変圧器

9月1日発売の新刊『どこでもない場所』に収録したエッセイを公開しています。(10分の3本め。)


 夏が近づくと、ときどき僕は学校に行くふりをして海近くの高台へ行くようになった。

 それまで夢中だったラグビー部を高校三年生の六月で辞めると、途端に暇でしかたがなくなっていた。辞めた理由はそれほどはっきりしたものではなく、やたらとケガをしていただとか、ある試合で一年生にポジションを取られたことがショックだっただとか、生徒会の仕事が忙しくなってチームメイトとの会話が減ってしまっていただとか、勉強はあいかわらずさっぱりできないままだとか、そういったいろいろなものごとが僕の中で複雑に絡まりあい、やがて膨れ上がって抑えられなくなった結果だった。

 緊張しながら監督のいる体育指導室に入って「辞めます」と言うと、監督は「よしわかった」とうなずいた。「もう少し考えろ」だとか「なんとかがんばれないか」というようなことを言われると思っていた僕はずいぶんと拍子が抜けたし、ああ、やっぱりチームに僕は必要なかったのだなという思いが込み上げて来て、すぐに悔しさと寂しさが同時に僕の体をいっぱいに満たした。それでようやく僕は自分が辞めたくないのだということに気がついたのだった。たぶんこのときの悔しさと寂しさがあったから、僕は大人になってから再び社会人のチームに入ることになったのだろう。

 もしもあの場で「すみません、やっぱり残ります」と言っていたらどうなっていただろう。一度辞めると言った選手を監督はどう思うか。チームメイトたちはどう思うか。それはさすがにお互い気まずいだろうなと思った。もう何もかもが遅かった。僕に選択肢はなかった。そうやって僕はラグビー部を辞め、ぶらぶらするようになった。

 バイクを走らせてはその高台へ行き、ごろりと横になって何もしないまま、ただ海や空を見ていた。陽が当たるとジリジリと肌が焼け、半ズボンを履いた太腿の下で汗が水たまりになった。山から降りてくる湿った木の匂いがくすぐったかった。

 瀬戸内海から立ち上った入道雲が青い空の中央に広がり、その横を通り過ぎて来る小さな雲が頭の上に差し掛かると、陽が遮られて陰ができた。それでも汗はひかなかった。

 団塊ジュニアと呼ばれる僕の世代はとにかく人数が多いから、受験にしても就職にしても過剰な競争がつきまとっている。もちろん、そんなふうに教えられてきたわけじゃないが、子供のころから競争にさらされていると、全体としてそうした雰囲気が当たり前になるし、社会の仕組み自体も厳しい競争を前提としたものになっていた。

 僕はそういう競争にはどうも上手く馴染めなかった。未来を妄信することができなかった。きっと周りのみんなも馴染めなかったのだろうけれど、それでも多くの人は、あえて今だけはしかたがないのだ、これが終わるまではと目を瞑って走っているようだった。僕は逃げたかった。こんな競争からはさっさと降りて、もっと適当な道をのんびりと歩きたかった。

「いつまでもバカをやってないで早く大人になれよ」と同級生に言われたのは高校一年生のときで、彼にしてみれば、そうしないと生き残れないぞという親切心からのアドバイスだったのだろう。僕たちの目の前には厳しい競争が待っているのだ。いつまでもバカをやっているやつは見捨てていくほかない。でも、バカと大人は僕の中では対立するものではなかったし、僕はいつまでもバカをやっていたいと思っていた。だから学校では、自分ではあまりその実感はないまま、きっと浮いていたのだと思う。


 電器店の息子だった高田さんは、学年で言えば二つ先輩で、大学へ進学するために二浪していた。同じ学年にはあまり友人がいないようで、よく僕と一緒に遊んでいた。

「なんでお前、高田さんと連んどんねん。あの人、オレらより上やんか」

 学年が一つ上の先輩からはときどきそう言われた。自分たちを飛び越えて上の年代とつき合う後輩が気に入らなかったのかもしれない。学生時代には年の差が何かとても重要なもののように扱われるのだ。

 高田さんも競争には馴染めないタイプの人で、どちらかといえば逃げよう逃げようとしていた。オレはいつか映画かドラマを撮るし、お前も撮ればいいと言って映画ばかり観ていた。僕は高田さんとは違って、自分には映画を撮る機会なんて来やしないとわかっていたから、高田さんのことは少々能天気過ぎると思っていた。

「お前は何になりたいんや」と高田さんは聞くが、僕に答えなどなかった。本を読むのが好きで、映画や音楽も好きだから、何かそういうことに関わることができればいいとは思っていたけれど、具体的にそれが何なのかはわからなかった。

 だいたい僕には主体性がなかった。本にせよ映画にせよライブにせよ、見たもの聞いたものすべてに影響されるのだ。そのときどきでやりたいことは変わった。そして、たぶんそのどれもが僕には無理なのだということにも薄々気づき始めていた。

「お前も映画撮りたいやろ」高田さんが何度もそう言うので、僕はそのたびにとりあえずうなずいていた。だから、それから二十数年たって、自分が短いドラマを撮ったときにはとても不思議な気がしたし、高田さんがこれを撮れたらよかったのになとも思った。人はどうなるかわからない。本当にわからない。

 高田さんの家にはベータマックスのビデオデッキやレーザーディスクがあって、古い映画をよく一緒に観た。ときどきは新しい映画も観たものの、ほとんどは古い映画だった。電器店の三階はフロア全体が高田さんの部屋になっていて、ちょっとした一人暮らしの雰囲気があった。

 高田さんは大人だった。文字どおり二十歳を過ぎた大人というだけでなく、のんびりした山の子供だった僕とは違って、街の子ならではの押しの強さと、どこか俗っぽい気配を纏っていた。そして、いつまでもバカをやっている大人だった。

 豆をミルで挽き、サイフォンで沸かした湯で時間を掛けてコーヒーを淹れた。ガード下の汚らしい焼き鳥屋で酔っ払い、ジャズバーでは慣れた様子でリクエストをした。商店街にある店の店主たちと世間話をし、商売を冗談にして笑い合っていた。それを見ていると、高田さんはもうこのまま電器店を継ぐのではないかと思うほどだった。

「オレは絶対にこのままでは終わらんのや。絶対にここから出るんや」

 山の上から夜景を見ながら高田さんはそう口にした。声は小さかったけれど、口調はやけに熱かった。二浪して友人もなく、気づけばこのまま電器店を継ぐことになる人生。たぶん映画は口実に過ぎなかったのだ。何者かになりたいのに何者にもなれず、必死でもがいている。どうすればいいかはわからない。でも、ここから逃げ出せばきっと何かが掴めると信じている。

 上手くは言えないが、その瞬間、僕は高田さんのことをなんだか滑稽に感じてしまったのだった。絶対にという口調の熱さが鬱陶しかった。才能のある人間は、もうとっくに抜け出している。今まだここにいる時点で高田さんに才能などない。たぶん彼はこのまま終わるのだ。はっきりそう思ったわけではなかったが、漠然とした予感のようなものを感じていた。

 高田さんは同意を求めるようにこちらを見たのに、僕は何も言わなかった。高田さんの視線に気づかないふりをして、僕はただ夜景を見ていた。本当に何かをやる者は、やるぞと口にする前にとっくに始めている。高田さんは口だけだ。

 そうして、秋も深くなった。ときおり山から吹き降ろしてくる風は、すでに冬の気配を含み、僕たちの首筋へ陰鬱な気分を吹き込んだ。

 ある日、高田さんはどこかから集めてきた進路案内のパンフレットを机に並べ始めた。そろそろ進学先を決定する時期だった。

「オレな、アメリカに行くわ」

「大学はどうするんですか」高田さんは二浪している。

「だからな、アメリカの大学にするんや。UCLAには映画の学科があるねん」

 高田さんは本気でアメリカの大学に行こうと考えているようだった。ここから逃げて、競争から逃げて、人生から逃げて、アメリカへ行く。映画を口実にすべてから逃げる。

「それでな、これを用意したんや」

 高田さんは鈍い緑色をした十五センチ四方ほどの金属の塊を机の上に置いた。ゴトンという重く大きな音がした。

「なんですこれ?」

 それは変圧器だった。

「アメリカは百二十ボルトやねん。日本の電気は百ボルトやろ。だから電圧を下げてやらんと、日本の電化製品が使えへんのや」

 本気で行くのなら、四年も暮らすのなら、電化製品くらい現地で買えばいいのにと僕は思ったのだが、どうやら電器店の息子にそのつもりはなさそうだった。僕には高田さんがどこまで本気なのかがわからなかった。

「な、これさえあれば大丈夫やろ」高田さんは嬉しそうだった。

 それは、いくら居場所を探しても上手く見つけることのできなかった高田さんが、今度こそ居場所を見つけようと自分に向けて用意したお守りだった。そして、進学だの就職だのという同世代からの圧力を少しでも弱めるための武器でもあった。

「電圧をぐっと下げたら、熱が出るんやで」

 変圧器を見て、その無骨な金属の塊を見て、僕は何の根拠もないまま、たぶん高田さんはアメリカでもずっと逃げるんじゃないだろうかという気がしていた。叶わない夢に逃げ込むのは諦めて、電器店を継げばいいのにと思った。

「絶対に映画撮ったるねん」高田さんはそう言ってレーザーディスクの電源を入れた。二人で観たのは『アメリカの夜』で、この映画ももう何度観たのかわからないほど繰り返し観ていた。

 それからしばらくして、僕はたまたま近所の大学へ進んだ先輩が参加している劇団を手伝う羽目になって、あまり高田さんと遊ぶ時間が取れなくなった。高田さんもアメリカの大学を目指そうという友人が見つかったらしくて、やがて連絡が来ることもなくなった。僕から連絡を取ることもなかった。

 あれほどしょっちゅう遊んでいたのに、疎遠になるのにたいした時間は掛からず、年賀状のやり取りもしなかった。

 春になって高田さんがアメリカへ旅立ったらしいという噂を耳にした。本当に行ったのかと驚いたけれど、それ以上のことを僕は聞かなかった。僕は自分のことで手がいっぱいだったし、高田さんと遊んでいたころのような気持ちで彼に会うことはできないとも思った。

 それでも、口だけの人だと思っていた高田さんがアメリカへ渡ったことに、僕はどこか心の奥で嫉妬していた。何もしていないのは僕だった。いつまでもバカをやっていたいと思っているのに、自分ではできなくて、そのくせ他人には早く大人になれよと腹の内で嘯いている。それが僕だった。

 もう三十年近くが経つ。あの変圧器は電圧だけでなく、高田さんの歩く道も変えただろうか。同世代からの圧力を減らしてくれただろうか。彼が今どうしているのかは、調べればたぶんすぐにわかるのだろうけれども、僕は調べない。だから、それは今でもわからない。

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あそうかも

浅生鴨です。たいていのことは苦手です。

『どこでもない場所』

9月上旬刊行のエッセイ集『どこでもない場所』(左右社)の案内やメイキングなどのあれこれをまとめるマガジンです。たぶん出版社の担当編集者もいろいろ書きます。書籍内容の無料公開もここで予定しています。また、いま絶賛募集中のインタビューのうち、noteに公開された記事はできればこ...
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