見出し画像

#20 オシムさんからのギフト

ジェフのスタジアムボランティアをしていた20代の頃、
勝ちきれなかった試合の際に、
オシム監督がボランティアスタッフの控室を訪ねてくれたことがあった。

ボランティアのスタッフは、舞い上がり、喜び、沸いた。

そんな中オシム監督は控室のスタッフに、
ホームゲームを支えてくれていることへの感謝を述べて立ち去ったと記憶している。

表情はとても穏やかで、負け試合だったにも関わらず、
私たちの心が温かく包まれた記憶が残っている。

勝った試合の際は、
運営のチームスタッフがトップ選手をボランティアルームに一人や二人呼んでくれることは、
報酬のないボランティアにとっては密かな楽しみでもあったが、
負け試合ともなると、なかなか試合後の雰囲気はぴりついていて、
「今日は、(連れてこれなくて)ごめんね。」と、
チーム側運営者が恐縮することが多かった。

だからこそ、負け試合の後にオシム監督が現れ、
ボランティアに感謝を述べてくれたことが、
はっきりと記憶に刻まれているのだと、認識している。
(私の記憶が正しければ…)

島沢優子さんの『オシムの遺産(レガシ―)』を読んだ。

指導者でもなく、そこまで熱いサポーターでもなく、
でも20代の頃、ジェフのサッカーをみて、
オシム監督が発する試合後のインタビューから繰り出す、
人生哲学のようなものに影響されまくった身としては、
鼻の奥がツンツンして、
感情的になってしまう話ばかりだった。

息子の少年サッカーに関わるようになったとき、
子どものスポーツが抱えている課題に対して、
自分にも何かできることはないだろうか、という行動力を支えていたのは、
間違いなく、20代の頃にジェフのサッカーを応援して、
オシム監督の影響を受けていたという事実だった。
当時は、こんなにも大きな存在になるとは思ってもみなかった。
私をジェフの試合観戦に誘ってくれた友人がいなかったら、
こんな風に関わる事はなかっただろうとも思う。

この本は、
オシムさんが当時それぞれに灯した熱が、
今現在に繋がってどんな熱を帯びているのかを、
丁寧に紡いでいる。
オシムさんは、
日本サッカーの課題に留まらず、教育や子育てや、社会や平和について、
当時の私たちにストレートに投げかけた。
そしてその灯は、それぞれの中で静かに消えることなく、
繋がり続けていた。


2022年11月にフクダ電子アリーナで行われたメモリアルマッチで巻選手が伝えてくれた。
「オシムさんが常に伝えてくれたこと。
考えて走る、
それは、リスクを負って攻めなさい、
走りなさいということだった。

それは、人生も一緒。
僕たちだけでなく、観客のみなさんも。

歩みをとめないで、
責任を持って、一歩を踏み出す勇気をこれからも。」

本に出てくる11人皆、それぞれの分野で、
オシムさんからもらった灯りを灯し続けていることに、
私も勇気をもらった。
それぞれが語るオシムさんとのエピソードは人柄がにじみ出過ぎていて、
更に鼻の奥がツンとした。

レギュラーやサブで態度を変えないで、
市井の人だろうと、責任者だろうと、肩書のある人だろうと、
分け隔てなく接して、
大金や損得で人生を決める人ではなくて、
心から平和を愛して子ども達のことを考える、
そういう人だということが、
どの人のエピソードからも読み取れる。

サッカー指導者は、絶対に読んだ方が良いだろうけど、
そうじゃない人にとっても、価値ある本だと思う。

「オシムさんは出会った一人ひとりにちゃんと責任をとる。みんなに何らかのギフトを贈る、残す人なんです。めっちゃ人を大事にしますから」

オシムさんからギフトを受け取ったといったら、
少々厚かましいかもしれないけれど、
私の中に灯された熱を、消さないようにして生きたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?