旅行中のメモ書きより

人間が人間の形をしているこの街では、ぼくらは人間であることを強いられる。だが同時にそこからこぼれ落ちるなにかがあるのを感ずる。ぼくたちは実は人間でない部分を抱えている。いや、抱えているという言い方は語弊がある。人間は作られるものだ。人間が作られるのだ。作られたものを人間と呼ぶのだ。人間を作ることによって、人間が生まれる。そのことに気がつくと、じぶんが人間でない異形のなにかに思われてくる。ここでは人間であろうとすることが、あまりに過剰で、その過剰さはもはやパロディーだとさえ言える。人間が演じられたものに過ぎないということを人間が人間を演じることによって、自ら呈示している。だから、人間を創造したのは人間だと言えるし、自ら自律的に人間であれないことが、失楽園という「比喩」なのだと思う。

(19/01/14)

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