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身近な人にインタビューしてみたら、色々勉強になった。

私は、人にインタビューした事は数回ある。仕事で企業のオフィシャルサイト作成や、求人サイトの出稿を手伝うのだが、その際に社長さんの話を聞くのである。企業のオフィシャルサイトなどで見た事があると思うが、「代表あいさつ」や「代表者メッセージ」といったあれである。あれはあれで一応の役立つ情報ではあるが、パーソナルな情報もないし、当たり前だがネガティブなことは聞かない。いわば良いところだけ、表面だけのインタビューだ。

しかし今回は、純粋にその人がどんな人物なのか探るインタビューにしたいと思う。インタビューの対象者は、私の会社の社員Mくんだ。私の会社は、全社員が20人の零細企業だ。インターネットの広告を作ったり、売ったりしている。私は会社のNO.2、年齢は今年49歳。対するMくんは、まだまだ新人の部類で年齢は25歳。なので、なるべくパワハラ的なインタビューにならないように、極力気を使ったつもりだ。Mくんには、面談ではない。ちょっとインタビューさせてください、とも伝えている。ただそれでも、Mくんがリラックスして答えてくれたかは甚だ怪しい。

100%リラックスして、腹を割って話はしてくれないことは容易に想像がつくが、私はどうしてもMくんにインタビューをして、Mくんをもっと知りたかった。正直、Mくんの考え方が私には時々理解出来なかったし、Mくん自身も会社の中で働きづらそうにしているように私は感じていた。このままでは、近々辞めてしまうのでは?と思っている。私はMくんに対して、せっかくウチの会社を選んで入社したんだし、もう少し頑張って欲しいと考えている。

Mくんに対する私の事前知識はこんな感じだ。彼は東北出身の25歳。コロナ禍真っ最中の去年の1月に営業部に入社した、うちの会社の中では2番目に新しい社員。Mくんは一昨年に入ったTくんの友達で、Tくんの紹介で面接、入社に至った。二人は都内の音楽の専門学校で知り合っている。Tくんは、ギター科、Mくんはベース科だったらしい。パーソナルな情報は、古い社員に比べるとそこまで分かっていないので、コレを機会にMくんを深掘りしてみたい。


<インタビュー>

―まず Mくんは、Tくんの紹介でウチの会社に入社したわけだけど、Tくんとの出会いを詳しく教えてもらえますか?

Mくん:専門学校で、僕が初めて声をかけたのが、Tくんでした。Tくんはギターで、自分はベースだったので、逆に声をかけやすかったんだと思います。同じ楽器の人だと最初は色々考えてしまうので。Tくんとは、一緒にバンドを組んだことはありませんが、ずっと友達でした。僕は専門学校を卒業後に、高円寺で一軒家を2人の友達とルームシェアして住んでいたのですが、そのルームシェアしていた友達が、Tくんとバンドを組んでいたこともあり、よく一緒に遊んでいました。僕が実家に帰っていた時期も、たまに電話で話をしたりしていました。


―なるほど、そこから入社へ至るきっかけは何かあったのですか?

Mくん:Tくんの結婚式の前に、結婚式で誰を呼ぶかなど、電話で話することが多い時期がありました。その頃僕は、実家に帰り就職しましたが、1ヶ月ほどで辞めてしまい、失業保険をもらいながら職業訓練校へ通い、cad(キャド)の勉強をしていて、そろそろ職業訓練校が終わる次期でした。なので、そろそろ就職を考えていたのですが、cadが活かせる職場だと手取りが13万とか、安い職場しかないなど相談をしていたら、Tくんから「ウチに来なよ。Mなら絶対大丈夫だよ!」と誘われました。それも一度ではなく、何回か誘われるうちに、僕もその気になっていきました。ただ今考えると、Tくんは結婚を期に知らない土地に引っ越しして、さらに全く知らない営業という分野への就職だったし、入社したてで友達もいなかった時期で寂しかったんじゃないかと思います。僕自身、また首都圏に出て就職する際に、友達が会社にいたら楽だろうという思惑もあったと思います。
(※この件に関して、私は思い当たるフシがある。Tくんは、Mくんの他にも友達をうちの会社へ誘い、私が面接している。その友達は、残念ながら不採用になってしまったが。)


― 今働いている中で、Tくんの存在は助かっている?

Mくん:自分が、なかなか仕事が上達せず、Tくんへも迷惑を欠けてしまって悪いなぁと感じています。


― なるほど。では今度は仕事ではなくプライベートのことを少し聞かせて下さい。うちの会社に就職する前、都内の専門学校を卒業して、東京でしばらくアルバイトをしながらバンド活動をして、一昨年に東北の実家に帰ったと聞いてます。なぜ実家へ戻ったのですか?

Mくん:バンドが解散したタイミングと、コロナ感染が広まってきたタイミングが重なって、東京にいる理由があまりなくなり、実家に帰りました。


― 東京での一人暮らしの様子は?ストレス発散とかは?

Mくん:バイトとベースしかしていなかった気がします。ストレス発散は、友達と飲みに行ったりしていました。それ以外は特に何もしなくても楽しかったです。


―今度は専門学校時代について聞かせてください。ベース(楽器)の専門学校で、東京に出てきたということだけど、その経緯などを教えてください。東京に対する憧れみたいなものは、あったのですか?

Mくん:高校生の頃、ビジュアル系のコピーバンドをやった事をきっかけで、ベースにハマっていました。音楽の道に進みたかったので、大学で音楽をやろうと思っていましたが、勉強がつまらなくて全然やらずでした。そのうちどうやら大学進学は出来そうもないことが分かってきて、だったらお金を貯めて専門学校しかないと思い、専門学校の学費を稼ぐために一生懸命バイトをしてお金を貯めていました。東京に対する憧れはありませんでしたが、田舎特有の〇〇さんちの息子、あそこのMくん、のような狭い世界には飽き飽きしていました。だから、全く知らない土地に行きたいという思いがあって、東京に出たいと思いました。


― 東京のベースの専門学校に行くことに対して、両親はどんな様子だったの?

Mくん:めちゃくちゃ反対されましたね。親的にはFランでも良いので大学へ行って欲しかったようです。僕は音楽の専門学校を目指すうちに音楽をやりたい意思が強くなっていたので、説得しました。何回か家族会議して、ついには親が折れてくれました。


― それでは少し遡って、どんな子供だったか?子供の頃の話を聞かせて下さい。また印象に残っているエピソードがあれば教えてください。

Mくん:おとなしい子供だったと思います。小学校、中学校までは、特に目立つわけでもなく、良くも悪くも普通の子供だったと思います。

印象に残るエピソードと言って良いか分かりませんが、今の自分の性格にも繋がっているんじゃないかと思う話しがあります。中学生でバスケットボールをやっていたんです。その中で、自分は背が高いわけでも、足が速いわけでも、運動神経が良いわけではなかった。それでも試合に出たい。普通にやってても、他の人に勝てない。なので、どうすれば試合に出れるかを考えました。そして、スリーポイントシュートをひたすら練習した経験があります。今のままでは試合に出れない。試合に出れなければ面白くない。バスケは好きだし、部活は辞めたくない。ではどーしたら良いか?別にスリーポイントが得意というわけではなかったんですが、ココだったらなんとかなるんではないか?と考えたんです。

また、中学校の三者面談で先生から「今のお前の頭じゃ、最低ランクの高校しか行けないよ」と言われました。それに頭に来て。腹が立って。普通よりもよい高校に行ってやると決意しました。その時も普通に努力しても、恐らく先生の言う通り最低ランクの高校にしか行けないと思いました。そこで気付いたのが、数学の点数が2倍になる理数系の学校があるということでした。数学の点が2倍だったら、数学だけ頑張れば、そこさえ頑張れば、自分でも平均以上の高校へ入れるんじゃないかと思い数学だけをひたすら勉強しました。結果、その高校に合格する事が出来ました。

僕はたぶん、平均的に仕事をこなすことが得意じゃないんだと思います。なにか自分が出来ることが見つかれば努力出来るんだと思います。


―そのスリーポイントだったり、数学だったりする、抜け道的な攻略は、どーやて見つけたの?

Mくん:単純に消去法です(笑)。バスケのときも、背が低くてもできる、足が遅くても出来る、運動神経が良くなくてもできることを考えたら、スリーポイントしかありませんでした。高校を選択するときも、他に何か自分の努力で受かりそうな所がなかったんです。


―なるほど。なんとなくMくんの人となりが聞けて良かったです。今日はありがとうございました。

Mくん:いえ。こちらこそ、ありがとうございました。


<感想>
今回のインタビューで、Mくんが現在苦しんいることが分かった。それは、会社のルールの中で全てが合格点に達していないと感じているからだ。そして、スリーポイントや数学のような、自分だけの攻略法を見つけられていないからだ。私は彼がその攻略法を見つける手助けができれば良いなと考えた。彼はルールの中で結果を出すことよりも、ルールの抜け穴を見つけることが得意なタイプだと思うからだ。そして彼が、彼なりの攻略法を見つける事ができれば、会社にイノベーションを起こすこともできるのではないかと期待してみたいと思った。

また私は今回のインタビューで、聞くに徹することでの新たな発見があることを知った。私の会社では年に2回、代表と私、そして社員の人の三者面談を行っている。その時、社員の人の考え方などを聞きたいと思って、聞くに徹しているつもりだった。しかし今回インタビューをして分かったことは、面談では聞くに徹しきれていなかった、ということだ。面談の場では、やはり相手の考えに、会社の要望を戦わせてしまう傾向がある。そしてそのことで、相手の考え方の深いところまで手が届かずに終わってしまっていたことを大いに反省することになった。

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