死にたいと言えたなら

これは2014年に放送されたNHK『ハートネットTV 20代の自殺』用の動画を制作したときに書いた文章です。書いてから四年が経ちましたが、今でもこの気持ちは変わっていません。
これは20代に向けたものですが、いま二学期を目の前にして、どこか暗い気持ちになっている10代の人に対しても同じ思いでいます。「死ぬな」だとか「がんばれ」だとか、そんなことは僕には言えません。でも、もしも死を考えたことがあるのなら、そういう気持ちを感じているのなら、一度どこかへ吐き出して欲しいな、吐き出せるといいね、そんなふうに願っています。

 「20代の自殺」について考えるキャンペーン用の動画をつくりたい。NHKの方からそんなご相談を受けて、僕に出来ることがあるのだろうかと悩みながら会議に参加した。
 当事者に取材をしているディレクターたちの話、番組を通じて世の中にメッセージを発信していきたいというプロデューサーの想い、そして番組に寄せられた膨大な数のメールやメッセージ。会議が進むにつれて僕の手帳のページには単語と絵がどんどん増えていく。やがて僕の手が止まった。自分で書いた言葉の中から「どうして僕は死なないのだろう」という文字が浮かび上がってくる。そして、その横に大きな文字で「?」。
 そう。僕にはわからない。それだけが僕に言えることなんだ。
 正解のないことがらは、いつだって僕たちを不安にさせる。何者かになりたいともがきながら、けっしてそうはなれないことを知ってしまった時の、あの感覚。独りぽっちで、どこにも逃げようのない暗く長い道を見つめながら、選ばなかったほうの道を歩く自分の姿を思う時の、あの感覚。
 だから僕たちは死にたいと思う。何も感じないまま生きているなら死にたいとは思わない。「死にたい」というのは「生きたい」ということ。心の中に強い感情があるということ。みんな優しくてまじめで、だからこそいろいろなことを感じて死にたいと思う。
 どうすればいいのか、何が正しいのか。それは僕には分からない。僕たちは、なぜか生き、なぜか死ぬ。どちらがいいとは僕には言えない。正解なんてないのだから。あの感覚を知っていれば死ぬことが悪いなんて言えない。生きていればいいことがあるとも限らない。僕だって今たまたま生きているだけだ。だから僕に出来ることは何もない。
 だったら僕は、ただその気持ちを知っていることを伝えよう。あの感覚を知っていることを伝えよう。けっして何かの答えを出すのではなく、どうすればいいのかわからないまま、その場で立ち止まって悩み続けているあの感覚を。
 もしも「死にたい」というひとことを口にできれば、世界はほんの少しだけ変わってくれるかも知れない。もしも「死にたい」というひとことを耳にすれば、世界をほんの少しだけ変えたくなるかも知れない。誰かが誰かのことを想う気持ちは、まだ確実に世界に存在している。少なくとも僕はそう信じている。

【10代のみなさんへ】
 去年に引き続き今年もNHKでは『 #8月31日の夜に。』という番組を放送します(僕も制作に関わっています)。番組では今、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま誰にも言えずにいる10代の「日記」を募集しています。何も書かなくても構いません。書けなくて当然です。でも、もし時間があれば、ほんの少しだけでも、同じような思いを抱えている人たちの日記をのぞいてみてください。
【大人のみなさんへ】
 けっして10代に向けての"メッセージ"などではなく、誰かを励ますのでもなく、何かを教えるのでもなく、ただ、かつての自分はどうだったのか、死を意識したそのときいったい何を感じ、何を考えたのか、そんな記憶の断片のようなものを #8月31日の夜に というタグを使って、そっと彼らに伝えてもらえると嬉しく思います。

 noteが #8月31日の夜に を大きなテーマとして扱ってくださったことに、心から感謝いたします。




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