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#13 当たり前を疑う

世の中には常識とかいわれる誰もが思ったり感じている価値観みたいなものがあると思う。

そしてそれは大抵、そのように考える人が多くいるから、という理由で常識的に、または当たり前として認識されている。

特定のチーム批判ではなく、この地域の子どものスポーツ環境全体が抱える問題として読んで欲しい。

保護者として少年スポーツに関わるようになって、

私も最初は色々な当たり前とされていることに、なんとなく理解を示してそのようにふるまっていたような気がする。

例えば、

・高学年になると夏休みなど毎週試合だらけだけど、サッカーを通じて親子一緒の時間が持てるから楽しいよ。

・試合にでれなくてもできることはあるからチームの一員だよ。成長するためにはそういう厳しい経験も必要だよ。

・練習はやったらやった分だけ実力になるよ。

・試合に出たかったら、もっと練習して上手にならないと。

・年齢が高くなるにつれて実力主義になるから、試合に出られないのはしょうがないよね。

今でさえ、少年スポーツの4大課題*自分調べ①全員出れない問題②練習時間長すぎ、試合多すぎ問題(③指導が指示命令型問題④ポジション固定化問題)として自分で認識できるような上記のようなことでも、当時の私は「ふんふん、その通りだなー」と感じ、周りの保護者の方に同調したり、息子に対して過度にアプローチしていたと思う。

それが何故(あれ、もしかして何か違うかも。)と違和感を感じることができたのか。

小学1年生の頃の対外試合で、息子の応援に行った際に、「もっと走らなきゃー」とグランド横から大声で応援する私(今思い出しても赤面するくらい恥ずかしい)の方をみて、とっても気まずそうな顔をした息子の顔は今でもはっきりと思い出す。

あれ?何か違うかもと感じた母親の私はアマゾンのおすすめで出てきた島沢優子著書(池上正監修)『少年サッカーは9割親で決まる』を購入して読んだ。(今思うとアマゾンのAIさんありがとうと思う、レコメンドエンジン機能というらしい。)

そこでは私が今まで当たり前と思っていたことが、

『それは違いますよ。』

とやんわり否定されていた。

そして、少年サッカーに関わる親であれば誰もが直面するであろう疑問や困りごとに対して、監修を担当するサッカー指導者の池上正さんが丁寧に回答してくれていた。

例えば、

大人はみんな「(こどもに)喝を入れた」とよく言います。「喝を入れる」はどうしても子どもを責める作業になり逆効果です。大人は子どもに喝を入れれば、いいことがあると思い込んでいるようですが、それは違うと思います。子どもが伸びる最高の手段は、大人が喝を入れたり、言葉で責めることではありません。「サッカーが楽しい」「サッカーが大好き」「だからもっとうまくなりたい」「じゃあどうしたらいいのかなぁ」「練習でこうやってみよう!」そのような手順を踏んで、自ら取り組んでいく。そのプロセスでうまくなるし、成長があります。多くの大人は何か辛いことや厳しい自主練習を自分に強いる子が伸びる。だからつらいことをやらせなきゃダメだと思っているようですが、まったく違います。
子どもがそのように自発的にやるときのエネルギーの源は、「サッカーが好き!」「サッカーが楽しい!」というパッションです。

やわらかな口調で回答が示されていたけれど、まるで私に向けられた言葉のようだった。もう少しで私は息子をサッカー嫌いにするところだったー!と猛省した。

また交代なしで出場機会がない5年生の保護者からの悩みについてー

いまだにそのような話を耳にする機会は多いです。35人なんて本来なら3チーム作れるわけですが、指導者が足らないのでしょうか。結論から言うと、全員を平等に扱ってくれる他のクラブへ移籍するか、このままプレーしながら中学生になってからの選手生活を考えて過ごすかの二択かと思われます。
サッカーでも何でもスポーツは試合に出た方が断然うまくなります。保護者が「他チームでプレーするという選択肢もあるよ」と提案してもいいでしょう。
子どもは変わります。体格や運動能力などの発達スピードは個々で異なります。低学年で目立たなかった子が高学年でエースになったりします。

えぇー!そうなのか!

今までの≪出れない子が発生してしまうのはある程度しょうがない≫と考えていた自分の当たり前が、急に恥ずかしくなった。


読めば読むほど、納得させられることばかりで、今まで自分が当たり前と思っていた考えを少しづつ修正していくのに、この本は指南書になった。(これ以外にも池上さんの本は、自分の中の当たり前を崩してくれて、本質をしっかりと気づかせてくれるので、どれもおすすめです。また島沢優子さんもジュニアスポーツの環境向上すべく、ジャーナリストとして活動されています)


JFAのホームページのグラスルーツのカテゴリを熱心に読み解き、JFAのキッズリーダーの講習会を埼玉まで受講しに行ったりもした。


また他にもドイツ在住の中野吉之伴氏の講習会に参加して、少しづつ自分の価値観を更新していった。

そうしたら今まで当たり前と思って接していた価値観が変わっていった。


・高学年になると夏休みなど毎週試合だらけだけど、サッカーを通じて親子一緒の時間が持てるから楽しいよ。

→サッカーしか親子の時間がないのは変じゃないか?サッカー以外でも親子一緒の時間があった方が良いし、サッカー以外のシチュエーションでも親子でコミニケーションとれた方が健全だと思った。

・試合にでれなくてもできることはあるからチームの一員だよ。成長するためにはそういう厳しい経験も必要だよ。

→試合でこそ子どもは成長していく。成長するための試合以外の経験が大切ならその経験はなぜみんなでシェアしないのだろうか。

・練習はやったらやった分だけ実力になるよ。

→過度なトレーニングは心身ともに疲弊する。適度なトレーニングを楽しく夢中になってできた方が上達する。子どもの集中力は限界がある。やらされる自主練より、何人かでボールを蹴る遊びの時間なら子どもたちはいつまでだってボールを蹴りたがる。

・試合に出たかったら、もっと練習して上手にならないと。

→上達するには試合での実践経験がとても大切。

・年齢が高くなるにつれて実力主義になるから、試合に出られないのはしょうがないよね。

→個人の発達差が大きいジュニア、ジュニアユース年代では、そもそもレベル差があるのは当たり前。過度な実力主義により経験の差がでるのは、個人の成長の妨げになる。

今でこそ、暴力・暴言的指導はよくないといった当たり前が、ひと昔前はある程度必要なことだと認識されていた。(未だにそのような価値観を持つ人はいるだろうが、少しづつ少数派になっているように感じる)

しかし、私が今日書いた上記のようなことは、まだまだ浸透しているとは言えないような気がする。

認知はされるようになってきているのかもしれないが、まだまだ田舎の子どもたちのスポーツ環境は改善の余地が大ありと思うし、ましてサッカー王国○○と新聞を賑わされると一県民として少し恥ずかしい。(サッカー王国○○の定義にもよりますね。)保護者の方も、良い悪いではなく、本当に当たり前すぎて気づかないだけだと思う。

私が今まで接した指導者や保護者を批判したいわけではない。

全ての子どもたちのスポーツを楽しむ環境をどのようにしたらより良く出来るのか、当事者としてずっと考えているし、「私はこう考えている。」ということを、小出しにしながら、対話を通じて伝えていきたい。

私のように、本を読んだり、講習会に参加したり、知識を得ることは子育てして働いて家事して、の中ではなかなかその時間を作ることすら当然出来ない人が圧倒的だと思う。

だけど、目の前の子どもと向き合って、少しでも自分の違和感を感じたら、そこにある当たり前を疑って欲しい。みんなが言っているから、それが良いとされているから。ではなく、自分が子育てしている子どもの姿と向き合って、何か違うと思ったら、当たり前とされていることの前で一度立ち止まって、問題と向き合ってみたらよいかなと思う。

また、子どもに自主練させるためや応援に付き添ってやきもきするそのエネルギーを、少し自分の知識の更新に使ってみると、違った景色にたどり着けるかもしれない。

今の時代沢山の情報は、結構簡単に手に入る。惑わされることもある。

でも目の前の子どもと向き合って、少し自分の関わりかたを変えるだけで、子どもは素直だから変化はあると思う。これは、自分が10年保育士をしてきて、常に感じてきたことです。

子どもにとって本当に大切なことは何か、を見極められる大人になりたいなと思います。


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子どもたちのスポーツ環境が、いまより、より良くなるために。

今の多数派の当たり前が少しでも変わっていきますように!


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