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「苦しい」と誰かに話すことが一番「苦しい」んです

注意
*こちらは『読めばうつ病が良くなる』などと謳ったハウツーのようなものではなく、一個人の経験を通した価値観、考え方のお話です。
正解なんて存在しないので、記載されたことを鵜呑みにするのではなく、そこから自身の考えで行動してください。
*少しでも気分が前を向けるように、と願って記載を心掛けますが、僕自身メンタル不安定で当たり付くような文面になっていたら申し訳ありません。


 多分、恐らく、メイビー、この記事を読もうと思った人は、僕みたいに捻くれた人間ではなく、優しい人なんだろうと思います。

 今からその証明をします。

①あなたが優しい人である証明

 こういう記事を読む人は優しい人だ、と、上記で述べました。
 大概ですが、こういった記事や本で、僕は『励まし』をしていない本を読んだことがありません。

 何かに理由を付けて「傷付いてるあなたは優しい人」などと書いてある。
 僕は何冊も心理本などを読み漁りましたが、正直心に響きませんでした。

 だって、書かれている人と「僕」は、"別の人" なのだから。
  多少、考えが同じ風でも、それで優しいと認識できるはずがない。

 そう言うこともあり、僕は寄り添うことはやめようと思います。

 こういう記事を読んでいる人は『かまってちゃん』です。
 ただの自分大好きなメンヘラです。

 自分が傷付かない為の保身の術を探している弱者。
 マストとして生きている価値がない。

 上記の酷な言葉たちを見て、あなたはどう感じたでしょうか。

 「辛い」「そこまで言わなくても…」「仰る通りです…」

 この様に感じた人は、『優しい人』です。

 何故なら、酷な言葉を理不尽に述べている「僕(筆者)」に対し、責めることをあなたはしていないからです。

 上記で書いたことは、割とポジティブが行き過ぎて人生楽しすぎる富豪以外には、誰しもに当てはまりそうな、「抽象的な暴言」を書きました。

 つまり、あなたを指しているのではなく、万人に当てはまりそうな言葉を選んでいるわけです。

 捻くれた僕であれば、「お前こそこんな見出しの記事書いて知りもしねぇ他人ディスって気持ち良くなってんじゃねぇよカスが」って言いながら、ただちにブロックし、二度と閲覧なんてしないでしょう。

 しかし、読み進め、「その通りかも…」と自分を省みたあなたは、僕とは違って、自分の過去に「してしまったかも知れない悪い部分」を認められる強さがあること、同時に、「自分を傷付けている相手を責めない」という、優しさがあることの証明に繋がるかと思います。

 上記に書いた通り、「励まし」や「共感」だけでは、僕は「自分なんて…」という感じ方が拭えたことがありませんでした。
 その為、言い過ぎで過剰な書き方になってしまい、実際に傷付けてしまった方もいるかも知れません、お詫び申し上げます。

 ここまでインパクトを持って書かないと、証明に繋がらないと判断した次第になります。

 しかし、きっと、ここまで書いても尚、あなたは自分を許せないんでしょう。
 だから、優しい人なんです。
 それこそが、優しい人の正体です。

②優しくなければ傷付かない

 タイトルに繋いでいこうと思いますが、この世界は、残念なことに「優しい人しか傷付かないシステム」になっております。

 何故、「苦しい」と話すことが一番「苦しい」のか。

 まず、「相手に同じ苦しみを共有してしまうことを、あなたは懸念してしまうから」です。

 例えば、辛い・苦しいと思うことがあり、それを誰かに話したくても、人は泣いている人を見て、その全貌を知ってしまったら、やるせなくて、自分も苦しくなってしまう経験をしたことがあるからです。

 「相談したら相手も苦しませる…」と、実際には思っていなくても、どこかはばかられるのは、上記の経験から、口を閉ざしてしまうのです。

 「優しい人が損をする世界」とはよく言いますが、本当にそれを否定できるものが、この世界には存在しません。

 ボランティアで貧しい国に募金をした人は、感謝こそされど、裕福にはなりません。
 人を救う為に若い時期に勉強で費やしてきた外科医も、給料は高くても、人生規模で多忙が付き纏わり、救えない命もあり、その救えない命の親族からは中傷されてしまうでしょう。

 この例えを出したのは、僕自身がボランティア活動を多くしてきた経験から則ったものです。
 ただ、困っている誰かを救いたかっただけなのに、「履歴書の為」「モテたいから」「注目を浴びたいから」など、陰で言われるだけならまだしも、『そういう活動で善い人振って騙してくる』なんて言われ方をされたこともありました。

 医師の話は、友人が今年から研修医を始めたことで聞いた内容です。
 勉強は人生規模で、幼稚園からの友人ですが、物心付いてから二十歳中盤まで医大生として勉学に励み、国家試験という難題を突破した後に待っているのは、有り得ないスケジュールの山でした。

 医師の友人は、望んでやっていることだし、それを悪いように話すのはアレかな…と思いましたが、僕が問題視しているのは、そっちじゃありません。

 「友人の努力を見て来たからこそ、中傷されて欲しくない」

 しかし、救えない命があり、その遺族がぶつけられるのは医師です。
 それは仕方がないことなのかな。

 と、その友人は、そう言っていました。
 そして、そう言われても、ちゃんと受け止めて反省できる強さを持って臨まないとな、なんて、笑って言っていました。

 心理学も学び、友人豊富なのに、少し休みがあれば、精神疾患で長く苦しむ僕の話を、自ら望んで聞きに来ました。

 「自分の学びの為だから、話してくれてありがとう。」と。

 そんな優しい人だからこそ、傷付くシステムになっているんです。
 「報われて欲しい」と思うことも、きっと僕のように思ってくれる人もいるかも知れませんが、それが彼の何になるでしょうか。

 だからこそ僕は声を大にして言いたい。

 他者を思いやれるあなたは 優しい人 である、と。

③優しい人であるあなたへ

 では、優しい人だからなんなの?と言う部分に触れていきます。

 ここからは、上記を踏まえ、ただの僕の願い、祈り、望みになります。

 少しだけでも幸せになってください。

 ネガティブは、自分の性格を僕みたいに無理やり捻じ曲げない限り、ずっと襲い掛かってくるかと思います。
 でも、だからこそ、優しい証拠なんだよ。

 優しいと認めてしまうことは、すごく怖いことかも知れないけれど、少しだけでいいから、自分のことも労わってやって欲しい。

 この世界は、ハナから優しい人に厳しい社会で、報われないように出来てしまっています。

 だからこそ、外部から既に傷付けられて痛んだ心を、隠しても、守っても、何をしてもいいから、そこに自分から更に傷付けるようなことをしないで欲しい。

 優しいと認められなくても、自分が実際に酷い人でも構いません。

 その涙だけは、無理に拭おうとしなくていい。
 いつか笑えた時には、我慢なんてしなくていい。

 誰かに優しくした分、自分にも少し、優しさを分けてあげてください。


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