「The Last of Us Part II」についてのNaughty Dog信者の率直な感想〜(※ネタバレ注意)

(この感想文は、当然のことですが「The Last of Us」および「The Last of Us Part II」のネタバレを大量に含みます。両作を「自分で操作して」クリアしていない方は絶対に読まないでください。)













↑ジョエルかエリーのどっちかにこの曲歌ってほしかった。




 ノーティドッグの最新作「The Last of Us Part II」がとうとう発売されました。
 私も当然発売日に購入し遊び、先日ようやくクリアしました。
 色々と考えることもあったので、せっかくなので書き殴っておこうと思います。









いや、それにしても、
ジョエル殺されたのショックすぎた。
発売前は「トロコンするまで何周でもぶっ続けで遊べそうだなー」なんて思ってたのに、1周クリアしただけでもう心が辛くて2周目遊べてない。
なんつーもんを作ってくれたんだノーティドッグ…

 他のゲームであれば、クリア後はいつも
「最高。最高すぎて語彙力死んだ。」
だのなんだの、プラスの感情で満たされている筈だけれど、今作をクリアした後、そういった感情が湧いてこない。
 実際、ゲーム部分は前作からの正当進化で本当に面白かったし、ストーリー上の仕掛けもよくできていて、終盤に差し掛かる頃にはこのゲームに完全に感情を動かされてしまっていた。

 本作に対しても、間違いなく「最高」という評価はできるはずなのに、「ジョエルが殺された」というショックと、このゲーム全体を覆う胸糞悪さや陰鬱さの影響が大きすぎて、このゲームをプラスの言葉で評価しようとしても、そういったプラスの感情が打ち消されてしまう。



 ネットを見ていると、このゲームの評判は荒れに荒れている。
(なんだか、発売1週間後くらいの「メタルギアソリッドV ファントムペイン」を思い出す荒れ方をしているような気がする。なんでいつも僕が好きなゲームはこうなるの?まともなのは僕だけか?)

 やはり評価の分かれ目となっているのはストーリーである。
 前作主人公のジョエルが惨殺され、しかもゲーム中盤からは、操作キャラクターがジョエルを殺した張本人であるアビーに交代する。たしかに初見では受け入れ難い。実際私も、アビー編が始まった時にはかなり困惑した。
(アビー編始まったところで何回かわざと自殺したのはここだけの話。)

 とはいえ、先が気になるからとストーリーを進めているうちに、だんだんとアビーに感情移入していってしまった。アビー編の冒頭でソルトレイクの病院が見えた瞬間や、セラファイトの島から水族館に戻る場面では、先の展開を察してしまってかなり辛い気持ちになったし、最後にエリーとアビーが戦うシーンでは「もう2人に戦ってほしくない、2人にはこのまま平穏な暮らしに戻ってほしい」と、感情が行方不明になってしまった。

 アビー編で面白いと思ったのは、前作を彷彿とさせるようなシーンが、エリー達を敵側に置いて展開されるところである。トミーが狙撃してくるシーンは、前作にも同様にジョエル達がスナイパーに狙われる場面があるし、シアトル3日目のアビーとエリーの対決のシーンも、ほぼ丸腰のアビーに対して、武器を持って襲いかかってくるエリー、という構図は、前作でエリーがデイビッドと戦うシーンを反転させたものである。
 今まで「愛すべき主人公、頼もしい味方」の立場だったエリーやトミーが、一転して「恐ろしい敵」として立ちはだかる展開に、本気で恐怖心を覚えてしまった。

 このようにして、敵側のキャラクターのバックグラウンドを詳しく描写しつつ、味方側のキャラクターの恐ろしさや残虐性を強調して、プレイヤーにどちらの立場も経験させることで、復讐の虚無感というか、やるせなさというか、そういうどうしようもない感情をプレイヤーに味わわせようとしている。

そもそも、周りの全てを敵に回してでもレブを守るアビーと、同じようにエリーを守ったジョエルには、少なからず重なるところがあるように思える。ジョエルとアビー、対極に位置する2人のキャラクターが同じような道を歩む様子が描かれることで、徐々に「どちらが善でどちらが悪」と単純に考えることができなくなっていく。
 こればかりは自分でこのゲームを遊ばなければ絶対に分からないが、中には自分で遊ばず、ネタバレや実況を見ただけで騒いでいる人もいるようである。本当に残念で悲しい。

 否定派がいるのはむしろ健全なことなので全く構わないが、だとしても自分でしっかりと遊んだ上で感想を持ってほしいと思う。

余談。
「本作は「メタルギアソリッド2 サンズオブリバティ」から影響を受けている」と、ディレクターのニール・ドラックマン氏がインタビューで語っていた。言われてみると確かに、発売までアビーの存在を伏せておく、というプロモーションのやり方は、MGS2の雷電そっくりである。(作品への批判を一手に引き受ける存在になっていることも含めて。)
  先述したように、アビー編ではところどころで前作をなぞるようなシチュエーションがあるが、新主人公が前作主人公の物語を追体験するような構図も、MGS2と似ているように思える。MGS2大好き人間としては結構嬉しい。
  また、本作はトレーラーでもプレイヤーに対してミスリードがなされている。製品版で回想シーンとして描かれる場面はすべて、トレーラーではエリーとジョエルのキャラモデルが差し替えられ、まるでエリーとジョエルが一緒にシアトルを旅しているように見せられているが、MGS2のトレーラーでも、ソリッド・スネークでプラント編をプレイできるように見せられている場面があったりする。こういった手法にも、小島秀夫監督の影響が感じられるように思うのは、私だけでしょうか。



 4月頃、本作のネタバレがネット上に流出した。私はネタバレを一切見ていないので、完全に憶測になってしまうが、ネタバレを見たと思しき人の「こんな続編なら要らなかった」というツイートや、Twitterのサジェストに「ラスアス2 ジョエル」と入っていたことなどから考えると、この時点でかなり、ジョエルが死ぬという展開に対して拒否感を持つ人が多かったのだろう。

 こんな続編なら要らなかった、という意見があるということは、逆に言えば多くの人にとって「あるべき続編」となるような話の筋書きがある、ということだろうと思われる。
 でも、私もクリア後に色々考えてみたが、考えれば考えるほど、本作のストーリーが前作との繋がりを考えて作られており、この残酷な物語しか「The Last of Us」の続編としてありえなかったのではないか、と思えてきてしまう。

 今作におけるエリーは、「世界でただ1人の(判明している限りで)感染に対する免疫の持ち主である」ことは前作と変わらないが、それを解析してワクチンを作ることのできる(あるいは作る意欲のある)技術者がいなくなったことで、ほかに大勢いる人間と何も変わりのない存在になってしまっている。
 ジョエルも同じで、「エリーを無事にファイアフライに引き渡す」という目的を自ら潰してしまった時点で、最早ただのおっさんでしかない。
「前作からの正当な続編」となると、この2人の新たな旅路を描くことになるのかもしれないが、普通の人間でしかなくなった2人には、最早旅に出る動機はない。
 前作では、ジョエルは隔離地域を出てエリーを運ぶことをずっと渋っていたけれど、途中で感染してしまったテスに諭され、ようやく旅に出ることを決めた。そういう理由でも無ければ、感染者が蔓延り、またいつ他の生存者に命を狙われるか分からない世界で、わざわざ危険を冒してまで長旅をしようなんて考えないだろう。
 まして、今作で2人はジャクソンという安全な集落に定住している。しかもエリーには、ディーナという新たなパートナーが居る。わざわざ危険な外の世界に再び出て行くほどの理由は、よっぽどのことがなければ見つからない。
 そんな状態のエリーにわざわざ外へ出ることを決意させるには、それだけ強烈な理由が必要だし、そしてプレイヤーにもエリーと同じ気持ちを味わわせることができるキャラクターはジョエル以外にいない
(ディーナは、エリーにとっては大切な人間であるけれども、プレイヤー目線ではポッと出の新キャラでしかなく、正直言って愛着も何もあったもんじゃない。)

 だからと言って、ジョエルの殺され方は残酷すぎるし、プレイヤーにとっても思い入れのある前作主人公が殺される、という時点で、本作のストーリーは何がなんでも受け入れられない、という人も沢山いるだろう。

 ここまで書くと、私が「ジョエルが殺される」という今作の展開をひたすら褒めちぎっているようにも見えるけれど、そんな晴れやかな気分でこうやって感想を書き殴っているわけでもない。
 実際、今作の初見プレイの時は、ジョエルが殺されるシーンでひどくショックを受けたし、その後のジョエルの家でのシーンで、「ジョエルとサラの写真」を見て、本気で泣きそうになった。後の回想シーンで、博物館を楽しむジョエルとエリーに心が痛くなった。
(「アンチャーテッド4」でもあった、「前作のアイテムを登場させてプレイヤーを懐かしさで殺す」演出がこういう形で活用されてて、こちらの感情はもうボロボロである。)
プレイヤーをゲームに引き込むための仕掛けとして評価はしているものの、ジョエルが殺されたのは普通に辛いので、かなりモヤモヤしている。

「ジョエルを殺すなんて、酷い奴らだ」と思ったし、ほかの道はなかったのか、と思いもしたけれど、何度考えても、今作のストーリーが前作からしっかりと繋がっているが故の結果なのだろう、という結論に至ってしまう。

 ジョエルは、自分に全く身に覚えのないことで殺されているわけではない。
 前作のクライマックスで、エリーの命を守るため、ジョエルはファイアフライの医者を殺して、病院からエリーを連れ出す。
 これがきっかけとなって、その医者の娘アビーはジョエルへの復讐を誓い、5年の歳月をかけてようやくジョエルを探し出して殺す。
(この復讐の連鎖に、前作を遊んだプレイヤーだって一枚噛んでいる。エリーを連れ出すためには、プレイヤー自身の操作で医者を殺さなければならない。)

 また、「復讐の連鎖」の話は、前作でも少し語られている。
 前作の終盤で、デイビッドというキャラクターが登場するが、このデイビッドが率いる集落は、ジョエルとエリーのせいで大きな被害を受けており、集落のメンバーは2人に復讐心を抱いている。
 もちろん、ジョエル達はこの集落に害をなそうと思っていたわけではなく、ただ
「ファイアフライを探している途中で、襲われたから仕方なく、生き延びるために」
殺した、というだけの話である。

 そうした、自分が生きるために仕方なくした殺しだけでも、ジョエルは多くの人間から恨みを買ってきた。
 まして、あの病院での医者殺しは、「生きるために仕方なく」ではない。
 ファイアフライに従っていれば、エリーこそ喪ってしまうものの、生き延びることはできたのに、わざわざ危険を冒し、大勢の人間を犠牲にしてまでエリーを連れ戻している。
 世界を救うチャンスを捨てて1人の人間だけを助けるなんて、第三者から見れば身勝手極まりない殺しといえるし、それがひときわ大きな恨みを買うこともまた当然のことのように思える。

 でも、どうしてジョエルがそんな決断をしたのかといえば、愛娘のサラを亡くすという辛い経験をしたジョエルにとって、共に苦難を乗り越えてきたエリーが、最早実の娘同然の、守るべき対象となっているからである。

 このように、前作からずっと描かれてきたことを考えていくと、ジョエルがアビーに殺される、という受け入れ難い展開も、起こるべくして起こってしまったものなのだ、という結論に、どうしても至ってしまう。

 だからといって、前作の主人公の一人であり、世界中のプレイヤーにとって思い入れのあるジョエルをそんな簡単に殺してしまっていいのか、という問題は、多くのプレイヤーが疑問に思っているところでもあるし、もちろん制作スタッフの中でも時間をかけて議論されたのだろうと思う。
(こんな展開にすることが最初から満場一致で決まっていたら、どんなプレイヤーよりもノーティドッグがサイコパスである)

 キャラへの愛着の問題だけではない。これだけの拒否反応を招く展開にして、前作もろとも、あるいは「アンチャーテッド2」以降ゲームオブザイヤーの常連となったノーティドッグというスタジオの評価もろとも貶めてしまうリスクについて、当然議論はなされたと思う。
 そういったリスクを避け、展開の予想しやすい続編にしても、天下のノーティドッグだし、一定の評価は得られただろう。
(どんなゲームであっても、ノーティドッグは長時間労働上等とばかりに異次元の作り込みをしてしまうだろうし。次回作にとりかかる前に労働環境を改善してほしい。)
 でも、そのリスクと真っ向から向かい合い、ユーザーからの強い批判に晒されることになっても、これだけ残酷な展開を、ひたすら残酷なままに表現しきったという点で、「The Last of Us Part II」はノーティドッグ史上最大の問題作であると同時に、ゲームの歴史にしっかりと名を刻んだ名作だと思う。


(以下、2020年12月11日追記)
「The Last of Us Part II」の「The Game Awards」でのGame Of The Year受賞が発表されました。
発売から半年経っても、このゲームを巡る荒れ具合は全く収まる気配がありません。

私自身、上の文章で拙いなりにいろいろ考えてはみたものの、未だに今作をどう評価すればいいのか、納得のいく言葉は見つかっていません。


ストーリーの展開や、細かな演出などで、徹底して「快感」や「楽しさ」というものを排除するようなゲームデザインがされている本作は、逆に言えば他のゲームに比べて「楽しくない」と感じられてしまうことも事実であり、そういう意味で、本作のGOTY受賞に賛否あることも大いに理解できます。
ただ、そうやって本作が描いた様々なテーマ(「復讐」という行為の重さや「愛憎」、「何が正しくて何が間違っているのか」など)や、PS4最高レベルに細部までこだわり抜かれたグラフィック表現、生きるか死ぬかの緊張感を味わえるステルスゲームの要素など、様々な点において、2020年のGOTYに値する、完成度の高い作品だと思います。
受賞本当におめでとうございます。

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