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RTはnoteらしい体験に生まれ変わるといいな

noteにRT(リツイート)機能はあった方がいいのか?ということについて書いてみる。

twitterへの発信とnote

RTというと真っ先に思い浮かべるサービスがtwitterだ。RTの恩恵を最も受けやすく、そして炎上も助長する。

当たり前だけれど、twitterとnoteは文化が違う。おすすめに取り上げられ流コンテンツの選定や、公式ユーザーの発信はクリーンなものが多いと思っている。丁寧に文化形成をされているイメージだけど、RT実装次第では文化に影響が出る可能性がある。

とここまで考えて気づいた。「自分のnote記事を誰かがツイートしてくれることに制限はかけられるのか?」というものだ。もし制限するとしたら、固定のソーシャルボタンは表示・非表示で切り替え可能な必要がある。

今のところ、ソーシャルボタンの固定で悪い影響が出ているとは思えないからそんなに神経質に考えなくても大丈夫なのだろう。

誰の記事でも自由にtwitterへ投稿されるor投稿できて、noteの外に発信され得る。だったらnote内で拡散されても問題はない気がする。問題はどう実装していくかだ。

制限の実装

拡散のメリットは、必ずしも良いことだけに使われる訳ではない。デマやネガティブキャンペーンとも相性が良い。こういった悪用されやすいケースについてどう制限をかけていくかが重要なポイントだと思っている。

サービスには自由の中の制限が必要だと思っている。たとえばインスタグラムでは、ストーリーズ機能は誰にでも付与される。しかし、ストーリーズの一コマに外部サイトのリンクを貼る行為は、フォロワーが一万人に達しないとできない。格差や差別という声もあるかもしれないが、文化を守るという観点では意味のある制限だと思う。

noteで制限を儲けるとしたら、「公式の人のみにRT権限を付与する」のはどうだろうかと思っている。最初は試験的にじわじわやるのが良いのかなと思っている。公正さというのは、信頼と同等に扱われるべきものと考えている。note(運営)から公式の人と認められたということは、信頼に値している。まずはnote(運営)が信頼している人にRT権限を付与するということ。

タイムライン表示のノイズ

自分のタイムラインにフォローしていない人の記事が意図せずに表示されてしまうとう懸念もある。これは深津さんの呟きに対してのコメントにあった。

これも公式だけに限定すればある程度は解消できるのではないかと思う。個人的にはフォローしている人がおすすめする記事であれば、読みたい派。

twitter文脈から脱却したRT

RTという機能はシステム的にはtwitterと一緒になるかもしれない。しかし実装によってはnoteらしい体験に昇華できると思っている。文化の崩壊を防ぎ、安心を与えるように実装されるのが理想的だ。


今日はRTにおける意見を書かせていただきました。こんなところに着地しました。

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