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今日まで・・・5️⃣

すっかり、ご無沙汰です。
今日は台風の影響で涼しいですが、連日の暑さで
何もしたくない僕でした。

総務部へ異動
「簿記の学校に行っていいから、総務やってくれないかぁ」
直属の上司を飛び越して常務のお言葉です。
入社後、現場(全国旅芸人)を3年、そして設計を9年続けています。
工学部電気工学科卒業の僕が総務ですか?
直属の上司(取締役)が反対してくれれば、この話は無くなったと思います。
しかし、それは叶いませんでした。
総務部の大先輩に相談したら、「引受けろよ自分のスキルが上がるぞ❗」
「会社を辞めて実家に戻ったら役に立つ」と・・・・
 (実家は名古屋で電気工事会社を営んでいました)
畑違いなんです。すご〜く悩みました。

悩むと言うより迷ってたんですよね。結局、『30代半ばだから転職したつもりで一度リセットするのもいいかな』と決心しました。
(後日談、当時の総務部長が年齢的にもう限界で退職したいが、後継者が見つからない。そこで、社内にいる僕に白羽の矢が・・・間に合せかw 僕の中に才能を見出してくれたんじゃなかったんやぁ)

こうして、総務部異動を受諾した僕は、新入社員同様一からの出直しとなりました。ウチの会社の総務部は、経理・財務・法務・人事・庶務など、要するに現場作業以外全てを担当しています。
手始めに、簿記の勉強です。大手簿記学校に週2日午前中に通学、午後は帰社して通常業務をしました。半年間かけて日商簿記3級・2級を学習、2級のみ受験し無事合格しました。

後日、父親に報告したらメチャ怒られました。
そりゃそうでしょね。大学の電気工学科を卒業後、他社で3年修行し、退職して家業を継ぐとういう父親の計画が頓挫したのですから・・・

ポジションはいきなり副部長
設計部時代は課長でしたが、総務部ではいきなり副部長を任命されました。
ちょっと待った❗、社歴は12年だけど総務は新入社員や❗
右も左もわからん僕が副部長なんて務まらないですよ~
すぐに、社長と常務に降格を直訴しました。
あれこれ言われながらも受理されて、無事、課長職に降格となりました。
(後日談、総務部長が「課長ではカッコ悪いから副部長」と言ったからだそうです。何ともヌルい会社です。)

いつもの【暗転】

小学校に入学したよ
ピッカピッカかどうかはさておき、名古屋市立の小学校に入学しました。
クラスは1組に決まりました。当時は1クラス45人くらいで1学年5クラスでした。1組の担任はカワイ先生(専門は音楽)やさしそうな年配の男の先生でした。

5月になって放課後に職員室に呼び出されました。
なに?なんも悪いことしてないのに(僕は気が小さいのです。)
職員室でカワイ先生から特別クラブへの入部を言われました。
(拒否権はないのです。)
特別クラブとは、名古屋市が主催する大会に学校を代表して出場する器楽&合唱クラブのことです。放課後、ほぼ毎日練習があります。当然、授業が終わったら帰宅して近所の友達と遊ぶ時間はなくなりました。

最初に担当した楽器だよ~ん

楽器を演奏することと歌うこと
楽器は、大太鼓・小太鼓・カスタネット・トライアングル・ハーモニカ・リコーダー・ピアニカ・アコーディオン等など・・・その中で、僕が最初に割当られた楽器はカスタネットでした。カスタネットをバカにすることなかれ❗結構お作法が難しい楽器なのです。さらに、隣のカスタネット奏者と動作をシンクロさせるという難易度の高さ❗(小1に求めるなよ〜)
合奏が上手くいくまで延々練習は続くわけです。みんなのテンションは徐々に下がってきます。
児童が飽きたと見ると、サッと合奏から合唱の練習に切替❗
このタイミングがカワイ先生は絶妙でした。

夏休みもありません。当時はクーラーもない部屋で、40名(全員一年生)ほどの部員は毎日午前中、汗をカキカキの練習でした。
(さすがにに土日は休みですけどね。)
秋の発表会に向けて・・・

この続きはまた・・・
最後まで読んでいただきありがとうございました。
本日も豊かなる一日を♪

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