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齋藤飛鳥と平手友梨奈から見るカリスマアイドル論

こんちわっす。今回は久しぶりにアイドルの話です。

2010年代後半から日本のアイドルシーンの中心を担っているのが、乃木坂46、欅坂46、日向坂46からなる坂道シリーズと呼ばれる秋元康プロデュースのアイドルグループだ。え?吉本坂?知らねえよんなもん。

今回の記事では坂道グループがメジャーシーンにおいて躍進したタイミングで頭角を現した2人のカリスマについての記事だ。

2016年に現れた2人のニュータイプ

2016年は今考えると音楽業界にとってマジでやべえ年だったんだなと思う。

海外ではストリーミング文化の流行によりラップ、R&Bが大躍進を遂げ、ロックはオワコンという風潮がより一般的になった。フランクオーシャンの「Blonde」、ビヨンセの「Lemonade」チャンスザラッパーの「Coloring Book」といった傑作もこの年に生まれた。

面白いことに日本の音楽業界にも変化は起きた。フェスブームで躍進したロキノン系バンド群と変わる形で、Suchmosを筆頭としたネオシティポップが流行。

圧倒的主役不在の10年代の音楽シーンに、米津玄師が「Loser」、星野源が「恋」といったヒット曲により若年層からの支持を獲得。そしてストリーミングサービス大手のSpotifyが日本で導入される。ここから日本でも音楽を聴く環境がCDからストリーミングへと変化し、あいみょん、髭男、King Gnuといった新たなスターを生むことになる。

ストリーミング時代の到来により新たな音楽の価値観が提示されたことで、それまでのCD至上主義のアーティストは窮地に立たされたわけだが、その中でも最も打撃を食らったのがAKB48なのは間違いない。

2012年の前田敦子卒業以降、指原莉乃の台頭や「恋するフォーチュンクッキー」、「365日の紙飛行機」といったヒット曲で騙し騙し延命をしていたものの、ストリーミング時代到来により彼女たちの上面だけの栄光とも言えるCD売上は完全に存在価値を失った。

10年代前半のメインストリームを崩壊させたことによる罪に加え、人気メンバーの離脱、相次ぐスキャンダルともうこの時点でかなり瀕死に近い状態のAKBは、この後も須藤凛々花結婚騒動やNGT事件などによってさらに死体蹴りをしまくることになる。

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こうしてアイドル界の絶対的王者AKBが完全にオワコンになりつつあった2016年、次なる王者の覇権を争うかの如く躍進を遂げたのが乃木坂46欅坂46の2グループだ。

業界最王手ソニーミュージックが誇るクリエイティビティを結集した両グループは、本来のアイドル業のみならず、ファッション、演劇、映像、アートといった他分野にも高いレベルで対応できるマルチな能力を買われたのが躍進のきっかけだ。

そしてこの両グループの躍進を象徴するかのように、この2016年にエースとして頭角を現し、他分野への造詣が深いニュータイプこそ齋藤飛鳥と平手友梨奈の二人である。

両者の共通点

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齋藤飛鳥と平手友梨奈

坂道シリーズを代表するこの両エースを比較するという試みは意外とされているようでされていない。

それは乃木坂と欅坂のカラーがあまりにも違いすぎるのと、坂道シリーズ自体が2019年の日向坂デビュー前後あたりまで交流が少なかったことによるものもあるのかもしれない。

しかもこの2人の共演に至っては2017年の坂道AKBを最後に完全になくなったため、そもそもこの2人を比較するという発想自体が出てこなかったという可能性も否めなくはない。

とはいえこの2人を比較すること自体は個人的に面白い試みではあると思うし、そこから興味深いアイドルの見え方が見つかるかもしれないので話を進めていこうと思う。

1.シングル初センターが2016年

これは先程でも述べた通りで、両者が初めてシングル初センターを務めたのは2016年のことである。齋藤飛鳥は乃木坂15枚目のシングル「裸足でsummer」、平手友梨奈は欅坂のデビューシングル「サイレントマジョリティー」で初センターを務めている。

2曲とも各グループにおいて重要な立ち位置を占める楽曲である点も共通している。「裸足でsummer」は乃木坂史上最強フロントとも称される布陣に加え、歴代の夏曲で初めてEDM系統のダンスポップとなった楽曲だ。「サイレントマジョリティー」は言わずもがなアイドルという枠を超えて、10年代J-POPシーンを象徴するメッセージソングの一つだ。


2.グループ加入時最年少メンバー

両者ともにグループ加入時は最年少で、齋藤飛鳥は13歳、平手友梨奈は14歳とどちらも中学生である。

この最年少という立ち位置に置かれた両者の成長過程が全く違うところこそ、乃木坂と欅坂のグループの性質を表しているがそれは後ほどで。

3.初主演映画が公開されたのがほぼ同時期

上2つは坂道シリーズを少し知ってる人でも挙がるとは思うが、初主演映画のことについては意外と忘れている人も多いと思う。両者の初主演映画はいずれも2018年の秋に公開されている。

齋藤飛鳥が主演の「あの頃君を追いかけた」は、台湾で大ヒットを記録した映画のリメイクだ。山田裕貴とのW主演で助演に松本穂香という布陣で描かれた、純愛ラブストーリーだ。

平手友梨奈が主演の「響 -HIBIKI-」は、人気漫画を原作とした実写化作品だ。原作が前年マンガ大賞を受賞した話題の作品ということもあり、監督に月川翔、助演に北川景子、柳楽優弥、小栗旬という強すぎる布陣で製作された。

映画の公開こそ同時期ではあるものの、脚本に沿って役になりきった齋藤に対し、役自体が完全に自分の化身となった平手といった感じに両者の性質が垣間見れる比較ではあると思う。

4.音楽分野での外仕事経験がある

演劇やミュージカルを抜きに、音楽分野での仕事があるのも両者の共通点だ。

齋藤飛鳥は2017年に渋谷系の重鎮Mondo Grossoの楽曲「惑星タントラ」にボーカルとして参加している。Mondo Grossoはこの年に活動再開し、満島ひかり、谷中淳などがゲスト参加したアルバム「何度でも新しく生まれ変わる」をリリースし話題となっていた。

坂道シリーズのメンバーが他のアーティストの音源に参加すること自体がかなりのレアケースであり、西野七瀬が参加したtofubeats「ふめつのこころ」のように権利上の関係で正規音源化されないこともある。その点からもこの「惑星タントラ」はかなり特例であることが窺える。

平手友梨奈は女性アイドル、しかも秋元系アイドルながらロッキンオンジャパンの表紙を飾っている。同時に欅坂46として日本4大フェスのロックインジャパンフェスサマーソニックにも出演。さらにはNHKの音楽番組「SONGS」にも欅坂46として出演し、インタビュー部分は全て平手友梨奈のインタビューのみという破格の扱い。

さらにSEKAI NO OWARIの楽曲「スターゲイザー」のMVにも出演。坂道シリーズの他アーティストのMV出演はいくつかはあるが、有名どころだけで言うとこの「スターゲイザー」と、橋本奈々未が出演したフジファブリックの「girl girl girl」ぐらいしか無いのでこちらもレアケースではある。

5.アイドルらしくないアイドル

両者を語る上で最も重要なのがこの要素だろう。

ともにキャラクターの性質でいうとダークと評されることが多く、アイドルらしくないところを評され頭角を現してきた。

この要素こそ2人のニュータイプを紐解くヒントなのは決定的なわけで、この2人がアイドルらしくないアイドルたらしめる要因とは'諦め'であると自分は見ている。

アイドルという偶像崇拝コンテンツ


両者の違いを紐解いていく前に、そもそものアイドルの定義に立ち帰りたいと思う。

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そもそもアイドルという言葉はidolという単語から来るもので、日本語で言う偶像という言葉が来ている。

自分はこの意味合いから、アイドルというものは一種の虚構を孕むことで成立するものだと思ってて、虚構と引き換えに嘘偽りのない夢を与えるビジネスモデルであると。

いきなりこいつ夢の無い話するなと思われるかもしれないが、それこそ偶像崇拝の語源ともいえる宗教の経典なんかで、こんなんありえねえだろって話よく出るじゃないですか?偶像ってのは思いがけない像って書いて偶像なわけで、ちょっと現実離れしてるから観客に夢を見る隙を与えることができるんですよ。

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現実離れって意味だったら、それこそ坂道シリーズで最も知名度のある白石麻衣はまさしくアイドルという言葉にぴったりだ。現実離れした圧倒的なルックス、しかも内外構わず溢れ出る聖人エピソード。こんな完璧な人いる?ってなりますよね。

これに加えて同性から好かれるアイドルは、ある種のなりたい自分のロールモデルとなることもあります。白石麻衣だって彼女のフォロワーたちが坂道シリーズに加入するケースもあるわけで、有名どころだと乃木坂の梅沢美波や日向坂の齊藤京子なんかは実際に白石麻衣をリスペクトする趣旨の発言をしています。

白石麻衣の場合は良い虚構という意味で紹介しましたけど、悪い虚構だってあります。それこそ日本の女性アイドルにとって付きまとわる2つの風潮で。

アイドルはうんこしない

アイドルは恋愛をしない

アイドルは非現実なコンテンツという構造が、彼女たちの行動を制限する形として出てきたのがこの2つの風潮なわけで、限りなく理想の異性という対象をアイドルに見出すことがアイドルコンテンツだ。

秋元康の凄いところその対象の範囲を広げるために人数を多くし、いわゆるガチ恋と呼ばれる現象を生み出すことに成功したことだ。いつまで経っても秋元系アイドルの人気が根強いのはそういうところが起因してるのもある。

長くなったがとりあえず自分が伝えたいことを言うと、完璧な自分を売るために虚構を孕むということをアイドルと定義するなら


よりアイドル的なのが平手友梨奈で、逆にアイドルらしくないのは齋藤飛鳥だということだ


周りの圧倒的な強さを前に諦めた齋藤飛鳥


齋藤飛鳥は初めから人気があったわけじゃない。人気に火がついたのもデビューしてから4年ぐらい経ってからのことだ。

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というのもデビューして数年の齋藤飛鳥は、最年少という武器を最大に活かした年相応のロリロリアイドルであった。初期のブログなどを見てもらうとわかるが、いかにもジュニアアイドルって感じがするから面白い。

これは本人も認めていて、理想のアイドル像を演じていたところがあった旨を様々なメディアで発言している。

だが彼女は埋れた。それは元々の彼女の性格が面倒臭いところによるものだと思う。なぜ面倒臭いと評したかというと、これは悪い意味とかじゃなくて世間が思う齋藤飛鳥の性格のように暗いところもあれば、メンバーの和田まあやが言うように明るいところもある。そういう意味で面倒臭いと評したのだ。とはいえこの性格が彼女の求めるアイドル像とマッチしてないのも事実。

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以前別の記事で書いたが、乃木坂はサッカーで例えるとスペイン代表と同じで全員が強烈な個性を持つスーパースター集団だ。

白石麻衣はチームの顔って意味じゃまさにイニエスタ、点取り屋のビジャなんかまんま西野七瀬で、天才肌の変態テクニシャンのダビドシルバは生田絵梨花、チームの心臓のシャビは橋本奈々未、守護神カシージャスは生駒里奈、精神的支柱プジョルこと深川麻衣、シャビアロンソの美しいロングパスはさゆりんごパンチそのもの、おまけに悪質タックルの応酬って意味では真夏さんとセルヒオラモスはもはや同一人物。あと強いチームってのは控えも豪華。いぶし銀の強いストライカーペドロは伊藤万理華、癖の強いテクニシャンのマタは堀未央奈

この文我ながら良い出来だから引用でもう一回使っちゃうんだけど、これを見りゃわかるように齋藤飛鳥の入る隙なんてないわけで。

しかも齋藤飛鳥には最大のライバルともいえる存在がいますよね。

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そう、可愛いの天才こと星野みなみです。ただ部屋で10分くつろぐだけでTwitterの世界トレンドに載る彼女は、まさしく素の状態がアイドルという稀有な存在です。つまり彼女はアンチアイドルでありながら、生まれながらにアイドルなわけなんです。

スペイン代表で例えるならブスケツ。若くしてバルセロナ、スペイン代表のレギュラーになり、名実ともにスペインだからこそ生まれたスペインらしいサッカー選手です。

こういう風に圧倒的な強さを誇るメンバーを前にして、齋藤飛鳥は理想のアイドル像を演じることを諦めてしまった。そこから彼女は着飾らず、素の自分を打ち出すアンチアイドルへと化したのだ。

そしたら人気が出た。そして彼女はセンターを飾り、若手エースとして乃木坂次世代の象徴と言われるようになった。

だが彼女自体もこの人気の上がり具合に戸惑ったと思う。彼女の性格をフィーチャーした時に語られるのは、アイドルなのに暗いという端的な部分のみクローズアップされてきた。

事実初センターから2年後の2018年の選抜発表において、彼女は涙ながらに苦悩していることを吐露する。

初心に返ると今ままで見なかったものとか、今まで見なくていいやと思っていたものも気になっちゃって。なんか、ファンの人がどういう気持ちで応援してくれているんだろうとか、みんなが……うーん…….なにを思って……わたしと接してくれているのかがわからないなと思っていて。


なんか行き詰まっているというか、普通の人が学ぶであろうことを学ばずにきたというか、若いうちから乃木坂に入ったからかもしれないけれど、どうしたらいいかわからないなと思ったときに、その選択の一つが私は本を読むことだったりするけれど、本を読んでもわからない。

実際彼女がセンターを務めた時点でも、彼女は絶対的エースになったわけではない。依然としてグループの絶対的エースは白石麻衣と西野七瀬であり、その3番手として並んだのが齋藤飛鳥だった。さらに2期生の堀未央奈、3期生の大園桃子、与田祐希といった下からの突き上げもあった。周りが強いのは相変わらずだ。

そして素の自分をさらけ出したことの弊害も大きかった。批判にさらされた時虚構の自分と違い、本当の自分を否定されるのでよりダイレクトな傷を受けることになる。だから彼女はアイドルとして同じタイプの橋本奈々未や大園桃子などに対して強烈なシンパシーを感じているのかもしれない。

だが彼女の性格は上で述べたように面倒臭いのだ。一概にして暗いわけではない、明るい一面だってあるのだ。だから2019年のシングル「Sing Out」以降、彼女はそういった明るい一面も多くなった。そして今年の46時間テレビでは明るい姿がさらにクローズアップされることとなった。

このように齋藤飛鳥はアンチアイドルとしてのスタンスを貫きながら、周りのメンバーと切磋琢磨することで人間的な成長を遂げたのだ。

暗いけど明るい、この矛盾こそ齋藤飛鳥をアンチアイドルたらしめる要因だ。一概に一つの側面で説明することが出来ない複雑さが、むしろ人間臭いリアリティを感じさる。この面倒臭さこそ齋藤飛鳥がナードな現代社会に受け入れられるアイドルとなったことになったのかもしれない。


求められる偶像を前に諦めた平手友梨奈


一方同じ最年少であっても平手友梨奈の場合は周りの状況が違かった。

欅坂は結成当初から大人しいメンバーの集まりと言われており、冠番組の「欅って書けない?」でもMCの土田晃之、澤部祐といった腕のある芸人たちを手こずらせてきた。

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スタート時点から強烈なキャラクター集団だった乃木坂と比べると劣るのは否めなかった。タラレバになるがセンター適正の高い長濱ねるが結成当初から正規メンバーとして入れば、平手と並ぶダブルエースとしてセンターを務めたのではと思う。

そしてなによりも欅坂というグループが「サイレントマジョリティ」のヒットにより、思春期のリアルを内包したグループカラーが生まれ、そのイメージを一身に担った平手友梨奈が10代のカルチャーアイコンとして君臨せざるを得ない状況を早い段階で陥ってしまったことが大きい。

だがほんの少し前まで普通に暮らしていたアイドル志望の女の子が、いきなりカリスマパンクロッカーみたいな役割を押し付けられたのだから話が違うにも程があります。たまたま素質があったからガンダム乗って戦うアムロと言い分は同じです。

ここまでわかった通り活動初期の時点で齋藤飛鳥と平手友梨奈の置かれた状況って全く違うんですよ。生駒里奈が倒れそうになったら、代わりに白石麻衣が出てくるという圧倒的層の厚さの下で大事に育てられた齋藤飛鳥。対して連携もままならない未完成のチームでうっかり最初の、しかもイレギュラーなヒットが受けたばかりにその形しかできなくなった平手友梨奈。

またこいつサッカーで例えんのかよって思われるかもだけど、欅坂って今のバルセロナそっくりで、平手友梨奈はまさしくメッシ。時代錯誤の特殊なサッカーをやっていて、メッシは輝けるけど他のメンバーはひたすら汗かき役。

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だから2016年後半のけやかけの京都ロケの時、あえて後ろの方に隠れて他のメンバーを目立たせようとした仕草があったり、周りに目立って欲しいって発言もちょくちょくしてたりと本人は世間の異常な視線に困惑してたのも事実。

ですが欅坂とバルセロナの共通点はもう一個あって、それはフロントが無能ということ。平手友梨奈に惚れ込んだ秋元康は、欅坂に反抗的な楽曲ばかり渡すようになります。

最終的にはメンバーからも平手友梨奈像を求められるようになってしまったのがトドメでしょう。

平手がいないとだめなんです。

これはメンバーの齋藤冬優花が2017年のブログで書いた言葉なんですけど、これは体調不良で欠席した平手のいない状況のライブをやったがやっぱり平手友梨奈がいないと成立しないと述べたものです。

どこに行っても求められるのは、「反逆のカリスマ平手友梨奈」という偶像であること。偶像を否定された齋藤飛鳥とは対照に、偶像を演じることを求められたのが平手友梨奈というアイドルの性なのだ。

だから初主演の「響-HIBIKI-」でも、響を演じたはずなのにどう見てもまんま平手友梨奈にしか見えなかったのは、その偶像のイメージが強すぎることによるものだ。
 
だけどなにも理想とギャップに苦しんだのは平手友梨奈だけでは無い。5年の活動期間で多くのメンバー、しかも長濱ねるや今泉佑唯といったがっつり主力のメンバーがグループから離脱した。

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そして平手友梨奈自身もグループから去ることになった。グループコンセプトを誰よりも理解していた彼女だからこそ、シングル一年延期騒動などを見るあたりあまりにも強大になりすぎた虚構がグループそのものを侵食していたことに気づいていたのかもしれない。

偶像とリアルの狭間に揺れて

両者が似て非なるアイドルであることはお分かりいただけただろうか?

最後に両者の性質がかなり分かりやすく浮き出てる例を提示したい。

坂道AKBの「誰のことを一番愛してる?」だ。

当時のAKB、乃木坂、欅坂の若手メンバーが集まって作られた楽曲だが、聴けばわかるが欅坂っぽい攻撃性の強い楽曲だ。

もちろんセンターは平手友梨奈で、齋藤飛鳥はフロントで堀未央奈とシンメを組んでる形だ。

齋藤飛鳥はアイドルという偶像を演じてない。自分というリアリティを全面に打ち出しているから、どんな偶像を求められてもそれに対応できる。

一方平手友梨奈は反逆のカリスマという偶像を演じている。しかもその偶像はかなり我が強いから、彼女自身がセンターに立って楽曲そのものを支配しないといけない制約は生まれる。だが確実に一定の成功は狙えるからやめられないのだ。

同じカリスマアイドルでも全く違う二人

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あなたはリアルを愛しますか?

それとも偶像を愛しますか?

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