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#7 干渉されない時間

息子の試合の応援に行くと、グラウンドの色々な場所で「今のはこうだったんじゃないか?」とか、指導者が子どもたちに熱弁していることがある。熱弁、ならまだいいが、一方的にまくしたてる、とか、言葉が疑問形だけど、言い方が全然疑問形じゃない「○○じゃないのか!?」もよく耳にすることがある。(対戦相手の話です)

いつも残念だなぁ、と思うのは、子どもが自分の意見を伝えたり、発言する間もなく、大人が一方的に話し続ける場面を見るとき。子どもたちが夢中になってプレーについて話している場面は、あまりみかけない。ような気がする。(あくまで主観です。)

サッカーは、めまぐるくしくかわるゲーム展開の中、ピッチ上で相手と対峙し、ボールをゴールにつなぐためには、次はどんなプレーが良いか、自分はどこにいれば味方に有利か、相手はどんな手を使ってくるのか、を自分で判断して、動くスポーツではないか、と思っている。(素人なので、解釈の仕方は、ご容赦ください)

そこで、重要なことは、自分で考えて、判断する、ということ。(判断の後には実行というタスクもある)

チームコンセプトや日々のトレーニングが、その判断の材料にもなるのは当然だろう。しかし、あくまでもプレー中は、自分で判断し、プレーを選択しなくてはならない。

それなのに、

大人が喋りすぎている場面を見かけることが多いなぁ、と感じ、残念に思う。

2021年の1月頃より、息子の友だちと公園でサッカーをする会を企画している。名もなき集まりで、参加者も数名だが、細々と継続して、10回くらいにはなっているような気がする。

大切にしていることは、

大人が干渉しないこと。

練習ではなく、遊びであること。

(遊び、であるから時にはサッカーじゃないことで盛り上がる時もある。)

混ざるのであれば大人も一緒に遊ぶこと。

その時にその場に参加している全員が楽しめるものにすること。

くらいだろうか。

上記のように書くと、なんだか大層な企画のようにも思えるけれど、単純にいうと、公園で子どもや大人が入り混じって、サッカーして遊びましょう、という会(一緒にきた下の妹や弟、お兄ちゃん・お姉ちゃんもサッカーのみならず、外遊びを一緒に楽しむ会でもある。)で、わざわざ”会”にしなくても、できることでもある。

現に、平日娘がお友だちと約束してきた公園に一緒にいくと、三々五々に集まってきた小学生が、サッカーを楽しむ姿がみられる。

自然発生的に、公園でサッカー(じゃなくても)やろうぜって、なる環境が理想だけれど、色んな理由で、実現が難しかったりする。

息子の少年団で、ポジションを決めて、プレーするようになって、息子がどこか窮屈そうにしているのを、しばらく見守っていた時期があった。息子なりに考えてしたプレーも、修正されたりする事があって、親としてできることはないだろうかと、悩んでいた時に始めたのが、公園での、お友だちとのサッカーだった。

サッカーを始めた時の、夢中でボールを追いかけていた頃の、楽しかった気持ちを思い出してほしい、忘れてほしくない、その一心だった。

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県大会出場、○○杯決勝トーナメント出場、○○大会ベスト何とか!など、周りの大人・指導者・チームが、結果を求めすぎるあまり、子どもたちのプレーが矯正(ひどいときには強制の場合もある)され、子どもたちは、本来のプレーする喜びを失いかけているような気がする。(特定のチームに限った話ではなく、少年スポーツの環境全体の課題として読んで欲しい。)

もちろん、子どもたちは試合に勝ちたいと思う。その気持ちは絶対に大事なもの。だけど、それが優先されすぎるあまり、試合に出れない子どもがでてきたり、ミスのないプレーを求められたり、自分の考えでチャレンジできなかったりするのは、子どもたちから、サッカーをプレーする喜びを奪う行為のように思えてならない。

せっかく、やってみたいと始めたサッカーというスポーツを嫌いになんてなって欲しくない。

自由にのびのびと、プレーする喜びを感じてほしい。

お友達同士、さっきのプレーはどうだったこうだった、もっとこうしてほしかった、なんであの時こうだったんだ、私はこう考えていたのに。さっきのプレーよかったよ、相手チームのあのプレーヤーは○○が凄い、など。プレーに対して感じたこと・思ったこと・考えたことを子ども同士もっとぶつけ合って欲しい。

そんな思いから、公園サッカーを始めた。

始めは、息子と同じ保育園で親交があったママさんと連絡を取り合い始めた。少しメンバーが増え、情報共有のため、Instagramでアカウントを作った。そのうちに、その繋がりで、趣旨に共感してくださる方が、先日初めて遊びにきてくださった。

アカウントを作るのに、名前を付けなければならず、名もなきその集団に

hamamatsu_play_park

と名をつけた。

池上正さんが運営されているサッカープレイパークと被っていることに後から気づき密かに心配している。

小学生もチームに入って活動していると、週末は忙しく中々参加も難しいこともある。本来なら、自分たちのチームでそんな風に自由に子ども同士プレーを楽しむ時間があったらいい。放課後に、公園で集まって、年齢性別、実力入り乱れてやれたらそれも楽しい。

そんなコミュニティが近くになくて、子どもたちがもしサッカーをプレーする喜びを失いかけていたら、浜松のこの小さな集団が救いになるかもしれない。

この集いの場が、今後どうなっていくかは全く想像できませんが、楽しかったと帰っていく子ども、またやろうといってくれる方がいる限りは、細々と続けていきたいなと思っています。

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