とある日の映画鑑賞感想文

 残留民、お疲れ様。この言葉しか出ない。当事者意識に欠けると思われるかもしれないが、明らかに過去の遺産なのだ。第三者的視点の感想になることを許してほしい。
 父親が軍に徴兵され、家族が残される。そしてフィリピン人に攻撃される。状況としては最悪だ。また大日本帝国からは基本現地に留まるように言われる。苦労を想像してみよう。親が会社に行ったきり帰ってこず、さらに知らない人がナイフを持って家に乗り込んでくる。しかし親の会社からは家に留まるように言われる。こんなものではないかもしれないが、現代の日本で起こる悲劇に変換するとこうなるだろう。悲劇への同情は尽きない。
―以下都合により口が悪くなるので注意されたいー
 話を進めよう。さて何の話をしようか。文字数制限を付けられたので1000文字以上書かないといけない訳だが、これ以上書くことはない。戦争はできる限り起こさないとでも書いておこうか。それとも自分の戦争観でも書こうか。。。どうも中身のないものになってしまいそうだ。1000文字の感想を書くのなんて小学生の読書感想文以来だ。その頃はどんなふうに書いていただろうか。確かあらすじを書いた後に気に入った場面を“すごかった”だの“面白かった”だの言っていた気がする。このやり方で映画の感想を書くと、音楽が宗教的で感動した。フィリピンに残されてかわいそう。弁護士かっこいい。解像度を上げて話をしようにも戦争在留民に関する知識が在日中国人韓国人くらいしかない。そのため身近な話に持っていくことができないのである。
いやそもそもそもこの映画の目的が感想を得ることではないのだ。ただ公開したいから公開するという事実なのだ。もちろんそこには不平等の是正という義務感はあるかもしれない。だが何もそこから何か言葉をひねり出す必要はない。この映画が心の琴線に触れた人は自分の見聞きしたことを言うだろうし、そうでない人にとっては沈黙を貫くしかない。何を思ったかという問いに関して、何も思わなかったや回答を拒否するということがあってもいいはずだ。この映画を公開するという行為は尊重する。だから長文の感想を拒否するという行為も尊重してほしい。
 ここで感想文について考えてみる。感想文とは文字通り“感想の文”である。自分が題材に関して触発されて考えたことを書けばいいわけだ。するとこれまで私が書いた文章も感想文という体をなしているのかもしれない。それに起承転結という型を偶然にも取っていることにも注目してほしい。内容は別としてそこそこ感想文としては完成していると思うがいかがだろうか。


ーー完ーー


感想文って難しいですよね。皆さんはどんな感想文を書いてこられましたか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?