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【小説】怪獣専門誌の編集部が巨翼と邂逅する話⑩営利と矜持の狭間

ラドン飛翔災害を目の当たりにした怪獣専門誌の編集部は矜持の炎を静かに燃やす。

ラドンを追うことに情熱を燃やす女性ライターと、出版社のお荷物・怪獣専門誌編集部によるドタバタお仕事物語

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登場人物

営利と矜持の狭間

 後の政府発表によれば、このラドン飛翔災害による被害は、家屋・建造物の全壊が四五三軒、半壊三四〇〇軒余。

 被害の大半はラドンが東シナ海へ抜けるまでの往路で発生していて、阿蘇への帰巣時にもたらされた損害は軽微であった。その理由は、最後に残った一機のブラックバイパーが囮となって、ソニックブームの威力が地上に及ばない高度にラドンを引き付けながら、阿蘇のねぐらに誘導した功績だと言われている。

 また、物的被害に比して死者・行方不明者数も低く抑えられた。ラドンが飛び立ったのが日中で、多くの人が職場や学校など比較的堅牢な建物で過ごしていた時間だったこと、エリアメールなど個人へ直接通知できる警報システムがこの十二年で発達したことなどが主な要因だが、谷川地区の事例からも明らかなように、「TAI-CON Ⅳ」シェルターの貢献も大きかった。


 三日目、午前十一時。

 ラドンの飛行ルートから外れ、被災を免れた熊本駅前。千若と●●は、アマプラザくまもとの「岡本コーヒー」で飛倉編集長の到着を待っていた。

 飛倉と連絡が取れたのは昨日の夜。驚くべきことに、あの被害から二日のうちに土砂崩れで寸断されていた道路は復旧し、電波の繋がるところに出て来られたらしい。

 左脚を骨折した藤林氏も無事に病院に搬送されたとのこと。

 飛倉は今、帝洋丸友不動産が手配した車でこちらに向かっている。

「ふうん……。『ラドン先生には撮らせるな』って、編集長がそんなこと言ったんだ?」

 被災地の記録を残すにあたって、飛倉と別れる前に交わした会話の顛末を●●に伝えると、少し機嫌を損ねたような言葉が返ってきて、千若は慌てて付け加えた。

「そうじゃなくて『任せるな』ですよ。●●さんが辛くなることもあるんじゃないかと心配したんじゃないですか?」
「ふんッ! あの編集長、雑誌の売れ行きは気にしないのに、他人の心配は一丁前なんだわなぁ」
「ふふっ、間違いないですね。そんなだから書籍第二部の窓際なんかに飛ばされちゃうんですよ」
「でもチワちゃんさ、昨日私に報道撮影の意義を話してくれたときの言い方、編集長そっくりだったよッ!」
「えぇー……」
「誰がそっくりだって?」
「あっ編集長‼︎ ままま、とにかく無事でよかった! 編集長も、チワちゃんも。ねッ⁉︎」
「ていうか編集長⁉︎ どうしたんですか、その服⁉︎」

 再会した飛倉の身なりはひどい有様だ。着ている服は、無人島でサバイバル生活をしてきたかのようにところどころ破れていて、さらには●●の服にも付いている緑のシミが尋常でない範囲を覆っている。

「俺たちのところにもな、デカいヤゴが出たんだよ。藤林家のシェルターの壁を突き破ってな。生きた心地がしなかったぞ」
「ええ……。大丈夫だったんですか」
「ん? ああ、全員無事だ。藤林夫人が撃ち殺したからな」

 話を聞けば、千若が助けを呼びに歩き出したその夜に、それは現われたという。

 鋭利な爪を振りかざして近づいてきたそれを、飛倉と森里支店長がテーブルを盾にして防ぐ。異形の力でテーブルごとマウントを取られそうになったそのとき、ガンロッカーから二丁の散弾銃を持ち出してきた藤林夫人が銃弾を叩き込んだ。

 散弾銃に込められる銃弾は三発だけ。撃ち終わった銃は、左脚を骨折した旦那に弾を込めさせ、途切れることなく撃ち続けた弾数、約六〇発。

 それが息絶えたときには、至近にいた飛倉は緑の返り血にまみれ、服は暴れる爪が触れてボロボロになっていた。

「見事な連携プレーだったよ、あの夫婦。しかしなんなんだ、あのムシは……。ヤゴならあれがトンボになるのか?」
「そうじゃないみたい。調査隊にいた古生物学者の見立てでは、地下の環境に適応したかなんだかであのままの姿で繁殖して一生を終えるんだとか」
「成虫になれないまま図体ばかりデカくなってまぁ……。あの鳴き声出しながら近づいて来られた日にゃトラウマになりそうだったぞ……」
「"あー、あの発泡スチロールを擦り合わせるような耳障りな声ね!」

 千若は、山道をひとりで歩いているときにそんな鳴き声を聞いたことを思い出してゾッとした。それを尻目に、●●は言葉を続けてこんな提案をした。

「そんなことより編集長! 新しい服買ったほうがいいですよ。ここの五階にZARAがあるみたいです。適当なの買ってきますんでサイズ教えてください」
「いや、別にいいよ」
「私も替えの服買いに行くつもりだったんで、ついでに買ってきますよ!」

 なんか余計な心配してくれたみたいだし? とは敢えて口に出さなかった。じゃあ、これで……と、飛倉から差し出されたお札を受け取って、●●は席を離れた。

 飛倉とふたり残された千若は、ついさっき「編集長そっくり」と言われたのを思い出した。何だか気まずくなってしまい、飛倉から視線を外してコーヒーをすする。

「君」
「えっ? あっ! はい、編集長、なんですか」
「『えっ』ってなんだ、『えっ』って? 今後の編集方針を考えなきゃだろ。撮った写真、見せてみろ」

 カメラを受け取ると、飛倉はディスプレイに表示させた写真を無言で一枚ずつチェックしていく。五分ほど沈黙の時間が流れた。

 そして、カメラを返すときに飛倉がかけた労いの言葉を、千若はこの先ずっと覚えているだろうなと思った。


 その後は次号『怪獣公論』の編集方針について話し合った。想定していなかったラドンの出現によって、当初予定していた誌面の内容に見直すべき点が多く出ていた。とくに、この被害をもたらしたラドンをどう扱うべきか。これを慎重に検討しなければならない。

 この場でいくつか出された意見は、東京でもう一度編集会議を開いて最終的に決定することになった。

「君たちは今日東京に帰って、明日は休むといい。俺はもう一日、こっちに残って取材していくことにするよ。道路の復旧に時間がかかると覚悟してたが、藤林氏と帝洋のおかげで余裕ができたからな……」
「どういうことですか?」
「うん、災害で損傷したインフラの復旧工事はな、自治体と契約してる地元の土木業者が担当するんだ。だが過疎化の進んだ長白木村は道路もデコボコでロクな公共事業もままならない。もしかしたらすぐに対応できる土木業者もいないんじゃないかと心配してたんだ。ところが実際は、二日目にしてあの土砂崩れは復旧完了。どうしてだと思う?」
「あ、帝洋の怪獣シェルターの建設工事が公共事業にあぶれた土木業者の受け皿になっていた、と」
「君はちょっと優秀すぎるね。そういうことだ。それも記事に書かないとな」
「ラドンがいるから仕事にありつける人がいる……」
「当然、生活を奪われる人だっている。今後ラドンをどうするか、答えの出ない問題だよ……。それにしても、ついこのあいだ俺たちの……俺の旅行ムックで取り上げたこの土地が、またこんなことになってしまうとはね」
「そう言えば、編集長が熊本に来るときバスで親子に会ったって言ってましたよね……? ラドン先生の記事を読んで地元に帰ろうとしてたっていう……」

 それを聞くと、飛倉は天井を見上げ、長いため息をついてから言葉を続けた。

「……俺がラドンの翼の下に送り込んだも同然だよ。ずっと気にしてるんだが……。名前も聞かなかったからな、探しようもないんだ……」
「そのこと、ラドン先生には……?」
「言いそびれたままだ。このまま言わないでおくよ。わざわざ重荷を背負わせることもないだろ」
「そういうものですかね? まぁ、編集長がそう言うなら……」

 ラドン先生、怒るんじゃないかな……。

 ファインダーを覗く彼女の横顔から、ラドンに向き合う覚悟を垣間見ていた千若は、なんとなくそう思った。


 彼らが案内されていたテーブルが、店内のパーテーションで死角ができる位置にあったのが良くなかったかもしれない。

 そのパーテーションの陰に、ZARAからの戻りしなに会話を耳にしてしまった●●が、飛倉の服を握りしめながら立っていることに、ふたりとも気が付かなかった。

 ***

 翌々日。

 東京の本社に出社した書籍第二部のメンバーは、一様に労わりの言葉で迎えられた。

 志治枝は「とにかく無事でよかった、連絡が付くまで生きた心地がしなかった」としきりに言っていたし、戸波は●●が会社に姿を見せた途端に駆け寄って声をかけた(このときの会話で、ラドン出現時に阿蘇山にいた●●は五〇〇㍍ほどゴミのように地べたを転がっていたことが明かされ周囲を驚かせた)。

 あの相模でさえ、飛倉と千若が一緒にいるところを見つけると、労いの弁を述べてきた。思いがけずありがたみを覚えたのも束の間、その口上を聞かされるうちふたりの表情は険しくなっていった。

「よく無事だったな! よかったよかった。ラドン襲撃の真っ只中を掻い潜ってきたんだろ? 特ダネじゃないか。羨ましいよ」

 羨ましい、だと……?

「いいか? これはお前らにとってチャンスなんだ。上層部の連中には書籍第二部を疎ましく考える人間もいる。これで次の号が売れれば奴らもうるさくは言ってこなくなるさ。この情報氾濫時代、本を売るには不安を煽るか憎悪を煽るかだ。それでいけ」
「……言いたいことはそれだけか? 相模」

 腕を組み、相模と視線を合わさずに無言で聞いていた飛倉が放ったのは侮蔑の滲んだ声。

 右隣には瞳孔が開いた眼で相模を見つめる千若がいて、こちらには少しばかり熱を帯びた言葉を飛倉は投げた。

「……千若! 仕事にかかるぞ」
「⁉︎ はい!」

 編集会議には『怪獣公論』執筆陣のゴジラ担当・牧、モスラ担当・小美も出席することになっていた。

 全員の都合がついたのは二日後で、それまでの時間を使って、今回のラドン飛翔災害についての情報をできるだけ集めたかった。

 発売が迫っているとはいえ、年一回発行の『怪獣公論』の性質上、速報性ではネットや新聞や週刊誌には敵わないから、情報の正確さと多角的な視点で勝負したい。そのためには綿密な情報収集と分析が不可欠だ。

 何が原因でラドンが目覚めたのか、あの被害に行政はどう対応したのか、件の巨大ヤゴは他の場所にも現われたのか?

 書籍第二部のメンバーは、他媒体の報道、行政による情報発信、学会有識者の見解など、信頼できるソースから手当たり次第に情報を集めた。

「千若、被災地の救急や病院の受け入れ状況についての情報はないか? 調べておいてくれ」
「ラドン先生、ラドンがあのヤゴをエサにして地上に出てくるのを防いでたってのは信用できる情報なのか?裏を取るんだ」

 ふたりに指示を出す飛倉は熱が入っていた。

 はじめは良い雑誌を作るための努力によるものだと千若は思っていたが、それだけでなく、なにかの執念が飛倉の中にあるようにも見えた。

 千若と●●が終電近くまで残業して帰ろうとしたときも編集長はデスクから離れなかったし、翌日ふたりが出社したときも同じ体勢で作業を続けていた。

 編集長はあらゆるメディアに載った被災地の写真を熱心に見ていて、一般市民によるSNSへの画像投稿にも目を通しているようだった。

 写真の中に何かを見つけようとしているようにも見える。

「はァ……」

 そんな飛倉を見て●●がため息をつくことが増えた。

 これとは別に、飛倉は編集のための実作業と直接かかわりのない厄介ごとにも頭を悩まさねばならなかった。熊本から戻ってからというもの、『怪獣公論』編集チームは会社上層部からの圧力に晒されていた。

 相模も示唆していたように、また、飛倉らが好むと好まざるとに関わらず、ラドンに世間の関心が集まっている今、売り上げ増が見込めるのは間違いなかった。

 上層部のメンバーはこの波に乗るべしと口々に編集方針について提案をしてきたし、なかにはあろうことか飛倉に直接指示を出してくるものもあった。それは相模の言葉と大差のないものであり、上層部はそれを踏まえたうえでの編集プランを提出するよう求めてきた。

 大東公出版のレガシーたる『怪獣公論』の、自由な言論に裏打ちされた存在意義が、揺らいでいた。


 社内からさまざまな思惑を向けられるなか、『怪獣公論』主要ライター全員を集めた編集会議が始まろうとしている。 

 飛倉、千若、●●は、少し早めに会議室に入って、これまで集めた資料の確認をしていた。

「……こんなところだな。君たちが文字通り歯を食いしばって撮ってきた写真だ。なるべく使って被災地の現実を伝えたいね。ラドン先生も、辛いかもしれないが君の知識を活かして原稿を書いてくれると助かる」
「……あのッ! 編集長! ほかの皆さんが来る前に伝えておきます」

 飛倉がかけた気遣いの言葉を受けて、●●が切り出した。「辛いかもしれないが」のところが引っかかったように千若には感じられた。

「チワちゃんから聞きました。私の記事のせいで熊本に帰って被災したお母さんがいたそうですね? なんで私には教えてくれなかったんです⁉︎」

 いつもの●●には見られないトーンで自らを咎める口調に面食らう飛倉。構わず●●は続ける。

「重荷を背負わせる? ナメないでもらえますか。私は、ライターで、剣よりも強いペンを振り回してる!
 私たち怪獣ライターがモノを書くとき、その剣の向く先にいるのはいつだって自分自身なんです。
 そりゃ最初は、自由に空を飛ぶラドンへの憧れから入ったし、今でも憧れますよあの存在には。でもね、そのラドンがなにをもたらすかなんて百も承知で記事を書くんです!
 それを読んだ人が私をどう思うかまで承知のうえで書いてきたんです!
 その覚悟は、私の初めての記事を、編集長、あなたの雑誌に載せてもらったときからできてますから‼︎
 いくらでも背負ってやりますよッ‼︎」

 飛倉は、彼女から視線を逸らさず、口を挟まず、最後まで聞いた。聞いてから、彼女の目を見たまま、黙って頷く。

 そして、自らに向けたようにぽつりと溢した。

「……覚悟ができていなかったのは俺のほうだな……」

 編集会議が始まった。一堂に会したライター陣を前にして飛倉が話し出した。

「みんな、今日はありがとう。これから、ラドン特集の次号『怪獣公論』の編集方針と担当記事の割り振りを決めていきたい。
 だがその前に私の話を聞いてほしい。
 私が『怪獣公論』の編集に携わるようになったこの六年、怪獣の被害は発生しなかった。だから、私自身、熊本でラドンの脅威を目の当たりにするまでは、この社会で怪獣について言及することの覚悟が充分できていなかったことに気づいた。
 そのせいで、怪獣ライターの君たちにとっては不本意なお願いもしてしまったことがあったように思う。
 すまなかった。
 今回のラドン出現で、世間では怪獣へのあらゆる感情が燃え上がっている。『怪獣公論』もその熱に乗じて売ることが求められている……が、我々の雑誌は炎に焚べる薪ではない」

 ウンウン、と頷きながら聞いていた千若は、●●がにんまり笑顔を浮かべながらこちらを見ているのに気づいて、慌てて飛倉に視線を戻した。

 飛倉は話を続ける。

「つまるところ、怪獣とどう向き合っていくかが改めて問われているわけだが、それを決めるのは我々ではない。かの地で暮らす人たちこそがそれを決めるのが筋だと思う。
 だが、ラドンに向ける感情は、被災地ではいろいろなものがあるはずだ。どんな感情をもつ人が読んでも、その人の意思に寄り添える情報が、少しでも良いから盛り込まれている雑誌にしたい。
 私が編集長になって以来、今回ほど自由な言論の場としての『怪獣公論』が求められているときはなかったと思う。
 諸君らの多様な視点と知見が武器だ。我々が書けること、書くべきことを自由に書こうじゃないか。
 ……とまあ、今回はこんな感じでひとつお願いしますよ。なにか異論は?」
「編集長!」
「なんだ、千若?」
「それで売れなかったらどうします?」

 そう異論を唱えた千若だが、本気で反対しているのではないことは表情を見ても明らかだ。

「売れなかったら……? 上には俺が謝っとく」

 こうして書籍第二部『怪獣公論』の編集は本格化していった。

 ***

 編集作業で他媒体による被災地の報道にあたるとき、避難所や復興作業の写真があると、バスで出会った母子が写っていないか無意識に探してしまう自分に気づいて飛倉は苦笑する。

 我ながら少し感傷的すぎるのではないか。

 熊本県下の世帯数から冷静に考えると、確率的には被災を免れている可能性のほうが圧倒的に大きい。

 しかし、飛倉は最も甚大な部類の被害を経験してしまったのだ。それだけに、あの理不尽な境遇から救われかけていた母親が、さらなる不幸に見舞われたかもしれないことを想像すると居ても立っても居られなくなるのだった。

 編集作業が大詰めを迎えようとしていたある日、地元の新聞社の記事に強く目を引かれた。

〈八代海誇る魚介、観光客に。再建誓う芦北の海鮮料理店〉

 そう見出しを掲げた記事の、ボランティアらによって復旧が進む海辺の料理店の写真。そのなかに見覚えのある黒い軽自動車が写り込んでいる。

 バスターミナルで母親を乗せて走り去った車と、母親が語った身の上話が一度に思い出された。

 ——あの海辺の海鮮屋さんで私、学生のころバイトしていたことがあるんですよ。

 これがその海鮮料理店だとすれば、彼女の実家も近所にあって、昔働いていた店の復旧を手伝っている可能性は充分あり得る。

「ああ、そうそう! 私が取材したの、このお店ですよ! 私も気になってて、こないだ調べたんですけど、この地域は被害が軽いほうで、お店の人は軽い怪我だけで済んだみたいですね」

 復興旅行ムックで取材した●●に確認すると、そんな答えが返ってきた。飛倉は母親と話した内容と自らの想像を伝える。

 それを聞いた●●は、明日からその地域へ行って追加の取材をしたいと言い出した。

 編集スケジュールでは、すでに原稿の執筆は終えて、デザイナーとのやり取りを進めていかなければならないタイミング。今以上に人手が欲しくなる工程に入りつつあるし、そもそも●●の担当分の原稿はすべてデザイナーに入稿済みだ。今さら何を取材しようと言うのか。

 それでも●●は行くと言って聞かない。

 飛倉は総務に無理を言って、このタイミングでの取材経費の申請を通してやった。

「これで来年度の経費は大幅カットだな……。もっとも、来年度があればだが……」

 飛倉はひとりごちた。

 翌日、●●が出社してきておらず、あろうことか再度熊本へ取材に飛んだことを知った千若が素っ頓狂な声を上げた。

「えぇ⁉︎ ライターさんから上がってきてる原稿の入稿作業、ラドン先生と分担して進める約束だったのに‼︎ 編集長、何考えてるんですか!」
「あー、千若くん。ラドン先生の分は俺も手伝うから」

 編集長はそう言って有能な部下を宥めるほかなかった。

 ***

 『怪獣公論』ラドン特集号が書店に並んだ。

 表紙は千若が撮影した、阿蘇山上空を飛ぶラドン。これまでの号を踏襲した落ち着いたデザインで、感情に訴えるようなコピーは表紙のどこにも踊っていない。

 広告は予定通り帝洋丸友不動産のものが掲載された。ただし、被災地への心のこもったお見舞いの文がメインのビジュアルになっている。広告代理店・博愛AD社の細見氏によれば、あの日、共にラドンを見上げた九州支店の森里氏が書き起こしたコピーだった。

 彼らの怪獣シェルター「TAIーCON Ⅳ」紹介記事は、ラドン飛翔時における有効性を検証する内容になった。飛倉による原稿は地域への経済効果にも触れており、クライアントからはたいへん好評だったという。

 また怪獣ライター陣が総力を上げて執筆した、多岐に及ぶ切り口からラドンを分析した数々の記事は、被災地の有志に届いた。客観的かつ冷静な視点で掘り下げられた解説は、行政・民間を問わずラドンとの関わり方を考える人々に新たな知見を与えた。

 一方、世間一般からの評価はどうだったかというと……。


 その日、定時で会社を上がった千若は、帰りの地下鉄に乗る前に、最寄りの大型書店に立ち寄った。

 ラドンへの注目度の高さから『怪獣公論』は目立つところに平積みされている。だが、その隣に積まれた、煽情的なコピーが目立つ競合他社発行の社会派月刊誌に比べて、売れ行きは芳しくないようだった。

 千若が見ているうちにも競合誌は三人が購入して行ったが、『怪獣公論』は一冊も売れなかった。

「良い本なんだけどな……」

 大東公出版では、編集に携わった刊行物なら申請すれば必要な冊数を持ち出して良いことになっていたが、千若は自分たちの『怪獣公論』をレジに三冊持っていって会計を済ませた。


つづく

※この物語はフィクションです。登場する人物・企業・出来事は、実在する如何なるものとも無関係です。

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特撮怪獣映画『ゴジラ』(1954)でヒットを飛ばした東宝が、1956年に公開した『空の大怪獣ラドン』。いいですよね『空の大怪獣ラドン』。2年後、2026年には70周年です。

先日、調布シネマフェスティバルの『空の大怪獣ラドン<4Kデジタルリマスター版>』上映イベントに行ってきたのでレポも書きました。

★この小説は、本作のファンサークル「ラドン温泉」が2022年冬のコミックマーケットC101で頒布した合同誌に収録されたものです。ラドン70周年を盛り上げるべく、修正して公開します。

元ネタは友人のキミコさんによる短編の世界観です↓

元ネタ(聖典)↓

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