私は思っている。

教育とは、強制して身につけさせることをいうのではなく、やりたいと思うきっかけをより多く与えてやることだと、私はこの高校生のときに強く思った。いつか、塾の講師になってやろうと思うようになった(公僕の教師には無理だと感じていた)。振り返ってみてほしい、例えば、一方的に正しさを強制してきた者たちより、自分の失敗談を例に挙げてこういう思いを失敗をお前にもしてもらいたくないから気を付けなよと語ってくれた者の方が、心に残ってはいないだろうか。

今はもう違うが、私は塾講師になり、色んな子らと出会ってきた。うまく彼らを導くことができていたかどうか、少し、振り返ってみることにする。

こんな子がいた。

名前はMくん中学三年生。特に部活には入っていないようだったが坊主頭で、平均的な中学生活を謳歌しているような活発な感じの男の子である。Mくんが夏前から塾に入ったのはオーソドックスに高校受験の為で、平均そこそこくらいの成績だったのもあってか、塾の中でもやる気はある方の子だった。

Mくんは理数系の子で、行きたい工業高校があるんだと言って、問題が速く解けたとか、点数が良かったとか、こういう問題なら自信がついてきたんだとか、受験を前向きに楽しんでくれていたのだが、ある時、私じゃない先生(女子大生)の授業を受けている際に、ずっと居眠りをしている姿を見掛けた。そういえば、私のコマが合わなくて、夏休み明けてからはMくんの授業を見ていなかった。久々にMくんと授業が一緒になった時に、聞いてみた。夏休みが明けた九月の終わり頃の話である。

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