歴史ロマンと脳内循環

歴史ロマンに勝手に想いを馳せる事が好きだ。
特に、長髄彦、大國主皇子、ワカタケル、秦河勝、厩戸皇子(聖徳太子)、蘇我蝦夷、はたまた、卑弥呼…
縄文と弥生の 間 、飛鳥と奈良古墳の狭間、
倭国と出雲、いや出雲と大和か、吉備と出雲の争いか、筑紫の系譜か神武の流れか、 藤原氏と東国の亀裂、興味と関心にはキリがない。
日本は決して一つではなかった。そして、今も脈々と 続く東と西 の大きな隔たり。
日本の謎は深まるばかり。 国津神と天津神、スサノオとアマテラス、海の民と山の民、そこまでいくと、柳田國男と折口信夫か…。
二つを併せ持つ日本の奥深さと浅儚なさ。
中華文明の周辺で始まったこの国の歴史は、明治以来、西洋の周辺でぶら下がり、今もなおまた、奥床しく受け入れることと排他的な衝動を繰り返している。
さあ、歴史のロマンから何を感じてどう進もうか! 僕の頭は、こんなどうしようもない
問いかけを循環している。

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