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ラスボスを忘れたらいけないという話

おはこんばんにちは!現在Lv.23のゲーミフィケーションくんです。

今日の研究日誌は「ラスボスを忘れたらいけない」ということを書こうと思います。

研究の最終形を考える

今も大学の研究室でゲームのことをずっと調べているのですが・・・。このあたり、最終形を忘れてしまいがちなのですよね。

最終形って何かというと、ビジョンと言ったらおおげさなのですが、「論文に書くこと」「その論文を手段として実現したいもの」あたりをしっかり覚えておくという事です。

ほとんどの場合、作業を始めた最初には、「これがやりたいからこの研究をします!」というのがあって始めると思うのですが、その初心の部分を忘れてしまうのですよね。

今日色々と調べものをしていた時に気付いて反省したのですが、「この作業はなんのための作業?」となってしまいました。

というのも、「ゲームのことを知る」だと娯楽としてアリで、無限にできるのですが、何かの研究テーマを決めて、それに対して先行研究を調べるという作業が建設的なので、適当に調べ回っていても意味がないということです。

イメージとしては、魔王を倒すために旅に出たはずが、ずっと謎の洞窟の中を探検している感じです。

これだと、「こんなものがあったんだ!」という発見がある可能性はあれど、時間効率は悪いです。

最終形のイメージって、あるタイミングで想定していても、毎日作業していると忘れがちで迷走してしまうので、気を付けないといけないということです。

ゲーミフィケーション研究の先にあるもの

ゲーミフィケーションの研究それ自体が目的になってしまっては本末転倒です。

そこで、研究内容を考える前にゲーミフィケーションを手段として何を実現したいのかというと、1つは「一人ひとりにゲーム思考を取り戻す」ことがしたいと思っています。

このあたり、様々な言い方ができるとは思うのですが・・・。

たとえば、毎日生きているのが辛い人がいます。なんで辛いのかというと、人によりますが、人生が絶望だからというケースが多いと思います。

なんで絶望という表現をしているのかという部分なのですが、『REALITY IS BROKEN』という、ゲームが幸せな未来を作ってくれることを書いた本に、「ゲームの反対は絶望」というようなことが書いてあるのですよね。

今の世の中では、「ベーシックインカムができたら仕事をするか」とか、「AIが仕事を奪ったら」みたいなことが多く語られます。

でも、多くの本の論じ方はなんだか腑に落ちないと思っています。

というのも、「仕事をする/しない」のことは論じるのに、「希望的/絶望的な仕事」の分岐はあまり論じないのです。

でも、人って本来仕事好きです。スポーツをしたり、DIYをしたり、趣味やサークルに打ち込んだりします。こういった希望的な働き方を「遊び」と呼んだりします。

じゃあなんで「仕事=嫌なもの」と思われているかというと、仕事が絶望的である確率が高すぎて、「仕事=絶望的」と認識しておいて差し支えないからです。

ここが今の社会の大きな問題点です。

「仕事=希望的」になっていけば、辛い思いをする人も減っていくはずです。

そして、「仕事=絶望的」な人が、たまに「仕事=希望的」な人をみると、どうも受け入れがたいのです。

たとえば、「ゲームで勉強??」「社員研修をボードゲームで??」「ゲームで頭が良くなる??」と思い、「希望的な仕事」が受け入れられないのです。

「遊びと学びは別、勉強は耐え忍ぶもの」と思っている人を見ると、勉強はもっと楽しめるし、ちゃんとデザインすれば楽しい、そんな風に思わせてしまうような今までの勉強って、どうなの?と思います。

「仕事=希望的」な人がもっと増えてほしいです。もっと広く見ると、「人生=希望的」な人がもっと増えてほしいです。

仕事をゲームのように楽しんで、コンビニでパワーアップアイテムを買って、クエストをこなすように毎日を生きてほしいです。

こんな風に、毎日を楽しく生きることを考える子どものようなゲーム思考って、大人になって失われていきます。

むしろ、ゲーム思考が失われた時、大人と呼ばれます

大学で僕が勉強しているのを見て、「自分もしなきゃなあ」なんて言ってほしくないです。勉強が楽しく感じられないのは、完全に設計ミスです。勉強のゲームデザインがなってないんです。それを自分のやる気がないからみたいな認識をしてほしくないんです。

ゲーミフィケーションは、絶望的な仕事をこの世からなくす方法であり、一人ひとりから失われたゲーム思考を取り戻す手段の1つです。

勉強が楽しくないとか、仕事がうまくいかないとか、そんな絶望的に生きてほしくなくて、もっとゲームを楽しむように、本を読んだらこんなにパワーアップしたって思えるような、希望的な生き方をしてほしいと思っていて、それをゲーミフィケーションで解決したい、ということです。

具体的に考えている研究内容

今は先行研究をずっと調べている段階なのですが、調査には早めに着手していきたいと思っています。

今考えているものとしては、

・ゲームコントローラーとオンライン授業の可能性

・マインクラフト教育版の授業実践の検討・提案

・自発性を促す「場」づくり(≒オープンワールド型ゲーミフィケーション)

などなどたくさんあるのですが、やはりオープンワールド型ゲーミフィケーションに興味があります。

以下に貼ったnoteでも考えたりしました。

ただ、この先にある将来像をイメージして、ゲーム思考の生き方を取り戻すことを忘れたら、やはり本末転倒になってしまうと思っています。

オープンワールド型ゲーミフィケーションに興味があるといっても、その先にあるゲーム思考の生き方を忘れないようにしないといけない、ということです。

ということで

ゲーミフィケーションの研究ということですが、実際的な限界は考えないといけないと思っています。

具体的をもたせていないうちは、壮大なことを考えがちなのですが、スライムをまず倒すのが先決であって、華麗に魔王を倒す方法を考えるのは時間効率がよくないです。

研究するにあたる資源も、大学の授業内で実践するのには限界があったりします。

ただ正直、研究の結果よりも、その過程で身に付けたものが役に立ってくると確信しています。

「研究を通して得た自分」は、卒業後に使えます。研究の結果ばかりではなく、視野をもっと広げていこうと思っています。

このあたり、ラスボスを忘れてはいけないと思っています。

僕はとりあえず新3年生なのですが、新4年生だと思って、来年の今頃に卒論を出すつもりでかかっていきます。

では!

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