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I wish I had a river I could skate away on

Helloなんとか、というタイトルで居たかったけどどうしても思いつかないのと、こちら

を読んで語りたいことが出来てしまったし、思いついたテーマソング

が時期的に今お知らせしなくてはいけないのでポリシー破りタイトルで行きます。

スケート、できますか?

アイススケートです、スケボーやインラインなどの陸上スケートではありません。できますか?ではなく滑れますか?と聞いたほうがいい気もするんだけどとにかくアイススケートです。

私はチョットスケートデキル(フィギュアスケートヲタクおなじみギャグ。)このギャグを言ったプル様のようには滑れません当然です。永遠の初心者で、フィギュアスケートの技的なことは一切できませんけど…

どんだけ永遠の初心者か?フィギュアスケート教室に通った人に分かるように書くと…本人はバッククロス滑れたつもりだった。なんちゃってランジもできた。両足スピンで2回転ぐらいもいけたかもしれない…です。はい、ド素人~~~!!! 前後に滑って何か足がちゃがちゃ動かしたりストップもできるのでやったこと無い方にはすごーい!って言ってもらえる感じ( ^ω^)・・・

…しょうがないじゃん、スケート教室に通いたくても通える範囲に都合の合うお教室が無いのだ…2シーズンぐらい江戸川と東神奈川にちょっとだけ通ってましたがコロナ禍でやめちゃった。江戸川の中級クラスは大好きでした。社会人が通える平日夜間の教室が無くなってしまった。勤労者の余暇活動を支援してしかるべき公共施設なのに…首都圏の場合はただでさえアイスリンクが少なく、子供や学生、現役選手すらクラブ入会順番待ちが発生する状況では社会人おばさんのアフターファイブカルチャースケートお教室なんてやってくれないのよぉ(´;ω;`)

エニウェイ。

最初にリンクした安野先生の還暦不行届の話は自転車にいつ乗れるようになった?って話でした。で、とっさに私は私がスケートをするに至った道のりを書いておかなくちゃ!と思ったってわけ。

自転車は小学校入る前には乗れてましたね…5歳ぐらいだったと思う。当時私はリカちゃん自転車が欲しかった。女児向けの補助輪が着いたピンク色の自転車だ。今の子で言ったらプリキュア自転車が欲しいってのと同じだ(あるのか知らんけど)。所が父は幼気な女児の憧れなど頓着しない朴訥でプラクティカルな人だった。

父「リカちゃん自転車が欲しいだと?兄のおさがりの自転車に一人で乗れるようになったら買ってやろう。まずはこれで練習してみろ。」と私にまず与えられた課題は兄のおさがりの自転車を乗りこなす事だった。兄貴は5段ギア変速の自転車に乗り換えていた。

兄貴のおさがり自転車?コレよ。ライダーバイクさ…よそ様のブログリンク失礼します。へぇ、仮面ライダードレミ号っていうんだ…

・・・。リカちゃん自転車が欲しい女児(5歳)にこの仕打ちですよ…ひどい…ごつくて緑と黒で虫の顔がついてる自転車を、ピンク色のリカちゃんが好きな女児に乗れと。悲しみか腹立たしさか?忘れたけど父と自転車練習をしたその日1日で補助輪外させて、ほら乗れるからさっさとリカちゃん自転車買ってよ!ってやりました。

だから多分そんなに運動音痴ってわけではないんだけれど、基本的に体動かすの面倒好きじゃないタイプなんで、学校体育は全然楽しめず文科系部活なインドアタイプに育ちました。そんな私が子供のころから人並みにはまぁできますけど?なスポーツは2つしかありませんでした。水泳とスケート。

水泳は喘息持ちだったのでスイミングスクールに通わされていたので。スケートは?当時住んでいた仙台市にはアイススケートリンクがいくつかあって、なんか近所のじゃりガキ仲間と夏になるとよくスケートしに行ってたのよね、勝山スケートリンクに(廃業済)

そうなんですよ…これ仙台市にあったスケートリンクでして。私当時は仙台に住んでいたんですね、東北新幹線が開通したころですね、広瀬川からよく見送ってた…。仙台のリンクなんで子供時代の荒川静香さんや羽生結弦さんも来てたらしいですよ。その頃私は進学して東京に居ましたんで時代が全然違うのですけどね。勝山にたまーに遊びに行く程度でただ前に滑れただけですけど、子供たちの人気スポットでした。オレンジ色のリンク無いのイメージが記憶に残ってます。あと、リンクわきでフライドポテト売っててそれ食べるのが好きだったな…

その後は家族で福島県に引っ越しましたのでスケートリンクでちゃんと滑る機会はありませんでした。近所の田んぼ脇の沼とか凍ってたんで冬に乗ってスケート!とかはやってましたけど。沼でスケートじゃないんですけど、もっと小さい頃の記憶ではワカサギ釣りに父とたまに行ってた事もありまして、その時も多分滑って遊ぶってのはやってましたね。後父の愛車のトランクにボロボロのスケート靴があったのは覚えています。父のスケート靴です。スピードスケートタイプだったような…父も若い頃なんかやってたんでしょうね。昭和の頃って若者のレジャーとしてスケートが大変メジャーだったそうで、東京でもそこら中にスケートリンクあったみたいです。品川プリンスホテルで伊藤みどりが滑ってたり、もっと前だと蒲田駅前に東急がスケートリンク経営してたそうです。仕事でかかわりがあった神奈川西部在住の今なら80近いご老体の方は若い頃スピードスケートにはまっててよく箱根の屋外スピードスケートリンク行ってたそうです。

いいなあ・・・そんな感じでそこら中にスケートリンクがある所に住んでいたかった…本当にそうだった時(仙台時代)にスケートに興味なんか無かったくせにねwww

いや、そうでもないと思う…誰も他に記憶がある方がいらっしゃらないんですけど、40年前、私が初めて見たアイスショー(フィギュアスケートのショー)はディズニー・オン・アイスでした。仙台市の長町にある体育館でやったはずです。ドナルドの誕生日がテーマだったと思う。

これは同じ奴のアメリカ版のパンフレット。当時からディズニー・オン・アイスはワールドツアーやってたはず。

90年代半ばに上京し学生生活してたんですけど、その頃合コンで一度大宮にあるスケートリンクに行った事があるはずです。その大宮のリンクももう無いんだけど。

あープロレス興行もやってたんだww私も仙台で子供の頃ハルクホーガンとか見た記憶あるな…

まぁそんな感じで四十路までスケートはほとんど興味なかったんですよね、オリンピックの時は見るけど程度で。トリノとかソチとか楽しんでました。あぁ、ナンシー・ケリガン事件とか覚えてますよ、今インスタでトーニャ・ハーディングさんフォローしてますもん。最近スケートちょっと再開してるみたいです。永久追放ってどうなったんですかね…(映画アイ・トーニャを見た感想)(映画アイ・トーニャは数年前にロシアから帰ってくるアエロフロート機内で見た)

いきなりロシアから帰ってくるアエロフロート機内でとか言ってますけど…まぁコロナ禍前の話なんですけどね、四十路までスケート興味ない一般人運動嫌いの人が、今じゃスケートの試合やアイスショー見るために日本中世界中どこでも飛び回る人になってるんですけどどういうこと?!

まぁヲタク活動の話なんですが、ある年の正月に暇こじらせてたらAbemaで一挙放送という事で当時ツイッターで話題になっていたユーリ・オン・アイスってアニメを見たんですよね。そしたらはまりましてね。はまったと言っても最初のはまり方は、この主人公のロシア人コーチのヴィクトルって銀髪の人のロシア語訛りの英語好きかも…っていう沼に一直線にズドーンって言う感じじゃなくて想定外のルートでずぶずぶっていう。

ユーリ・オン・アイスにはまってタイムラインあさってたらアメリカでも吹き替え版放送してたって分かってまぁそっちも見たんですね。私英語なら解るモーン、って言う感じでね。で、あちらのヴィクトル役のボイス・アクターさんの吹き替え技術が凄くてですね。他のロシア人の役者さんもみんなお上手だったんですけど、ロシア語訛りの英語と言うのがなんかツボに入りまして。ちなみにヴィクトル役の俳優さんはヘタリアのロシアさんもやってる方で、その各国語訛りを載せた英語の吹き替え技術に定評ある人みたいです。

ジェリーさんがボイスアクターしてるアメリカ版のヴィクトルの事はだから私はジェリフォロフって呼んでます。

で。そこから私は東京ロシア語学院のとりあえずキリル文字読めればOK!な人向けの2日間でやるロシア語初心者短期コースに申し込んでましてね!!!!

当時の私の思考回路としてはアニメにはまった>>ああ放送はもう終わってる>>このヴィっちゃんすごく好き>>特にジェリフォロフが好き>>何か色々メディアミックスイベントとかこれからやるから供給はあるやったー!>>何かグッズとかに凄くお金と手間がかかるヒィィ>>ヲタクにはグッズを買わせてブヒブヒ萌えさせときゃいいってかクソがー!>>ブヒブヒ萌え豚で終わるのは嫌じゃ、この余りある熱情をどうにか生産的な方向に生かせないか…>>ピコーン!ロシア語勉強しよう!

という。いやなんでそうなる!?という。

いやでもね…ロシア語の勉強を始めてわかったんですけど…

そもそもロシア語を勉強してる人と言うのは変人が多い訳です。宇宙マニアとか、軍事評論家とか。それほどにロシア語学習者と言うのは存在がマイナーだし、学習者の動機に至っては…私と同じような人も結構いるわけです。つまりスケートファンからロシア人スケーターのファンになって、通訳翻訳者になっちゃった!って人とかね、実在しますんでね…

まぁ私の場合は最初は萌えエネルギーをどうにか生産的に使おうという所で始まり、アニメにはまる中でロシアと言う国に興味が出てきてよーし聖地巡礼してくるか!と何度か現地を訪れましてね、ロシアを旅するには英語喋れるもんだけじゃちょっと心もとないんですね…道路標識とか全部キリル文字ですからね、読めないと何もわからないっていう。で駅のキオスクのおばちゃん、町中の屋台のおっちゃん、英語話せる人なんていませんのでね。大体感覚としては日本人と同じくらいです。日本の町中で外国人観光客とそつなく英語でやり取りできる人ってそこら中に居る、ではないと思います。まだ。タクシーの運転手とか、特別にそういうスキルがある方を頼まないと中々難しいと思います。ロシアも大体そんな感じです。マクドとかスタバとか大学キャンパスがある街のカフェ店員の若者ならば英語話せるけど、って感じ。なのでロシア語の基礎の基礎を学習しておくことは、私にとって聖地巡礼で最低限行きたい所に行き食べたいものを食べ安全にロシアを満喫するには必要だったので頑張りました。一応ロシア語検定4級まではとりました。まぁ今は辞めてますけどね。世の中的にちょっとねぇ…やる気が出ないのでね…

そんな中で、仕事でタイのバンコクに出張する機会がありましてね。ユーリ・オン・アイスにはタイ人スケート選手というキャラクターが出てくるので、そのキャラがホームリンクにしている!という設定のバンコクのショッピングモール内にあるスケートリンクに聖地巡礼したりしてね。

バンコクのスケートリンク

でもこの時は、受付のお嬢さんに見学させてくださいって言って、滑らないの?って言われて断ってるんですよね私。「いやー20年以上滑ってないから無理ですよ~~」つって。

表彰台で。着てるTシャツの柄はSt. Petersburgです。

そんな感じの人がマイ・スケートシューズを持つに至るとは何があったか?って言うと…劇的な事では無いのですが…東京スカイツリータウンは毎年冬の間スケートリンクを営業してるのですが、ユーリ・オン・アイスと実社会のコラボイベントということでそのスカイツリーの季節リンクでユーリコラボがある年がありまして。リンク内BGMにアニメのサントラが流れるって感じ。あと近隣ショップでコラボ飲食があるとか。そこにヲタクですから通ってたんですけど、せっかくだから滑ってみようとレンタル靴借りてやってみたら、あぁまぁ滑れないことないな‥‥子供の時勝山にたまに行ったもんね…ていうか滑るのって楽しいなコレ…風になるっていうか…いや、楽しいなスケート滑るの…

よし、習おう!で、高田馬場にあったシチズンスケートリンクのアダルト教室に通い始めました。まぁ辞めちゃったんですけど。何で辞めたんだっけかな?仕事が忙しくなったかなんかで。その後シチズンリンクは閉鎖されマンションに再開発されましたけどね。

で、スケート教室で習い始めると同じような感じの妙齢のご婦人のお仲間ができるわけですが皆さん口をそろえてレンタル靴ではなく安くてもマイスケートシューズを買った方が良い、そうじゃないとスキルが上がらん見たいに言うのでね。それで、ロシアでスケート靴買って来ました!!!

なんでだよ!

いや・・・これもまた話せば長いんですが…

マイシューズを買うか、と思って当時通ってたシチズンリンクそばにあるショップに行ったんですね。そしたらそこでは問答無用でとある型の靴を進められました。初心者は皆これだから!と。でも私は推し選手と同じメーカーの靴が欲しかった。推し選手とはここではアニメのヴィクトル・ニキフォロフなんですけどね‥‥ヴィクトルと同じスケートシューズとなれば、数々のコラボイベントでスケートオタクの皆様が明らかにしてくださったところによれば、グラフ社のエドモントンスペシャルで、ブレード(刃)はステファン・ランビエルを参考にしているということでした。のでジョン・ウィルソンのゴールドシールって奴です。

で、私は高田馬場ショップのお兄さんに「グラフの靴が欲しいんですけど…」って言ったら「エドモントンスペシャル?ありますよ。10万円。履いてみます?プークスクス」みたいに言われましてね…「エドモントンスペシャルじゃなくて同じグラフでももっと初心者用のダヴォスとかあるじゃないですかーアレ!(と当該品を指さす)」「あーこれね、レジャー用のおもちゃですからすぐ壊れますよ。無駄にするだけだと思いますけど」って言われてね…

そのお店には最上級のエドモントンスペシャルか最下位ランクのダヴォスしかなかった…間の…中級初心者向けの…つまり選手レベルだけどエントリーモデル的な…ほらぁ、メーカーで言うとこの…スプレンディドとかプレスティージとかさ・・・聞いたけどありませんでした。

でまぁ。平成から令和に代わる年のGWに、当時は札幌新千歳空港にロシアの航空会社がウラジオストク便を就航させたところだったので、プロモーション価格で安く航空券買えたのでウラル航空の新千歳ーウラジオストク往復を衝動買いしてまして。で、ウラジオに飛んで。さらにその頃には実在のロシア人スケート選手の推しが出来ていまして(セルゲイ・ヴォロノフさん)そのセリョージャは何故かたまにウラジオストクに遊びに来る人だったので、セリョージャがインスタやツイッターであげてた場所に私も行くぞ!ついでにスケート靴を買ってくる!と考えたわけです。聖地巡礼推し活。ロシアでスケート靴を買う、というのは実際にはどういう事なんだというのをすごく知りたかった。

ウラジオにあるショッピングモールのウェブサイトを眺めると中にスポーツ用品店があって、そこのカタログに物凄い数のスケート靴が売ってたんです。レジャー用でピンク色の可愛いのとかもあって、数千円程度の激安品。聞けばロシアじゃスケートというのは国技みたいなもんだから子供らは一応みんなやる。大体冬はそこら中凍ってるんだからやりたい放題だと。そりゃそうか…

ウラジオストクのスケートリンクで借りたレンタル靴。レジャー用ってやつ。

でも私が欲しいと思ってるのは選手レベルのエントリーモデルであってレジャー用じゃないので、ネットで探して現地ガイドさんを雇って、セリョージャがインスタに上げていた場所に連れてってくれ!あと選手レベルのスケート靴買いたい!って。

それが一応これ。

ウラジオストクにあるアイス・チグルというスケートリンクの駐車場

ここでセリョージャが写真とってた。

何か所か連れて行ってもらったスポーツ用品店の中で最後に当たりで、希望通りグラフ社のPrestigeという選手レベルのエントリーモデルを購入しました。

スケート靴をオーブンで温めた後足にフィットするのを待っている時

フォルヴァルドって名前のお店です。ウラジオのアドミラルっていうホッケーチームの協力ショップ的な。フォルヴァルドをローマ字で書くとForwardです。ショップのウェブサイトはロシア語しか無いんだ済まぬ。(この店の口コミ書いてるしw)(すごくよくして貰ったので)(ガイドさんに通訳してもらったけど片言のロシア語は頑張った)

で、それがこれ。

ロシアで買ったグラフ社のPrestigeという選手レベルのエントリーモデル。日本の半額。

まぁそういうわけで、スケート習ったり現実にあるスケートの試合やアイスショーもチケットが当たる限り色んな所に遠征しているんですけど…

ジョニ・ミッチェルは大昔からファンでしたけど、そういえばこのRiverって曲はクリスマス時期によく流れる曲ですが、「スケートで逃げられる川があれば良いのに」ってどういうことだって思いません?まぁジョニはね、カナダ人なんでね、カナダもこう寒い国なんでスケートは国技みたいなもんで(アイスホッケーが最も盛んです)(カーリングはカナダでは家族が集まった時にお年寄りから子供まで皆でできるレジャー)それで調べましたら、ほんとに冬は川が凍ってそこをスケートで滑りながら通勤したりしてるらしいんですよね。いいなぁ…くそ寒いんでしょけど、そういう所に行きたい、という話でした。

屋外でスケートするの楽しいんですよ風がね…ダイレクトに吹いてきますのでね…それで時々、冬季シーズン中に1-2回、郡山のスピードスケートリンクとか伊香保リンクに行ったりしてます。

郡山スケート場、磐梯熱海にあるスピードスケートリンク

郡山も伊香保も温泉地にあるのでスケートして疲れて冷えたら♨という最高コンボでPCS2万点です。

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