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また深夜にこの繁華街で

9月1日発売の新刊『どこでもない場所』に収録したエッセイを公開しています。(10分の7本め。)(文中「*」はnote公開版のみ入れています)


 就職活動に疲れてしまったという若者と何度か話したことがある。普通にがんばれと言ってやりたかったのだけれど、そのがんばれが重荷になってしまうかもしれないと思うと、気軽には口にできなかった。就職なんて人生の入り口に過ぎないし、その先どうなるかなんて誰にもわからないのだから、あまり重く考えないほうがいいよなんて正論を吐くこともできた。とは言え、正しい言葉はそれが正しいというだけで既に暴力なのだ。肩で浅い息を繰り返し、とっくに表情の消えてしまった顔で「苦しいんです」と潰れたような声を絞り出す彼らに、僕はどんな言葉を掛ければよかったのだろうか。

 その日、僕は灰色のつなぎを着て池袋の地下にいた。劇団の先輩から紹介されたアルバイトは、繁華街の汚水をバキュームカーから伸ばしたホースで吸い上げるというもので、その当時あった他のアルバイトに比べると、ずいぶんと割のいい仕事だった。

 せっかく入った大学では居場所を見つけることができず、すぐに通うことを止めてしまった僕は、自分でも何がしたいのか、何をすればいいのかわからないまま、古いアパートの小さな部屋で毎日悶々として、汚れた薄っぺらい布団の上で横になり、起き上がってはまた悶々として、それでも何者かにはなりたい、ここではないどこかへ行きたいと必死でもがいていた。

 ほんの少しばかり会社勤めのようなことをして、しばらくそれなりに楽しんだものの、やがてそれも辞めてしまった。

 僕には金がなかった。時間と体力はあるのだから、本気でアルバイトを探せばいくらでも仕事は見つかったと思うが、僕はアルバイトを探すこともしなかった。先輩や友人に紹介されたアルバイトで適当な数日を潰し、手渡された現金でそのあとの数日をやり過ごすだけの日々。大学の近くにアパートを借りていたせいで、うっかり家の近所にいると同じクラスにいた学生たちの姿を見かけてしまう。だから、紹介されたアルバイトもできるだけ家から遠いところを選ぶようにしていた。

 大学へ行かなくなったのも、会社を辞めたのも、やりたいことが見つからないのも、その日をやり過ごすだけの生活も、みんな自分のせいなのだ。自分で決めたことなのだ。それなのに僕は自分のせいだと認めることができなかった。何か別の理由が欲しかった。

 どうして僕は、みんなと同じようになれないのだろう。彼らと僕は何が違っているのだろう。いくら考えても答えは出なかったし出るはずもなかった。たいていのことは苦手なくせに見栄を張ろうとするし、自分にとことん甘いわりにプライドだけは高いから、夜中にふと目がさめると、こんな生活でいいのだろうかという疑問ばかりが頭に浮かんで、朝まで眠れなくなる。

 そんなとき、僕はよく深夜の繁華街を歩いた。新宿から西池袋の先まで行って戻って来る。それだけだ。歩いていれば何も考えずに済む。目に入る光景をそのまま見ていればいい。

 ビルの明かりが消え、飲み屋の看板が引っ込こめられると、繁華街とはいえ人の影はまばらになる。赤や黄色のネオンサインが水を撒かれたアスファルトに照り返し光っていた。

 酔っ払ったサラリーマンが気持ちよく歌い上げ、やめなさいよと女性が大声を出していた。

 シャッターにもたれ掛かるようにして座り込む学生たちの口は半開きで、足元には派手に吐いた跡があった。どうにも救いようのない光景だったし、それが僕には救いだった。

 もともと僕は自分がここにいるという現実感をあまり感じないから、はっきり死にたいと考えたことはない。それでも今すぐにすべてを捨ててしまいたい、この場からいなくなってしまいたいという気持ちはどこかにずっとあったように思う。

 マンホールの中に潜っている間は耐え難い臭いがしているものの、吸い出しを終えて地上に戻れば冷たく澄んだ空気が肺に染み込み、これはこれで案外と心地いいものだなと感じた。

 休憩時間になって、僕はバキュームカーの陰で先輩たちと一緒に地面に座りこみ、缶コーヒーを飲んだ。先輩がコンビニで買ってきたコーヒーは、もともとは温かかったはずなのに、冬の空気の中でしっかりと冷やされて、アイスコーヒーのようになっていた。二枚重ねていたTシャツは汗でべちょりと濡れていて、つなぎのファスナーを下げて胸元を大きく開くと白い湯気が立ち上った。

「メシは食ってるのか」

 先輩はいつもそう聞いてくれた。食べていないと答えれば仕事のあとで手近な安食堂へ連れて行ってくれる。実際のところあまり食べてはいなかった。劇団の裏方につけば、少なくともその日の食事くらいはなんとかなったが、そうでない日にはもらい物のふりかけをスプーンですくって口に入れ、それで一食を済ませることもあった。

 金がないからしかたがないのだが、金がないと金のことばかりが頭に浮かぶようになる。僕は次々に届く公共料金の督促状を前に溜息をつき、支払日まであと何日あるかを指で数えた。その日までに何度アルバイトへ行くことになっていただろうかとカレンダーを確認し、どの督促状から順番に支払うべきかを考える。そうしてベッドの上に転がって、もっと割のいい仕事を誰かが紹介してくれないだろうかと虫のいいことを願った。

 実を言うと僕は金の話が苦手だ。誤解のないように言っておくが、あくまでも話が苦手なだけで金そのものは嫌いじゃないし、できるだけ欲しいとも思う。ただ、金を使ってやりたいことがあるわけではなく、むしろ、あれこれやらずに済ませるために金があるといいなと思っている。だから金は嫌いじゃないけれど、別になくても構わない。

 そうはいっても、金がなければ電気が止まりガスが止まり、やがて水道も止まる。水がなければ人は死ぬから、水道はいつもギリギリまで待ってくれた。水が止まれば公園の水を汲んで来るほかないのだが、それすらも面倒くさくて放置することがあった。

 つき合っている彼女に光熱費を払ってもらい、なんとか急場をしのぐために学生ローンに手を出し、友人を紹介すれば金利が安くなるからという理由で、その学生ローンに何人もの知り合いを連れて行った。それを最後に二度と会わなかった知人もいる。

 本当にどん底で苦しんでいる人から見れば、逃げ道などいくらでもあるのに、僕はそれには気づかないふりをして、自分で自分の道を塞ぎ、そんな自分に酔っていた。金がないのなら実家に帰ればいいじゃないかと言う人もいるが、弱った心では、そうすることもできなかった。

 ずいぶん辛かったし、もう一度ああいう暮らしをしたいとは思わない。

 ずっと地面に腰を下ろしていると尻が冷えてくる。僕は缶コーヒーのプルタブを引いて、冷たくなった液体を口に入れた。体にまとわりついた汚水の臭いが鼻から流れ込んで、危うく吐きそうになった。

 何気なく駅の方向へ目をやると、着物を着た女の子たちと、そのまわりでじゃれつくようにはしゃいでいるスーツ姿の男たちが目に入った。成人式だった。きっと式典の帰りなのだろう。みんな楽しそうだった。

 今日よりも明日のほうがきっとよくなる。誰もがそんな確信を持っているように見えた。その日をなんとか暮らしている僕からみれば、まるで違う世界の住人。未来への鍵をしっかりと手に持っている人たち。同じような年に生まれ、同じような場所で暮らしているのにこんなにも違うのか。あっちはあんなに輝いているのに、こっちは明日のことさえ考えられないのだ。

 僕には未来などなかった。未来なんてもうぜんぶ捨ててしまったのだと思い込んでいた。

 なりたい自分になれる者は少ない。何者かになりたいともがきながら、けっしてそうはなれないという世界の現実を知ってしまったときの絶望。独りぼっちのまま、どこへも逃げようのない暗く長い道を見つめながら、他の道を歩く方法さえわからないときの孤独。

 たぶんそのころの僕はいつも怒っていたように思う。演劇やら音楽やら美術やらの端っこにいた僕は、大作を発表して喝采を浴びる友人たちと会うたびに、表向きはニコニコして、すばらしいね、おめでとうと声を掛け、そうして腹の中では醒めた目で彼らの作品をけなし、どうして誰も僕を見つけてくれないのか、どうして僕には何の機会も与えられないのかと、心の中で叫び声をあげていた。金さえあれば僕だってと口にしたこともあったが、それは言いわけに過ぎなくて、どれほどの大金があってもたぶん僕にはできなかったし、むしろ大金を理由にますます何もやらなくなっただろうと思う。

 大金は人を変える。目の前に大金を置かれると人は変わってしまうことがあると僕は知っている。もちろん、どのくらいの金額を大金と感じるかは、人によってそれぞれ違っているだろうが、人は案外お金に脆いということは知っておいたほうがいい。

 音楽業界では別に珍しくもない話で、売れた途端に生活ががらりと変わり、売れなくなると一気に荒んで性格まで変わってしまったなんてアーティストはいくらでもいる。

 僕だって同じようなもので、目の前に大金があればどうなるかわからない。いや、僕はまちがいなく転ぶ人間だ。だから、役人の汚職なんかをニュースで見ても、そりゃあもちろん悪いことだし、法を犯しているのなら責任を取るべきだとは思うものの、それ以上はあまり責め立てる気になれないのだ。人間とはそんなものだと思う。

 大きな交通事故に遭い、僕は長らく入院することになった。詳細は省くけれども、事故の相手は一切の保険に入っておらず、僕はどこからも補償を受けられないという状況だった。

 一生車椅子に乗ることになるかもしれないと言われていたし、どこまで治るかもわからなかったが、少しでも治して社会復帰する以外に道はなかった。僕は理学療法士の先生に、どれだけ痛くても構わないからやれるだけのことをやって欲しいと頼み、空いている時間はずっと自主的にリハビリを続けた。いろいろな人に相談し、考えられる限りの方法を試した。  

 僕と同じ病室には、同じ時期に同じような事故でケガをした一人の患者がいて、年齢も僕とそれほど変わらなかった。僕との一番の違いは、彼の事故相手は大きな企業の役員で、きちんと補償してもらえるということだった。

「休業補償も含めて、二億は堅いですから」

 大部屋でそういう話をするのもどうかと思うのだけれど、弁護士の言葉が僕の耳に入った。

「後遺障害が重ければ重いほど慰謝料の額は増えますから、今はあまりリハビリをしないようにしてください」弁護士はそう勧めていた。

「和解したあと、一気にやればいいんですよ」

 なるほどそういうものなのかと思いつつも、僕にはまるで関係のないことだった。僕には何の補償もない。ひたすらリハビリをするしかなかった。

 彼は莫大な補償を手に入れたけれども、症状はその後あまり改善しなかったと聞いている。リハビリには適切な時期があって、その時期を逃してしまえば治るものも治らなくなるのだ。

 彼は大金を選んだ。それで彼は満足したのかもしれない。そして、それが彼にとって本当に正しい選択だったかどうかはわからない。運が悪いことに僕には何の補償もなかった。でもそれは本当に運が悪かったのだろうかと僕はふと思う。僕だって彼と同じような状況であれば、大金を選んでいたかもしれない。いや、選んでいただろうと思うのだ。

 自分がどうするかは、その場になってみないとわからないけれど、たいていの場合において僕は易きに流れる人間だという自覚くらいはある。

 あの日、成人式の衣装に身を包み、キラキラと輝いていた彼らの様子をぼんやり見ていた僕に、先輩がハイライトを一本渡してくれた。僕はゆっくりと火をつけて深く紫煙を吸い込み、思い切り煙を吐いた。煙はその場に留まることもなく、すぐに澄んだ冬の空気の中へ溶けていった。どうにも立ち直れないほどの悔しい気持ちと、根拠のない優越感が混ざって、僕は彼らから目をそらした。僕はお前たちとは違うんだ。自分の力でなんとか生きているんだ。

 でも、本音を言えば、やっぱり悔しかった。きっと僕は、また深夜にこの繁華街を歩くのだ。彼らのことを忘れるために。自分の不甲斐なさから逃げるために。

 成人式が来るたびに、僕はあの日のことを思い出す。金もなく未来もなく、どうしようもなかった日々のことを。きっと今日もまた日本中に、あの日の僕と同じような気持ちを抱えている若者がたくさんいるのだろうと思い、どこか切ない気持ちになる。

 もしもあの日、僕に金があったらどうしていただろうと考える。晴れ着で街を歩いただろうか。僕は自分のその姿をどうしても想像することができずにいる。そしてあの日、晴れ着を着ていた彼らだって、きっとそれぞれの場所で苦しみもがいていたのだとやっと気づく。笑顔の下には不安と迷いがあったのだろうとようやく想像する。

 結局のところ人生のほとんどは運で、それは理不尽で不公平で、ときにやるせないほどの残酷さを伴って訪れる。失敗のない人生などないし、ほとんどの人生は失敗の連続だけれども、運に左右されるからこそ失敗続きの人生には驚くようなことも起こるのだ。

 予想しているとおりの未来など来ないとわかっているのに多くの人は未来を予想して、やがて訪れる未来とのギャップに苦しむ。だから僕はもう予想をしない。ただ自分がどうありたいかを忘れず、そこへ近づこうと願いながらも、深夜にこの繁華街を歩いている自分こそがまぎれもない自分自身なのだと、どこか諦めと共に受け入れるだけだ。

 なりたかった自分になれないまま生きていく。それが生きていくということではないのだろうか。だからこそ人生は面白いのだと、あの日から数十年を経た今、僕はそんなふうに思うのだ。そして、今そう思えるのは、まちがいなく僕が幸運に恵まれていたからなのだということを、けっして忘れてはならないとも思っている。



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