♯1 34になった、なってしまった

34になった、34になってしまった。
なんの手応えもない、34になってしまった。資格や免許は、運転免許のみの、34になってしまった。
ミッション免許だと、自慢げにも、おどけて言うこともできない、プライドだけが高くつまらない、34になってしまった。

10年後には、自分の仕事、いや、業界すらもないと、思えるほど、不安で不安定な34になってしまった。

あと、5年もしたら、40になると思うと、震える。
貯金額を見ても、震えるし、ローン残高を見ても震えるし、こんな未来のない業界に勤めている私にお金を貸す1流金融機関にも、震える。

こんな自分だが、人様に迷惑をかけないどころか、サービス精神旺盛で、喜んでもらうことが好きだ。

小学生時代は、Mr.オクレのモノマネで、同級生の人気者に(同窓会で皆のモノマネの認知度の低さに落胆)、
中学、高校と仲のいい(いつでも、マウントがとれて、反抗しない男子友達)友達の前で腕を磨き、
自信をつけ、見事に大学で、(男三人兄弟で、長男、野球部は、こじらしがちなのだ)馴染めず、
サークルにも馴染めず、
バイト漬け、お笑い番組だけを見て、
評論家気取りし、
バイト先の童貞、年下にマウントをとり、
自信を取り戻し、精神安定させていた。
お笑い養成所にいき、
半年で挫折(周囲には1年通い1年オーディションで腕を磨いたと嘘ぶる、自己弁護)、
なんの肩書もないので、SNSのプロフには、
元芸人と書く始末。
周りには、友達が一人もいなくなっていた。
社会人になることを目指し面接でも、
これでもかと、 
元芸人をアピールするような、
そのままの精神で34になってしまった。

社会人には、なれた。
24の中途入社だが、
部長の温情で、新入社員に潜り込ませてもらえた、
新入社員は、2個下なので、
50人いる同期の中でも、トップ3にはなれた。
もちろんブラックで朝から夜まで働いたし、大学、養成所まで通わせてくれた親に恩返しをと思って働いた。
給料も、30万円ほどもらえるようになり、
1人暮らしを始めた。
親への感謝の気持が強くなった。

同時にこの生活では体がもたない事もわかっていた。
2、3年働くと嫌な上司になってしまった。
後輩は、みんな私の靴音を聞くだけで、
震え上がり、ミスを指摘すれば涙する、
嫌な上司になってしまった。
このスタイルでしか指導できない、自分に失望した。

心がもたない。
転職をした。
年収は、下がったが、土日休み18時まで、残業なし、心も体も楽になった。
2、3年働くと、また営業成績がトップになっていた。
でも、給料は、少ないまま。
会社の中では胸を張って歩けるが、
社外では、肩身の狭い思いをした。

ネットの記事で、公務員の平均給与とボーナスを目にした。
学生時代遊んでいたので、仕方ないと思える自分はいなかった。
ただ、ただ羨ましく、妬んだ。
普通の日常を過ごしたい。
でも、普通を維持するには、どれだけの苦労があるのか、骨身にしみた20代だった。

身長は、180以上、軽自動車だが、車もあった。
20代前半は、ブラック企業で働いていてもモテたし、色恋には困らなかった。
20代後半になると、急に雲行きが怪しくなった。
平日休みの女性は、どうしてもサービス業がおおい。
自分もサービス業に従事していながら、
土日休みの大人の女と、お付き合いしたいと、心底願った。

20代前半より、低くなったマッチ率、
晩年のイチローの打率を見ているようだ。
世の中は平等だと、義務教育では、ならったが、そんなことはない。
サバンナや、アマゾンとなんらかわらないと思った。弱肉強食の世界。

課金でマッチ率をあげ、
土日休みの女性とのデートの日々、
20後半の女性も、自分と同じような思考だと思い知らされた。
一家の大黒柱には、なれないし、パートに成り下がった、妻を養える自信も、気力もなかった。
見た目重視の恋愛なんて、いつからか、考えもしなくなっていた。

そんな僕でも、世の中の役に立ちたいし、
ありがとう言われたい。
所属してる業界的には、府市統合案は、死活問題だが、世の中の為に、維新の会に投票した。
両親は創価学会だが、こっそりと、維新の会に投票した。
橋下徹は、負け、僕の良心は、負けた。

職場でも部下への、教育ポジションになった。
仕事のやり方を教えるし、親身に、(前職のような情熱的指導を封印しピエロのように振る舞った)部下は仕事を覚え次々と新規案件獲得していった。
僕の指導の最後は、この言葉で締めくられる。
パートナーがいないのであれば、公務員か、医療関係者と結婚しなさいと、アドバイスした。
人口1万人以下の、電車は2時間に一本の、廃校舎を役場に再利用するほど財源のない、
自民党にしか投票する政党がないような、
田舎のおやじがするアドバイスになってしまった。
つまらなく、面白味もない、ただただ目の前の人に親身に現実的なアドバイスをする。
34になった。なってしまった。

歌が上手ければ、歌手になる夢を見て、
将棋が上手ければ、棋士を目指す。

小さい頃から人の笑顔を、思い通り作れていたので、芸人を目指すのは当たり前だった。
半年でやめた、自分が嫌になった。

僕に、なにができるんだろう
僕は、人生の先輩としてなにがのこせるんだろう

僕が、褒められて、自己肯定感を他者から、もらい、
他者も、生きる実感を、
唯一無二、感謝し、人の人生をかえられるもの、、、前戯しかなかった。
これだけは、自信があったし、これだけは、異性に褒められた。
だから、僕は、前戯のスペシャリストになることを誓った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?