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「マーケ未経験26歳男」がスタートアップで見出したキャリア #私とランサーズ

ランサーズ株式会社が2019年12月16日に東証マザーズに上場したことを祝し、OBOGが各々激動の想い出を振り返る企画、#私とランサーズ

私も2014年11月(24歳)から2018年4月(28歳)までランサーズに在籍し、当時の日々が考え方の土台になった身として、便乗させていただこうと思います。ランサーズの皆さま、おめでとうございます。

▼『卒業生がつなぐ#私とランサーズ』バックナンバーはこちら
・01やましゅー「ベンチャー、ランサーズ、僕
・02みのぐち「嵐の中を突き進む力
・03さかえだ「戦友」という存在を得た場所
・04ザック「RUNサーズ
・05ぬまぬー「人生を切り開く言霊 〜上司にもらった本気の言葉〜
・06よしの「株式会社リートだった、ランサーズの「あの頃」
・07とがし「誰もが新しい働き方を創る同志だった
・08あおき「新卒がスタートアップで学んだこと
・09ながた「失敗と成長を共に歩む
・10つぼい「新卒でスタートアップに入社するということ
・11あかし「ビジョン×エグゼキューション=スタートアップ


申し遅れましたが、私ランサーズOBの芦澤です。現在は株式会社ビズリーチにて、BtoBマーケティングに従事しています。私は「マーケティング」という仕事をランサーズで初めて経験しました。未経験でマーケティングに携わるなかで多かれ少なかれツラさは味わうと思いますが、自分が何を経験しどう乗り越えたかを、当時を振り返りながら書いていこうと思います。

当時の自分と同じように、今どこかで日々奮闘しながら悩んでいる新人マーケターの方が「自分はここまで酷くない」と安心し、少しは肩の荷を下ろしてもらえたら幸いです。

はじめに 〜なぜランサーズに入ったのか〜

入社前は雑誌やWebメディアで編集の仕事をしていた私は、25歳を目前に自分のキャリアに疑問を抱いていました。「自分は記事を書くことはできても、それだけで良いのだろうか。」「そもそも自分がしたいことは記事を書くことなのか。」自分がこれから何がしたいのかを拙い脳みそであれこれ考えた結果、「自分は将来何かしらで事業を起こしたい」という暫定の結論に至りました。その時から、そのボンヤリとした目的実現のために「圧倒的に足らないビジネス力を鍛えないと」と考えるようになったのでした。

「今のスキルを活かして何かできることはないか?別にバイトでもいい」そんなことを考えながら求人媒体を眺めるなかで、1件の求人を見つけました。

「編集校正、事業立ち上げ、渋谷駅5分、服装・髪型自由、勤務時間自由」

「やたら自由そうな言葉が羅列された求人。...気になる。」

クラウドソーシングのことなどつゆ知らず。ましてやランサーズという会社の存在も知らないまま、求人票から得た「自由そう」「これから伸びそう」という勘を頼りに私は見ず知らずの会社の面接を受け、あれよあれよと入社することになったのでした。

人にはお勧めできないほど、勢いと勘だけを頼りにしたキャリア選択。むしろギャンブルです。

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(↑入社当時のギャンブラー)

何をランサーズでしてたのか

そんなギャンブラーが「ランサーズで何をしていたのか」の説明を簡単に。私がランサーズで携わらせていただいた業務は大きく以下の2つでした。

■ 1. コンテンツマーケティング支援

私はバックグラウンドを活かし「編集ディレクター」として入社。業務内容は、お客様が運営するメディアが必要とするコンテンツを、自社サービスに登録いただいているフリーランス会員(以下「ランサーさん」)と協働し制作・納品すること。

ディレクターによって担当する案件の特徴やコミットする範囲は違えど、私はライフスタイル領域でメディアを運営されるお客様を担当させていただくことがしばしば。時にはお客様先に常駐してご支援をすることも。わかりやすくイメージするなら「狭く、深く、高密度なカスタマーサクセス」とでも言いましょうか。この業務は1年半ほど経験。お客様であるマーケ担当者の方と仕事させて頂くにつれ、次第にマーケティングというものに興味を持ち始めました。

【回想】これから勢いに乗ろう!というランサーズにおいて、業務がフロー化されていることなど一切なく、この時期は朝から晩まで「どうしたら売上を上げながら顧客の満足度が上がる支援ができるか」を喧々諤々する日々でした。ロジックなどないまま自我流を貫きたい私は、小うるさくも根は部下想いの上長Nとよく衝突していましたが、自由に成功と失敗を経験させていただいたことは今では財産であり、いい思い出です。

■ 2. BtoB向け商品を自分で考え、売るためになんでもやる仕事

その後は自社のマーケティング組織に異動。この組織における"マーケティング"のスコープは「ランサーズプラットフォームの流通額を上げるためになんでもやる」というなかなかマッチョな思想の組織。クオーター単位で注力施策が変わるのですが、私が最も長く担当し、かつ象徴的な仕事は「B(企業様)がより負担なく、より満足いくC(ランサーさん)とのマッチングに成功するための商品を考え売る」というものでした。

担当業務は新商品の企画(誰に向けて何をいくらで売るか)、それの集客(CRMやセミナーでのリード獲得)、そして案件化(原則獲得後5分以内架電)、肝心の商談(ソリューション提案)、ゴールはマッチング(母集団形成から発注まで)と、フルスタックな感じで、まあ全部です

【回想】この「なんでも自分でやる」という経験は良くも悪くも今でも自分のスタイルの土台となっていると思います。とはいえ未経験の自分には無茶なやり方なので、どの時期よりも失敗と挫折も経験した時期でした。ここからは、経験もないまま無謀なチャレンジを始めた新人マーケターとしての話を書いていこうと思います。

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(↑異動当時)

新人マーケター、モラトリアムの日々

異動して数ヶ月が経った頃、当時の上長Kと管掌役員Nから呼ばれ、とても気軽に「あっしー、ランサーズ上のライティング部門の流通を上げて欲しい」とお題を提示されました。この瞬間から私の"フルスタック・マーケター道"が始まったのですが、これまで目の前の顧客に向き合うことしか経験がなく、そもそも「マーケティングとは何か」も理解できていない自分に企画も集客もできるわけはなく。真剣に途方に暮れました。

■ なんでみんなアルファベット3文字で喋るんですか

まず最初の壁は「会議で出てくる言葉がわからない」ということ。例えばこんな会話。

「直近数週間の施策ではCTRが引き続きダウントレンド。CVRは堅調に推移しているので、CTRを改善するためのCTA改善などの施策を来月は注力しようと思います。なお獲得CPAについては目標通り推移しています。CTRを改善するためにCRMで新規施策を検討したいため、XXさんにCRMで機能的に実現可能か相談を...」

「C...ん?TとVの違いは...?えCのTAとPAって何(そしてググる)」

同じ部署にしょっちゅう一緒に飲み歩いていた友人で同期のHがいたのですが、彼女はこんなことをスラスラ報告しているのに、自分は「Cなんとか」だの「3なんとか分析」だの聞いたことない言葉を片っ端から検索するという始末。自分はスタートラインにすら立てていないことに強烈なコンプレックスを感じていました。当時の自分に何か言えるなら「知らないことなんか知ればいいだけなんだからと割り切れ」「人と比較するな」と言いたいです。

見兼ねた上長Kはある日私を古本屋に連れて行きました。私はそこで読めと言われたマーケ初心者向けの本を大量に買い、その日から本を読み漁っては基礎知識を吸収(インプット)し、感想文を毎日日報で報告(アウトプット)していくことに。それによってマーケ力が上がっているかは当時わからなかったものの、「できない自分が嫌」という生来の負けず嫌いさだけでこなしていました。

■ 施策ってノリでPしてDしちゃダメなんですか

そうこうして、なんとか会話が雰囲気でもわかるようになり、日常タスクも "回し車を漕ぐハムスター" くらいにはこなせるように。習熟度をメール施策で例えるなら「まだCVには至っていないが、メール送ったら多少は顧客が開封して数人はクリックしてくれた」程度です。

当時でも、仮にメールを送ったとして、そのネックが「開封されない」のか、「クリックされない」のか、「CVに至らない」のか程度は判断がつきました。ただそれを改善する施策を考える力が圧倒的に足りませんでした。

若干おぼろげですが、当時の自分の思考レベルは「こっちよりこっちの件名の方がカッコいいから多分先週より開封率上がると思います」みたいなレベルだったと思います。

普段は一緒に飲みに連れてってくれる面白おかしなおじさん、もとい上司のKとNも私の思考の浅さには、真剣に叱りダメ出ししていました。今でも当時のことは鮮明に覚えていますが、3人の日報チャンネルで毎晩深夜まで「数字と事実で根拠を出せ」「気分で動かず仮説を持て」「思いつきでなく"なぜ"を5回は自問しろ」と叱咤激励される日々でした。

今思うと、よく二人は未経験で大して優秀でもない中途社員に、あんなに遅くまで「ああでもないこうでもない」と向き合ったなと思います。

私も負けず嫌いなので、なんとかそんな日々に、文字通り泣きながら食らいつきました。2016年下半期は「事象」「課題」「仮説」を計600回は書き出したかもしれないです。

日次の改善、すなわち月に20回PDCA改善の打席に立つうちに、精度も上がり、結果も徐々に出てくるようになりました。年度が終わる頃には仮説の粒度も「カッコいいから」でなく、例ですが「件名の冒頭に変数タグで顧客の名前を挿入することで、一目で自分ごと化されやすくなり、結果的に開封されやすくなるのではないか」くらいには変化していました。

考える力と成果が追いついてくると不思議と面白くなり、そこからはリード獲得施策のみならず、業種や役職ごとのトークスクリプト改善、商談の持っていき方、マッチングの精度と自分の中で日々のPDCAが快感を伴うようになってきました。

なぜランサーズを去ったか

一人でなんでもやるフルスタックな動き方の利点としては、PDCAを回す速さが圧倒的に早い=アタリもハズレも早く見つかる=最初の成果が出やすいということ。顧客のニーズに合わせて提供内容や価格などを見直し、それをクリエイティブや集客施策に活かし、架電をして反応を見るという事が自分で一気通貫して体験できるという事は、実は貴重な経験だったと今は思います。言い換えると、望んだらどこでも誰でも経験できるということではないでしょう。

しかし、一人で生み出す出力には当たり前ですが限界があります。安定して成果も出せ、リピートの顧客も付いていただけるようになった自分は、もっと規模の大きな場所で大きなことをしてみたいと次第に思うようになりました。何のフィルターもかからない場所で自分の実力を試したいと思うなかで、現職と出会うのでした。現職での話はまたどこかで。

ランサーズ時代を思い返して、今思うこと

マーケティングの「マ」の字すら知らない自分が成果を出せるようになり、路頭に迷わず転職もできたことは、あの時の上長Kと管掌役員Nが根気よく私と向き合い続けてくれたおかげだと思っています。

今では私も"自分が頑張る"から、"メンバーを成功に導く"ように自分の役割が変わりつつありますが、新たな役割に日々難しさを感じているのが正直なところ。

いつか当時の自分のようにマーケターを志すメンバーと一緒に働く事があった時は、二人のことを思い出しながら、目の前のメンバーが主体的に自分の道を見出せるように向き合ってみようと思います。

2019.12.30  芦澤 宏治 

弊社でも、一緒に事業を作っていくマーケターを募集中です。よければチェックしてみてくださいね。


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