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人生のセレンディピティの見つけかた

「何歳まで生きたいか」というような、他愛も無い会話がある。中には100歳まで生きたいという人もいれば、孫が見れるまで生きたいという人もいて、その回答によって人の人生観が見えたりする気がする。
私はどちらかというと、長生きしたいとは思わないタイプの人間で、できるだけ他人のお世話にはならずにぽっくりと逝きたいと思っている。

こうゆう類の話には自己啓発系の「あと1週間の命だったとしたらあなたはどう生きるか」というような、耳にタコができるほど聞き飽きたフレーズがある。私はこの言葉になんとなく違和感を感じていた。

「あと1週間の命だったら、どうするか?」

自分だったら何かやり残したことをやるのだろうか。行ったことのない国へ旅にでも出るだろうか。今を精一杯生きようと生を謳歌するのだろうか。私は一番に何を思い浮かべるんだろう。だけど、考えても考えても答えは見つからない。

そう。とくに何もないのだ。もし今、そのような運命に立たされたとしたら、私は素直に受け入れてしまうと思う。これはネガティブなことではないと思うし、ニヒリズムに浸っているわけでもない。これを読んでいる人の中で、私と同じ心境な人は少なくないと思う。


10代の頃、思春期さながらに「死」について考える時期があった。突然、母親は自分よりも早く死ぬ可能性が高いんだ、という当たり前のことを理解しはじめて、怖くなって、ひとりで泣いてたこともある。

その頃から、何かを探し求めるように、とくに明確な目的もなく、家も仕事も決まっていない状況の中で家出のごとく東京にでてきた。親元をはなれて、新しい環境で新しい仲間たちと生きるようになり、DVを経験したり、鬱病になったり、いろんなことを経験した。そんな中、ひょんなきっかけからメンタルセラピストの学校へ通いはじめた。そして今、セラピストやコーチ、プロデューサーとしての仕事をしている。

自分がそんな仕事をするなんて、当時の私は思いもしなかったけれど、その頃はじめて感じたことことは、その後の人生の大きなヒントになった。

クライアントさんに記入してもらうカウンセリングシートには、人生の中で印象に残っている出来事をランキング形式で書いてもらう項目がある。その中の上位に、「阪本明日香さんに出会ったこと」と書いてくれる人がいた。セラピーを行ったクライアントさんに「あすかさんのおかげで、人生が変りました」と言われるようになった。

私はこの仕事をきっかけに「自分の行いが、人のためになっている」という実感をはじめて感じた。私の発した言葉で誰かの人生を鼓舞することができる。私の文章で感動して泣いてくれる人がいる。それは、本当に大きな衝撃で、その時にはじめて幸福感というものを知った。

だけど次第に、その幸福感も時間とともに薄れていく。長く同じ仕事をやっていると、それが当然のような感覚に陥る。そして、またマンネリした日々へ突入するのだ。


幸福感は、自分が誰かの役に立ったという実感からやってくるものだと思う。それは、「生きている実感」と言い変えてもいいかもしれない。だけど、マンネリ化してくるとそんなことはすっかり忘れて、自分の利益や目先のことばかりに走りがちになる。

そして次第に実感は失われ、何も考えずに、ただ残された寿命を生きる。生きている実感がなく、生き続けるというのはとてもつらいものだと思う。

だから、とにかく誰かの役にたつことをどんどん広げていけばいいんじゃないか、と私は考えた。それは、ただクライアントを増やすとか、仕事を増やすとかではなくて、どんどん自分の空間領域を広げていくというニュアンスで。

その広がった分だけ、自分の幸福感も広く大きくなっていく。たとえば、私は去年の春頃から、アフリカを中心としたテロ紛争問題に取り組むNPOに所属しているけれど、今思えばきっとそうゆうことだと思う。どんな感情も幸福感も、時間がくるとマンネリ化してしまう。その度にまた広げていく。という、繰り返しが一番いいんじゃないかと思っている。

勘違いしてはいけないのは、それは誰かのためでも、世界平和のためでもなんでもなく、すべて自分のためだということ。



樹木希林さんの言葉に印象的なものがある。彼女は去年ガンでなくなってしまったけれど、ガンはありがたい病気だと言い残している。

周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう? そういう意味で、がんは面白いのよ


「生きている意味」とか「やりたいこと」とか「好きなこと」とか、「使命」とか、人生にそうゆうものを探し求める人がいる。私もその中の一人だったのかもしれない。

だけど、このような言葉はただの美辞麗句でしかない。ただシンプルに、自分と真剣に向き合って生きたい。周囲の人に、真剣に向き合って欲しい。自分の命に、真剣に向き合って生きたいだけなんじゃないかと思う。


もし、あと1週間の命だったら、あなたはどう生きるだろうか。未だに私はその答えを持っていないし、その時になってみないとわかるわけがないと思う。ただ、今目の前のことに真剣に向き合ってさえいれば、必ず見えてくるものがある。

これを英語では『セレンディピティ』と言うらしい。

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。ーwikipedia


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