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「遅いインターネット計画」を応援します

「3年A組ー今から皆さんは、人質です」というドラマの最終回を観た。SNSの誹謗中傷について訴える主人公から「遅いインターネット計画」を思い出した。

SNS(特にTwitter)の「炎上」「バズり」を無視して、本当に価値のあることだけをゆっくり考える場を作ること。

宇野常寛さんが主催するPLANETS CLUBのページには、「遅いインターネット計画」について上記のように書かれている。

昨年から有料でPLANETSのコンテンツを視聴したり、読んだりして、こんな風に考えている人たちもいるのかと希望が湧いた。友人が増えた訳ではないのに、孤独が癒された。

静かにコンテンツを観たり読んだりするだけでも、居場所があるように感じた。こういう感覚もあるのかと気づいた。

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ドラマの中にこんなセリフがあった。「言葉は人を傷つけるためにある訳ではない。喜ばせたり、楽しませたりするためにある。っていうか、そっちの方が楽しいだろ。」

残念ながら、この言葉はネットにいるたくさんの人に届かなかったようだ。SNSの誹謗中傷は鳴り止まない。一人の人が全身全霊で訴えたとしても、世界はほとんど変わらない。

これはドラマの話だけれど、現実の世界だってそうだということをみんなわかっている。

では一体、どうして変わらないのだろう。

「人を喜ばせたり、楽しませたりする方が楽しい」という感覚はもしかしたら、経験するのが難しいことなのかもしれない。言葉によって傷つけられた経験が濃い場合、少しの親切では拭えないと思っている。傷を癒すのに簡単な方法は、誰かを傷つけることだったりする。

人の欠点を見つけて、叩いていると自分の傷の痛みを感じなくてすむ。傷つけられた人が傷つける側に回るという最悪な循環がSNS内でおきているのかもしれない。

そういう循環の中にいると、言葉で人を喜ばせたほうが楽しいという感覚が、わからないままだ。外から見ると最悪な循環であっても、中にいたら居心地が良いのかもしれない。居心地の良い場所があるのなら、変わる必要はなく循環し続ける。

SNSは「自分の都合の良いように解釈する道具」として使われていることが多いのかもしれない。それは、人のローコンテキスト化を進めている。

※※※

「遅いインターネット計画」は、Google検索の引っかかりやすいところに、良質な読み物を置くこと。もし何かの出来事や誰かの言葉に傷ついたなら、SNSを閉じて良質な読み物をみにいくのはどうだろうか。

そこは、情報を拡散するための場所ではなくて、いつも静かにそこにある。そういう場所がもう少しでインターネット上にできるらしい。

もしかしたら、そこはあなたの居場所になって、もっと違う楽しみを手に入れられるかもしれない。

私は引き続き「遅いインターネット計画」、応援します。

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