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3000万円の寄付をした33歳サラリーマンの友人をみて、僧侶の私が考えた本当の幸せとは

 こんにちは、僧侶の堀部遊民と申します。

 去年、中学の同級生が父親を亡くして3000万円の遺産をもらいました。彼はそれをイギリスに留学していた学生時代に知り合った中東の友人を介して、戦乱や貧困で苦しんでいる人のために使ってもらいたいとシリアに全額寄付をしました。

 これを聞いて私は思いました。

「本当に幸せな人とはこういう人だ」

 僧侶の私が考える本当に幸せな人とは、仏教の“無我”の教えを実践する人。我が無いと書いて“無我”。仏教の中でも非常に難しい教えなので、なかなか理解されませんが、我が有る人の反対をイメージすると少しはわかるかと思います。

 たとえば、3000万円の寄付をした彼に、もし我が有れば遺産は自分のために使います。私も含めて、多くの人は遺産は自分や自分の家族のために使うのが当たり前でしょう。昨今だと貯金にまわす人が殆どかもしれません。しかし、彼は我が無かったのでシリアに全額寄付をした。自分のためではなく、シリアのために父の遺産を使った。自分のためという我が無いところに彼の無我性を感じます。

 そんな彼がどうして本当に幸せな人といえるのか。

 それはお金に執着する我が無いからです。お金に執着する我が有れば親族で揉めます。我が強い人がいると争いになるとも言い替えられるでしょう。そんな我さえなければ遺産相続で問題は起きません。しかし、多くの人がお金に執着せざるをえない社会で生活しているので、遺産相続をきっかけに親族の仲違いは、悲しいかな、避けられません。もちろん、そこで遺産を手に入れて満足する人もいるでしょうが、仏教はこれを本当の幸せとは考えません。仏教では、お金に執着する我が無いのが本当に幸せな状態です。

 これはお金だけに限った話ではなくて、モノでも愛するパートナーでも地位や名誉、自分の子供でも、すべてに対していえます。何かに執着するから苦(不満)が生まれる。仏教の基本の教えです。その最たるものが自分という存在。自分という我を手放した“無我”の状態が、悟りといわれる本当の幸せ、仏教の考える理想の境地です。

 いや、そんな境地には至れないし、至りたくもない。彼のようにお金への執着を無くして寄付するなんて絶対無理。というか、寄付する余裕なんてない。と思った方もいるでしょう。

 私がこの話を彼から聞いたとき、彼はすました顔で言いました。

「そもそも俺の金じゃ無いしね」

 遺産に対してそういう発想はありませんでした。やはり、お金に執着する我が無い人は本当に幸せだと思います。

 彼のような潔くて美しい人間にはなれないにしても、日常生活において、何かに執着を強めないことが仏教的には幸せ何かに執着するから苦(不満)が生まれるという真理(事実)を知った上で私生活を送ることで、お金に色恋、仕事上の人間関係など、さまざまな問題に苦悩する人が減ることを心よりお祈り申し上げます。

 こんな話はキレイ事すぎて、まったく参考にならないと思った方は、金がモノいう世の中で、競争してしのぎを削ってもらう他ありませんが、少しでも人生の中で執着しているモノを減らしたいと思った方には、漫画のようにサラリと読めるこの本が刺激抜群でおすすめです(画像をクリック↓するとリンクに飛びます)!仏教を通して自分という存在をみつめることで、今までとは違った自分との出会いを楽しめるでしょう。

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