雑記、プロメテウスの悪意

何をいうか、だけでなく、そもそもある話題について口にするかどうか、という分岐も意識する必要がある。これは詩を書くとか文章を書くとかだけでなく、声に出すことが一定の価値を持つ今日に生きている人の問題として。

炎上商法ということが言われていて、それに口を挟むことが帰って火に油を注ぐ結果となるということがある。私たちは、マスの中の一人として価値をますます無くしてきているように感じられるが、誰かにとっての「その人」は依然として価値を持ち続けている。

口にしないでおこう、ということは、「敵」を意識しないようにしよう、ということにもつながる。それは、場合によっては黙殺しているつもりで、かえって抑圧してしまうこととなる。

炎上において問題となるのはその反応の絶対値の大きさだ。ポジティブな反応を示そうと、ネガティブな反応を示そうと変わらない。それにかかずらうことが加担なのだ。

オーラルなコミュニケーションが重要視されている。声を捨てることを私たちは極度に恐れる。

自分も誰かの他者であり、その他者の他者として自分がいるということ。誰かが誰かであるために自分がいるということ。そのことを意識すれば、火をわざわざ友のところまでもたらそうという気は起きないはずだ。

プロメテウスには人間への悪意があったのではないか。

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