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女子高生に淫行しても子供にとっては良い教師だった。

私が小中高時代、既にろくな教師がいなかった。そんな状態がもう20年近くも続いているということだ。

学校を“ブラック企業”化する、「子どもが可哀そう」という呪文
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawaikaoru/20140626-00036775/

教科書に載っていること以外の質問は絶対に答えてくれない教師、進路の相談に真剣に耳を傾けない教師、明らかに行われているイジメを見て見ぬふりする教師、メンツかなんか知らないが自分の発言は絶対だと思っていて撤回・謝罪しない教師――。

人間として大人として尊敬できる教師が存在しないという「子供の心」に植え付けられてしまった像が、強烈な刷り込みとなってずっと大人になっても残り続けている。私はまだ独身で子供もいないが、自分の子供が学校に通えば、自分の学生時代を思い出し、教師には不安を抱いた状態で間違いなく辛辣に接してしまうだろう。子供時代、教師をまったく信頼できなかったのだから、当然だ。今の状況は、教師たちが自分たちで招いたことだと私は嘲笑してやりたい。

子供にとって、大人の事情はもちろん関係がない。一対一で真剣に向き合ってくれたとか、人間臭くも大人として憧れる存在感を示してくれたとか、そういう「心に訴える体験」が子供時代には重要で、この負のスパイラルから抜け出す為には、一人でも多くの子供の心を幸せにするしかない。今の親を説得することに労力を使って時間を消費し子供を蔑ろにしていては、いつまで経っても同じことが繰り返されるばかりだ。三年間でも一年間でもいい、数ヶ月という一瞬でもいい、親にとっての教師ではなく、子供にとっての教師を取り戻せば、その子供が親になった時には、教師の敵には決して回らない。子供が尊敬し慕っている教師に対して親が文句を言うようなら、それを子供の方から制することだってある。

女子高生への淫行で、数ヶ月で退職した教師がいた。

だが、この教師は、厳しくも、「人として真っ当か」という心でぶつかってくれるので、差別も贔屓もしない、時には学校とも戦ってくれて、色んな生徒から好かれていた。冒頭でろくな教師がいないとは言ったが、この教師のことは私も尊敬していた。オタクみたいな奴にも好かれていたし、やんちゃな奴からも好かれていた。淫行と知っても、庇う生徒は大勢いた。たった数ヶ月の体験でも、強烈にこの教師のことは覚えていて、教育って、こういうことなんじゃないのって今になって思う。悪いことしたら職を失うという去り際まできっちり学ばせてもらった。本当に子供時代の良い体験、良い出会いだった。

現職の世の教師たち、多忙なのは分かるが、さらに時間を使えと言っているのではない。一時間の授業の中でも、ただ教科書を読み上げ反芻させ、教師という立場を誇示する以外にも、子供たちとの接し方、もっとやるべきことがあるでしょう。大人の事情は、いつの時代も子供には関係がない。金とメンツの為に働くサラリーマン教師になるくらいなら、志の高い若い内に辞めてもらった方が遥かに良い。この状況はブラック企業と同じだ、と感じた時点が、潮時だ。そこからは心が負け続ける。ゲーム屋やアニメーターと同じ感覚だ。熱意ある若い内に教師は辞める、その方が、子供にとっても教師にとっても、一番、有益なのではないか。

(アシベズヘア/facebook

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